第百八話・甲賀の里と清洲の計画

side:近江甲賀のとある村


「八郎の話、聞いたか?」


「もう聞いたよ。家老並の待遇なんだろ」


「違う。家老になったんだよ。家老にな!」


「あの男、それほど使える男だったのか?」


「さあな。知らぬ」


 近江国甲賀郡は貧しい。食うためには外に働きに出ねば食うていけぬ。


 されど、いずこに行っても、素破すっぱ乱破らっぱと蔑まれ使い捨てにされる。それでも生まれ育った地で生きていくしかない。それが人の定めと皆が思うておった。


 滝川城の八郎が一族郎党を引き連れ、所領を捨てて甲賀を去ったと聞いた時は笑った。愚かな奴だと。いずこに行くのかは知らなんだが、生まれ育った土地を捨てた者が行き着く先は決まっておる。


 賊となり果てるか、流浪の末に飢えて死ぬか。


 ましてオレたちは足軽以下なんだからな。それが今では甲賀でも知られるほどになってやがる。


 尾張の織田家に仕える、久遠という家に奴は仕官したらしい。


 嘘かまことか、大きな南蛮の船を持つ武士だそうだ。最初そんな噂を聞いた時は誰も信じなかった。今でも大半の奴は信じてないだろう。


 久遠というところの家臣か、その小者に仕えたことを大袈裟に伝わったんだろうってな。


 それが今では立派な服を着て、幾人も供の者を連れ歩く武士として働いているっていうんだから、本当なら驚きを通り越して呆れるね。


 誰にって? 久遠って商人出の武士にだよ。素破を武士として扱うほど、大うつけなのかってね。


「隣村の権助が、八郎のとこに家族を連れていったらしい。忍び働きになるらしいが、待遇はいいんだと」


「たわけが。いつまでもそんな待遇が続くわけねえのに。八郎だってそうだ。戦になれば使い捨てにされて終わりだ。騙されてんだよ」


 八郎と親しかった奴らが、幾人も甲賀を離れて尾張に行った。家族は人質にされるな。嘘の待遇で人質を取って、無理やり働かされるんだろ。そんなことも気付かんのかね。


「それがどうも、本当に武士として扱われておるらしい。織田の殿にも、目通りが叶う身分なんだと。さすがにあちこちの家でも、滝川家と縁を結ぶか考え始めたらしい」


「……そんな。ありえんだろ」


「疑り深い奴が直接探りに行って、そのまま尾張に行った奴もおる。仕事がなくてあぶれた奴は、いくらでもおるからな」


 嘘だろ。滝川家は甲賀五十三家にも、名前が入らん程度の土豪だぞ。なんで殿様に目通りが叶うんだよ。


 まさか本当に武士として仕官出来たのか? ろくな武功もない八郎が。


「望月家も滝川家との縁組を考えておるんだとさ。あそこは本家が信濃の領地を失っておるからな。尾張の織田といえば勢いもある。噂が事実なら動いてもおかしくないからな」


「田植えも終わったし、尾張に行って化けの皮を剥いでやる」


「忍び働きでも人質になる家族がおらんと、使わんそうだ。その分、家族は滝川家で養ってくれるらしいが」


「働きに行くんじゃねえ! 化けの皮を剥ぎに行くんだ!」


「そうか。働けるといいな」


「違うって、言ってんだろうが!」


 化けの皮を剥いでやる。


 でも、もし本当なら……。家族を尾張に呼べば、この暮らしから抜け出せるかもしれん。 


 八郎でいいなら、オレでもいいはずだ!




side:久遠一馬


 清洲城の改築と清洲の町割りの計画をエルたちと考え始めたオレたちだけど、先に信長さんには話を通して許可をもらった。


 公式的には信長さんからの献策という形を取ることにしたんだ。政秀さんや可成さんに、信長さんの家老の皆さんの意見も聞いて計画の具体化をしていく。


 広くみんなの意見を聞くことは必要だからね。史実というカンニングペーパーと未来知識だけでは、この時代では理解されないものもまだある。


「本当はオレ、しばらく遊んで暮らすはずだったんですけどね」


「ほう。それはまた……」


「世の中を見聞するという名目で。津島に来たのもそのつもりだったんですよ。畿内は危ないですし」


 この日は信長さんに政秀さんと可成さんを加えて、清洲城の改築案を検討していたけど。ふと可成さんに織田家に仕官した理由を聞かれたから素直に答えたんだけど、なんとも言えない表情をされた。


 話だけ聞くと商家や武家の馬鹿息子にしか、聞こえないのかもしれないね。


 個人よりも家単位で生きるこの時代の価値観を、オレはまだ完全に理解出来ないように、この時代の人たちもオレを完全に理解出来ないのだろう。


「かず。そんなことより大砲の備えはせぬのか?」


「要りますか? 他家があれを手に入れて清洲まで来た時点で、織田は負けたも同然ですよ。ウチは製造しているので使えますが、南蛮から買えば織田家でも運用は難しいほどの値ですよ」


「そんなにするのか」


「まあ清洲城に金色砲は置きますけどね。防衛対策は鉄砲と抱え大筒くらいでいいかなと。必要になれば、また改築すればいいですし」


 ちょっと愚痴っぽい説明になったところだけど、信長さんには華麗にスルーされて本題の清洲城の話に戻る。


 現状では大砲を想定した城は必要ないというのが、オレたちの意見だ。本拠地の防衛戦で敵に大砲を撃ち込まれるなんて末期だ。もはや、降伏か全滅かを検討する状況だ。


 ちょっと聞いた話だと、この時代には天守どころか石垣すら一般的な城にはないらしい。


 元の世界では日本の城で当たり前だった石垣は、先駆者とか言われていた六角家の観音寺城ですらまだ造られていない。そもそも鉄砲の防衛すら現状の城は想定していないからね。


 大砲を想定すると城のレベルが現状から一気に上がっちゃうけど、費用も掛かるし現状でそこまでの防衛設備の必要性はない。


 それに将来的には近い位置にある清洲と那古野は、統合したほうが経済的にはいいかもしれない。そんな考え方からすると、今すぐに百年も二百年も残る城にしなくてもいいんだよね。


「道がまっすぐで広いですな。京の都のようじゃ」


「攻められやすくありませぬか?」


「防衛よりは織田の力を見せる意味があります。最終的には町全体を水堀みずぼり土塀どべいで囲む構想もありますから。堺の町なんかを参考にしました。南蛮では町ひとつ丸ごと守るのは珍しくありませんし」


 町割りは幾つかのパターンを用意するが、オススメは京の都のような碁盤の目のような町だろう。馬車や荷車の使用を想定した広くまっすぐな道が印象的だ。


 京の都に行った経験のある政秀さんは、その良さをなんとなく理解しているようだけど。可成さんはやはり攻められやすさを気にしている。


 町は全体として余裕を持たせて、町屋や長屋も密集させない予定だ。火事の問題もあるからね。史実の江戸の二の舞は御免だ。道は使いやすさを優先しつつ、大火事の防止にも役立つだろう。


 町の真ん中を川が通るから、水害も心配だし堤防が必要かな。それなりの都市にするとなると下水道も必要だしね。


 川と水害の問題は長期的には、史実のように木曽川系の河川の大規模な改修が必要だろうが、それは長い年月がかかる。当面は堤防優先だな。


「かような町、本当に作れるのか?」


「まあ、殿のお許しが出るなら」


 この時代の価値観と違う町の図面に、信長さんも半信半疑だけど。ここで駄目でも、いずれどこかの町で使える構想にはなる。


 それと将来的には既存の座と市を解体して、新しい商業形態を作りたいところだけど。


 楽市楽座はそのままだと、ちょっと問題があるから使えない。市や座は加入している商人の既得権を守るとともに規制も行っているんだ。ちゃんと悪徳商人を排除している座も存在している。


 規制がないとなんでもアリな時代なんだよね。単純に楽市楽座なんかやれば、悪徳商人や詐欺や恐喝紛いの商人が増えるのは明らかだ。


 史実の織田信長もその点を理解してか、完全な楽市楽座というよりは敵対的な座や市の解体と排除をしたらしい。


 新規参入や商売の自由は必要だけど、将来的なことを考えると最低限のモラルを守らせる規制や仕組みも必要なんだよね。


 尾張は織田弾正忠家の本領だし、あまり過激な政策は難しい。津島や熱田で楽市楽座は向かないだろうしね。


 ただし、清洲は元々弾正忠家の領地ではないから、それなりに新しい政策も出来るだろう。現状でも尾張の経済はウチがかなり握れているからね。


 要は清洲では津島や熱田などの織田弾正忠家に近い商人や座に配慮しつつ、新規参入をしやすくすればいいんだ。


 細かい差配は多分エルたちにしか出来ないだろうけど。オレには無理だし。


 市場経済なんて百年早いだろうね。織田家で監督しつつ経済を少しずつ開放していく予定だ。


 まあ。城も町も経済政策も、信秀さん次第なんだけどね。


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