第百九十二話・手形と警備兵

side:久遠一馬


「なかなか、いい出来じゃないの」


「うふふ。そうでしょ?」


 ウチと織田家で密かに造っている銅銭の流通量は確実に増えている。特にウチは明との貿易と称して宇宙で鋳造している分もあるからね。


 各地から集めた粗銅からも造っているし、あえて公言していないものの、悪銭や鐚銭も使えないレベルのものは宇宙で銅銭に造り直している。


 もっとも使えるレベルの銅銭は流通させているけど。


 ただ今回の伊勢詣りで改めて分かったが、銅銭は重くて嵩張(かさば)るから取り引きには向かない。


 別に現金引き換えの商売じゃないけど、通貨そのものを運ぶ運搬コストが少し気になるんだよね。


「これ木版画だよね?」


「そうよ。多色刷りにしたわ」


 みんなで相談した結果、メルティには事実上の紙幣となる手形を試作してもらった。


 形式は木版印刷による多色刷りにしたらしい。一貫手形と十貫手形の二種類がある。細かな細工模様に何故か南蛮船の絵が描かれているね。


 ああ、織田家の家紋も入っている。文字は活字体にしていて、将来の活字普及にも期待しているみたい。


 木版印刷自体は日本では古くは奈良時代からあったとか。有名な江戸時代の浮世絵なんかもある。


 技術的には戦国時代にあっても不思議じゃないだろう。世界だと活版印刷すら百年ほど前からあるくらいだし。


 ただ、今回はあくまでも試作だ。手形自体はそれほど大量生産するわけではないので、木版印刷で十分なんだろうね。


「当面は当家と取り引きのある者に限定して使うべきです。この手のものはすぐに偽造が出回りますから。各商家にサンプルを配り、偽造品を見抜くように指導も必要ですね」


 問題は、偽造がどの程度のレベルでどう出回るかということだな。換金自体はウチでやるしかないが、エルの言う通りに手形の使用を限定して許可制にするしかないよなぁ。


 別に尾張の商人だけが善良なんてこともないし、偽造をする商人がウチと取り引きのある商人から出てくる可能性もある。


 後は偽造品を使わせないように、各商家にも見抜くように頑張ってもらわないと。


 もっとも多色刷りで細工や絵も精巧だから、気を付ければ偽造は防げるだろう。偽物が出回れば新しいものと交換すればいいしね。


 ある程度の予測は出来るけど、こういうものは少しずつ試して問題点と影響を見極める必要がある。


「後は殿に許可をもらってやるか」


「銅銭の保有量を増やす必要がありますね。上手くいけば自然と銀行業務に移行出来るでしょう」


 この手形はだいぶ前から構想はあって、メルティが型の試作をしていたみたい。


 史実の江戸時代には、藩札という藩による独自発行の紙幣があった。経済が発展すると紙幣って便利なんだよね。


 ウチが具体的に運用を検討したのは、船大工の善三さんたちが支度金を一部返してきたことが原因になる。


 銭の置き場所がない。引っ越しの荷物にもなるし、家に置くと不用心で危ないとの理由で返してきた時には正直驚いた。


 銭があると知られると盗人が来る。まだ留守の時に銭だけ盗まれるならばいいけど、この時代だと家人が危ないみたい。


 ちょっと配慮が足りなかったなぁ。


 返された支度金は、彼らが尾張に来たとき生活に必要なものを揃えるのに使えばいいから構わないけどさ。


 改めて貨幣経済普及の障害や問題を思い知らされた。


「警備兵のほうはどうなの?」


「評判はいいですよ。やはり治安維持は国の基本です。清洲・那古野・工業村に限定されますが、抑止力としても成果は出ています」


 善三さんのことで思い出したが、貨幣経済普及の障害は治安の問題もある。善三さんみたいな庶民はお金を得ても保管をするのに苦労をする。


 基本的に武士や商人は自己防衛だけど、職人はそこまで家や仕事場にお金を掛けないし農民は言うまでもない。


 まあ壺とか瓶に銭を入れて埋めて隠すというのは、この時代でもあるらしいけど。非効率だよなぁ。


 ただ、これは警備兵の成果が出ているみたい。


「そうか」


「無論、細かな問題は多々あります。警備兵のモラルも指導しないといけません。一部の者は商人などから賄賂を貰って巡回を増やすなど偏らせておりますので」


 治安の向上が犯罪率を下げるのは、元の世界でも証明されているしね。警備兵の成果が出ているのは良いことだ。ただ、モラルの低さと貧困からくる犯罪は抑止出来ない。


 広い視野を持って気長に改善するしかないね。




side:織田信秀


 三郎と一馬が無事に戻った。懸念はなかろうと思うておったが、やはり安堵したのが本音だ。あのふたりはこの先の日ノ本に必要だ。つまらぬことで失うわけにはいかぬからな。


「殿。いかがでございましょう」


「その方たちが構わぬならば、わしも構わぬぞ」


 あやつらがおらぬ間にひとつの話が持ち上がった。


 津島と熱田が警備兵を置きたいと言い始めたのだ。理由は桑名であろうな。


 わしと一馬は桑名を切り捨てた。決めたのはわしだが、一馬が桑名を不要だと考えておったことは、こやつらも知っておること。


 今日も津島衆と熱田衆が嘆願に来ておるが、こやつらも内心では蟹江に港が出来れば一馬に切り捨てられるのではと懸念があるのであろう。


 尾張でも抜き出た湊の津島と熱田がここまで変わるとはな。


「かなり、人の流れが変わっております。工業村の風呂屋に行き、清洲に泊まる旅人が増えております。市中の警備に専属の兵を置くのは利に繋がりまする」


 わしですら津島と熱田のやり方に口を挟むことは控えねばならなかったものを、一馬はそれを変えてしまったか。


 無論、警備兵の利は明らかにある。清洲と那古野では狼藉を働く者は減り、盗人も少なくなった。民の評判もよく、周辺の村からは人や品物が集まり旅人も増えた。


 人が集まれば利に繋がるのはわしにでも分かるからな。


「やり方は一馬に合わせろ。同じ尾張でやり方が違うのは混乱するだけだ」


「はっ。元よりそのつもりでございます」


 さすがに津島と熱田を切り捨てるつもりはないのだが、冷遇されるくらいはあり得ると思わせておくべきか。


 もっとも一馬に言わせると、津島から蟹江と熱田。それに那古野と清洲で力を合わせてやらねば、とてもではないが間に合わぬと言うておったが。


 警備兵も、最初からいずれは領内全てに広げるのを前提にした策だ。まさか、国人衆や町衆のほうから欲しいと言われるとは思わなんだがな。




「銭の力は凄まじいな」


「まことに、さようでございますな」


 津島衆と熱田衆が下がると控えておった五郎左衛門が、なんとも言えぬ表情をしておった。


 武士は武力で従えようとするが、それでは国人衆の力は残ってしまう。故になにかあれば謀叛や裏切りが絶えぬ。


 津島や熱田のように寺社が勢力にあると扱いは更に難しくなるが、銭の力を押さえてしまえば、寺社ですら態度が変わるのだからな。


「一馬の恐ろしさを一番理解しておるのは奴らであろうな」


「一馬殿は日ノ本に縁やしがらみがありませぬ。故に血筋も権威にも重きを置きませぬからな。我らの常識が通じぬ怖さを、桑名の件で改めて理解したのでございましょう」


 一馬は他の誰よりも信義を重んじる。しかし、その反面で他の者が気にする権威や血筋などの古き慣例には驚くほど興味がない。


 寺社は丁重に扱っておるが、信じておるようには見えぬからな。


 忍び衆のように尽くす者は身分に関わらず厚遇するが、逆に血筋や権威で当たり前のように厚遇されると考える者には驚くほど冷たい。


 信義を持てばいい。その一言に尽きるが、裏切り裏切られながら生きる者にそれをやれというのはなかなか難しい。


 もっとも津島衆と熱田衆は上手く一馬と友誼を築いておるがな。信義さえしっかりすれば、大きな利をもたらしてくれることを理解しておろう。


 一馬もわしも連中の利を奪う気はないからな。


「しかし、一馬のことは悩むな。やはり猶子ゆうしにするべきか?」


「婚姻は奥の序列や子が産まれた時に、家督相続の懸念になりまする。そこを考えると確かに猶子辺りが今はよろしいかと」


 懸念は一馬の力を考えると、明確な血縁が欲しいことか。今はよいが、先を考えると必要なのは明らかだ。


 最初はいずれ婚姻を考えておったが、あの聡明で多彩な奥方たちを敵に回すのは避けねばならぬ。


 婚姻は嫡男が決まったら子の代でも構わぬな。一馬は猶子にして三郎の義理の兄弟にするのが現状では最善か。




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