第百五十二話・上陸開始

side:久遠一馬


 服部水軍は夜襲に失敗して壊滅した。


 数艘の小早が逃げ出したようだが残りは舟を拿捕していて、兵は海に飛び込み逃げ出した者以外は捕虜にしたらしい。どちらかと言えば負傷者の救助が大変だったとか。


「友貞めがおらなかったのが残念ですな」


 捕まえた捕虜の話だと、幸か不幸か服部友貞は夜襲の兵を直接指揮してはいなかったみたい。


 ただ制海権は完全に握れたし、敵に戻った舟は小早が数艘。服部家は主力の武士や兵が大幅に減ったのは確かだろう。


 おかげで佐治さんはご機嫌だ。


 奪った兵糧や舟。そして海戦の完勝で一番手柄は固いだろうしね。水軍の面目躍如だろう。佐治さんも織田家では新参者だからね。武功が欲しかったようだ。


 今日からは市江島への進軍だ。敵の水軍がほぼいない以上、奇襲もあまり気にしなくていいからね。上陸が一気に楽になった。


 ただ当初の予定と変わり海戦はすでに終わったけど、信秀さんは予定通りに南蛮船に本陣を置くことにしたみたい。理由は聞いてないけど、乗り心地がいいとか目立つからとか、案外その程度の理由だったりして。


 先陣の大将は伊勢守家の織田信安さんだ。志願した結果だけど、ちょっと意外だね。


 今は先陣の伊勢守家から上陸してるところだ。




「申し上げます! 市江島より離脱する舟から願証寺の僧と思わしき者たちを捕らえました!」


「丁重に保護しろ。敵か味方か分からぬからな」


「はっ!」


 南蛮船の本陣にて市江島に上陸する兵たちを見守っていると、少し意外な報告が舞い込んできた。


 どうも漁民の舟に坊主らしき人たちが乗って、市江島から離れようとしたのを佐治水軍が捕らえたようだ。


 その報告に信秀さんの表情がニヤリと変わった。


 恐らく服部友貞に味方した坊主だろう。願証寺の坊主は周辺の寺に服部友貞に加担しないように働きかけて、市江島から追い出されたからね。


「戦う前に逃げ出したのかな?」


「兵糧もない、舟もない、兵となる船乗りもおらぬ。これでは勝てるはずがないからな。わしでも降伏するわ」


 まだ勝てば願証寺が動く可能性はあった。しかし水軍が壊滅しては勝ち目がなくなったと見たか。引き際は見事なんだけどねぇ。捕まっては意味がない。


 信秀さんは自分が服部友貞の立場ならお手上げだとおどけてみせると、重臣や近習の人たちが一様に笑った。




「抵抗がないとは。味気ないな」


「まったくですな。無抵抗のまま籠城する相手など赤子の手を捻るようなもの」


「油断めされるな。敵は一向衆の一揆を狙っておったのですぞ」


 本陣は明るく会話も弾んでいる。このあとには重臣たちの本隊も上陸する予定だから、みんな少し浮かれ過ぎている気もするけど。


 戦にそこまで命が懸からない場合は、こんなもんなのかね?




「エル。どう思う?」


「敵はこちらが思う以上に混乱しているのでしょう。普通は負けても味方がほとんど戻らぬということは、まずあり得ませんから」


 陸戦と違い海戦は船を押さえたら終わりだからなぁ。佐治さんも敵を蹴散らすことより船を拿捕することを優先したらしいし。


 ちなみにエルはケティたちと一緒に衛生兵として来ている。治療に慣れてるのはウチの人間がほとんどだからさ。


 滝川家を筆頭に忍び衆の女衆も衛生兵として何人か連れてきたけど、安全のために上陸はさせないで船で治療することになってる。


 さすがに織田家中からも反対意見が出たからね。傭兵ならばともかく、武士の奥方を戦場に連れていくのはいかがなものかってね。


 ウチでも望月さんが危険だと心配していたけど。


 あとこの時代の武士は験担ぎをするし、戦の前に女に触れるのは良くないと避けるらしい。それはウチの家臣も同じだ。


 立場上、エルたちと顔を会わせないわけにいかない資清さんはあまり気にしていないというか、清洲攻略戦の時にオレがまったく気にしないから合わせてくれているようだね。


 周りで一番気にしなくなったのは、やはり信長さんだろう。


 オレがこの時代の風習や験担ぎをまったく気にしない事を初めは不思議そうに見ていたけど、大丈夫だと判断したらしく最近は以前よりさらに気にしなくなった。


 今回も戦の前日に普通にオレやエルたちと一緒だったし。直臣の人たちが困った顔をするの見て楽しんでいたっぽい。




side:服部家家臣


「急げ! 米でなくともよい! 食えるものはすべて城へ運べ! 残しても織田に奪われるだけだ!」


 夜襲に出陣した水軍が大敗するとは……。


 しかも、ただの大敗ではない。舟はほとんど奪われ兵も半分以上戻らぬ。これでは味方の士気ががた落ちではないか。


 だから戦など止めておけば良かったものを。


 願証寺が織田と戦う気がない以上、詫びを入れるしかなかったのだ。それなのに……。


「おい、坊主どもはいかがした!?」


「はっ、民を集めてくると城を出ました」


「まさか逃げ出したわけではあるまいな。散々殿を焚き付けておいて。探せ! 奴らには最後まで付き合ってもらう!」


 殿が織田と戦を決断されたのは織田嫌いが原因だが、もうひとつ理由がある。願証寺の下っぱの坊主どもが殿を焚き付けておったのだ。


 あのくそ坊主どもめ。


 恐らくは背後に願証寺内部の争いがあるのであろう。もしかすると桑名の商人どもも一枚噛んでおるのかもしれぬ。織田と久遠の存在が気に入らぬ者はいずこにでもおるからな。


「すでに領内におりませぬ。近くの漁村で舟を借り上げて沖に出たようでございます」


「くっ、やはり逃げ出したか!」


 民の集まりも悪い。水軍が戻らぬのもすでに領内で知らぬ者はおるまい。更にくそ坊主どもまで逃げ出すとは!


 死ねば極楽浄土だと? なにかあれば仏罰だと極楽浄土に行けぬと脅して好き勝手しておる破戒坊主どもめが!!


 それほど極楽浄土がいいならば、己らが先に行けばいいのだ!


「殿。願証寺の坊主が逃げ出したようでございます」


「あやつらは援軍を呼びに行ったのだ」


「殿。逃げ出しただけでは?」


「無礼者め! 仏に仕える者を疑うのか!!」


「いえ、そういうわけでは……」


 このままでは服部家は終わりだ。殿に目を覚ましていただくべく坊主どもが逃げ出したことを伝えるも、まだ殿は目を覚ましてくれぬ。


 そもそも、あのような下っぱの破戒坊主が仏に仕える者なのか? 願証寺でさえもて余しておる厄介者であろう。


 それに舟がないのにいかにして援軍を連れてくるのだ? 当家の水軍に大勝した佐治水軍と南蛮船に誰が敵対出来るというのだ?


 祖父の代から仕えておる服部家のためを思えばこそ、某は殿に諫言かんげんしておるというのに。


「つまらぬことを申す暇があるなら、兵糧を集めてこい!」


「はっ……」


 兵糧を集めてこいと言うが、民の数少ない食料を奪ってもそのあとはいかがするのだ。




 頃合いだな。


 一向宗の教えを家臣にまで強要する殿には、少々うんざりしておったのだ。幸い殿は水軍の大敗に余裕がなく苛立ち当たり散らすのみ。


 家族と郎党で織田に降ろう。


 なにをしても南無阿弥陀仏と唱えれば許されるのであろう?


 ならば某は家族と家を守ることを選ぶ。



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