第百九十一話・帰還と新たな動き

side:佐治為景


「大湊の船大工とは……」


「ええ。もし良かったら佐治殿の船大工の仕事を見せていただけたらと思いまして」


「当家としては構いませぬが。設計図は久遠殿のものですので」


 伊勢神宮に行っておった織田の若君と久遠殿が帰りがけにやってきたが、まさか大湊の船大工を引き抜いてきたとは。相も変わらず信じられぬことを平然となされる。


 大湊の船大工といえば日ノ本でも名が知られておろう。それをあっさりと召し抱えてくるなど、思いもせなんだわ。


「ありがとうございます。将来のことを考えると、船はまだまだ必要ですから」


 将来か。久遠殿はすでに遥か先のことを見ておるからな。子や孫の代の収穫を楽しみに、山に木を植えたのは家中に大きな衝撃を与えた。


 他人の領地を誰がそこまで考えようか。戦がない世を願い戦う武士は日ノ本には他にもおるかもしれぬ。


 されど戦がない世を考えて、今から戦に頼らぬ暮らしの備えをする武士は他にはおるまい。敵に回らなくて良かった。家中の皆が心からそう口にしておる。


 我らは贅沢をしたいわけではないのだ。皆で飢えずに飯が食えて、たまに酒でも飲めたら満足するようなもの。


 久遠殿は本気で日ノ本から戦をなくしたいと考えて、それを目的に動いておる。果たして織田家中でそれを理解しておる者がいかほどおろうか。


「そういえば、羅針盤と六分儀、あと海図はどうですか?」


「一応、使い方は覚えました。されど本当に正しいのかは、正直分かりませぬ」


「なるほど。ならばそろそろウチの船で少し沖へ出て訓練してみましょうか。例の改造船も、大野と津島や熱田の間ならば使っても大丈夫でしょう。荷物の輸送をしながら南蛮式の操船の実地訓練も必要でしょうしね」


「それは助かりますな。実際に南蛮船で訓練出来るならば、皆が喜ぶでしょう」


 久遠殿は海を制することで天下を見ておるのだろう。そのためには水軍の味方が必要だ。我ら佐治水軍に望むのもそれであろうな。目的が分かればこちらもやりやすい。


「船乗りと船大工は増やすのに時が掛かりますからね。地道に増やしていかないと」


「伊勢や志摩の水軍衆を味方に出来れば早いのですがな」


「銭で引き抜けるなら引き抜きたいんですけどね。土地を与えるとなると私の一存ではちょっと……」


 ふむ。久遠殿としても伊勢や志摩の水軍衆を引き抜けるなら引き抜きたいか。しかし、さすがに水軍衆を引き抜くのは難しいからな。


 素破すっぱと違い、下手に引き抜けば騒ぎになるのは明らかだ。


 もっとも水軍衆の領地などたかが知れておる。厚遇すれば一族を分けるくらいはしそうだとは思うが。


 まあ、現状では我らが南蛮式の操船を覚えて、船を増やすのが一番であろうな。




side:久遠一馬


 大湊から帰る途中に佐治さんのところに寄って、船大工の皆さんをしばらく預けることになった。


 佐治さんのところの船大工さんと情報交換をしてもらい、建造中の和洋折衷船について勉強してもらうことにしたんだ。


 どのみち親方の善三さんが尾張に来るまでは仕事は出来ないしね。


「やっぱり我が家がいちばんだね」


 那古野の屋敷に戻って、元気に駆け寄ってきたロボとブランカを見たらホッとする。テーブルの上にある報告書の山は見なかったことにしたいけど。


 留守は資清さんとメルティに任せたし、特に問題はなかったらしい。とはいえ報告書は当然溜まっている。別に決裁が必要とかじゃないけど、目を通さないと後で困るんだよなぁ。


 ああ、信秀さんに提出する報告書も書かないと。いろいろと収穫もあったしね。


 後は伊勢神宮の御札と伊勢エビの干物をお土産としてみんなに配る予定だ。喜んでくれるかな?




「殿。よろしいでしょうか?」


「うん。いいよ」


 後回しにお出来ないので、報告書に目を通してると資清さんがやってきた。


「相模の北条駿河守長綱ほうじょうするがのかみながつな殿が尾張に来るようでございます」


 長綱? ……って北条幻庵ほうじょうげんあんじゃないか!? 確かに北条家から人を寄越したいという話は前々からあった。昨年の冬には流行り病の薬を売ったあとだったか。


「駿河守殿って、伊勢宗瑞いせそうずい公の子だよね? 北条家中での立場はかなり上のはず」


 まさか北条幻庵が尾張にくるとは思わなかった。


「織田家と当家の視察が目的でございましょう。北条は近年の戦などで疲弊しておりますれば、少しでも味方が欲しいところかと」


 元の世界では北条早雲として有名な人だけど、この時代だと伊勢宗瑞という名が一般的なんだよね。


 伊勢家は室町幕府でもかなり地位のある政所執事を務める家柄だからなぁ。


 ああ、確か北条は河越夜戦で関東管領の上杉憲政うえすぎのりまさに勝ったはず。ただ、領内が疲弊したりして大変な時期か。


 今川とは武田晴信の仲介で和睦したけど、三国同盟はまだなんだよね。


 三国同盟はあるのかな? 今川は三国同盟を欲するだろうけど、信濃に集中したい武田はともかく北条は三国同盟に加わるだろうか。


 というか資清さん。少し前まで甲賀にいたのに、北条家の内情まで調べて理解してるって地味に凄い。


「北条は味方にしておきたいなぁ。今川を楽にはさせたくない」


「北条は先年に武田の仲介で今川と和睦しておりますが、あまり上手くいっておらぬ様子。向こうも織田家は味方にしておきたいところでございましょう」


 北条幻庵。北条家の生き字引。多分この時代でも結構な年のはずだけど、まだまだ長生きするんだよね。


 あんまり北条に肩入れし過ぎて関東を制覇されても後で困る気がするけど、苦しい時に助ける利点は大きいだろうな。


 そういえば、上杉謙信も今は長尾景虎ながおかげとらという名前になる。上杉家の当主は上杉憲政であり、後に領地を追われた憲政が謙信に上杉家を譲るんだったかな。


 この謙信が何度も関東や信濃で戦をして、北条や武田の足を引っ張り続けたとも言える。


 特に謙信の関東遠征は口が悪い人は出稼ぎと言うからね。


 謙信の領地の越後は、この時代はあまりいい土地ではないからな。越後が米所になるのは越後平野の整備が行われた大正や昭和以降の話だ。


 この時代だと湿田しつでんばかりで、河川の氾濫などが頻発する土地でしかない。しかも、雪も多いしね。越後は。


 蝦夷地えぞちとの交易である北前船の湊があることや、青苧あおその産地でもあるので、謙信はそれを掌握して資金源にしていたらしいけど。


 蝦夷からの産物はウチも扱っているし、青苧と同類の麻も来年以降は尾張で植える予定だから、下手をすると謙信の力が落ちて関東や武田とのバランスも崩れるんだよね。


 まあ細かいことはエルたちと相談しないと分からないけど、北条幻庵が来る以上は歓迎して良好な関係を築く必要があるよなぁ。



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