第百七話・伊勢守家は当分放置で
side:久遠一馬
「物価が前より下がったね」
「ウチが大量の米を運ぶと噂を流しましたから。津島と熱田の商人は、多少の儲けで手を引きました。清洲の商人は様々ですね。儲けた人が少数でほとんどの商人は大損してます」
物価対策が功を奏したことにエルと共にホッと一息つく。
戦があると見込んで兵糧や武具なんかを買い占めた商人の結果は、まあこんなもんだろう。
伊勢守家と弾正忠家との戦ということで、それなりに激戦になるか長引くと予想したようだけど、結果は伊勢守家の内戦なんだから当然だろうね。
オレたちも清洲の商人を潰したいわけじゃないけど、買い占めなんかするからこうなるんだ。
儲けていた人の大半は、伊勢守家に品物を売って儲けている。後は大損したみたいだね。敵に品物を売ったと怒るよりは、敵から銭をせしめたと褒めるべきだろうか。
伊勢守家が弱体化すればするほど、付け入る隙ができる。無論、潰すことはないんだろうけどね。守護代家のプライドは早めに叩き折りたいところだ。
「それで伊勢守家の内戦はどうなの?」
「士気は両軍共に高いようです。戦力比は七三で伊勢守家が優勢。しかし謀反人は武闘派揃いですので、戦は多少長引くかもしれません」
七対三って、相当な差だな。領地だって一塊じゃないだろうし。謀叛人は一枚岩でもないはず。
「最終的にどうしたいわけ?」
「謀反人の目的は伊勢守家からの独立でしょう。伊勢守家は謀反人の討伐か屈服ですね。謀反人としては元嫡流の伊勢守家にいても、弾正忠家に冷遇される可能性が高いと見ているようです。独立して弾正忠家の直臣になれば、自分達の力で立身出世の可能性が生まれますから」
理屈としては理解出来るけど、無謀じゃないのか? 同じ家中で元主君と一緒になるのに。しかも伊勢守家の信安さんは信秀さんから見ると妹婿だよ?
「殿に臣従出来るのが前提なのか」
「可能性は十分にあります。伊勢守家が割れるのですから。籠城でもしつつ戦局を膠着させて、弾正忠家の力で和睦させる。そうすれば恩を売りつつ、伊勢守家の影響力は落ちますからね。彼らは自分たちを殿に売り込めますし、殿は目障りな伊勢守家の影響力を落とせますから。その線で進む可能性も有り得ますよ」
うーん。戦馬鹿も満更無策じゃないのか。
「まさか、殿の策か?」
「いえ、それはないようです。この展開を読んでいた可能性はありますが。今の弾正忠家だと、割らなくても伊勢守家の家臣を引き抜くことも、弱体化させることも難しくありませんから」
伊勢守家の臣従は所領の安堵は決まっているけど、政秀さんいわくどこまで伊勢守家の所領と認めるかは、議論の余地があるそうだ。
信秀さんの弟である信康さんが治める犬山城は、伊勢守家の上四郡にあるけど、弾正忠家にも伊勢守家にも臣従する姿勢を見せている。事実上の独立領だ。
臣従も曖昧だからね。中には古い付き合いで同盟したまま臣従のようになっているところもある。そんな家があちこちにあるらしい。多分、信秀さんが長年掛けて切り崩してきたんだろう。
現に信康さんは今回の騒動では動かないらしい。動いても利はないしね。
「どっちでもいいけど、長引くのが一番困るね」
「まだ田植えも終わっていないので、戦らしい戦は始まってすらいませんね。収穫前の麦を刈田狼藉で刈って、互いに牽制くらいはしていますが」
「なんか後始末が面倒になることばかりしそうだね」
「それがこの時代の戦です」
まずいな。エルの予測は外れるほうが珍しいのに。消耗戦で上四郡が荒れると後始末が大変になる。
「なんとかならないの?」
「伊勢守家は臣従すると言っていますが、今はまだ臣従していない守護代家です。この段階での介入は、絶対させないでしょう。それに現状で介入したら、双方から恨まれます」
「領地が荒れることとか無視なんだね」
「ここまで来ると、一度戦をしないと収まりませんよ。いっそ共倒れをしてくれたほうが、将来を考えるといいかもしれません」
本当、戦国時代って面倒だね。伊勢守家は当分放置するしかないか。
「工事はどこを優先したらいいかな?」
「経済優先ならば津島と熱田の港湾能力の向上と、新たな港の建設を優先したいところです。那古野城の改築と町の拡大も必要です。しかし現状では清洲城の改築と、清洲の町の拡大を優先するべきかもしれません」
正直、オレたちは伊勢守家どころじゃないんだよね。あれこれと献策してるうちに、いつの間にか尾張の開発をほとんど任されつつある。
実際に開発をするには、政秀さんとか信秀さんとよく話し合って決めているけど。基礎となる計画はほとんどオレたちのものだ。
エルたちが計画して資材の調達などもかなり頑張ったこともあるが、高炉を含む工業村を半年程で始動させたのはこの時代では驚愕のスピードだろう。
現状でやるべきことは他にも津島・熱田・那古野間の街道整備や、総合的な人材を育成する学校に、地域医療と医療従事者の育成研修のための病院の建設。あと工業村の外には、現在建設が進んでいる銭湯町もある。
尾張では農民から職人に河原者まで、暇な人はいないだろう。
「やっぱり清洲城の改築は必要か」
「はい。実際に清洲城での防衛戦が起こる可能性は低いです。しかし、城は権力の象徴であり、領主の力を見極めるバロメーターのひとつになります。織田弾正忠家が尾張を治めると内外に示す城は早急に必要です」
「殿は、あんまり城に頓着しないよね」
「守るより攻めるほうがお好きなのでしょう。私たちの献策を受け入れているのも、そんな攻めの姿勢が影響していると思われます。清洲城も籠城よりは、攻めの城にするべきかもしれません」
城か。この時代だと籠城で敵を防ぐことは有効な戦術だからな。有名なのは北条家の小田原城か。上杉謙信や武田信玄ですら落とせなかったことで、北条家は秀吉の小田原征伐まで勢力を維持していた。
清洲城はそこまでする必要はないんだろうし、地形的にも難しいだろう。しかし尾張にはまだ守護様もいる。誰が尾張の実力者なのかはっきりさせる城は必要か。
「計画だけでも立てて献策してみるか」
「はい。後は那古野の学校と病院を優先します。教育と、医師と医療従事者の不足と医療技術の低さは深刻ですから」
「清洲城に天守は造るの?」
「造るべきでしょう。権力の象徴になりますから。町を拡張する必要もあります。将来的には史実の江戸時代初期にあった清洲城と町並みをモデルにするべきです。まずはその下地として、清洲城の大規模改築と、町割りの変更など必要ですね」
この時代の清洲城って、守護様の館だから天守閣はもちろんないし防備も手薄だ。清洲の町も尾張で一番らしいが、史実の江戸時代初期まであった町よりは小さいらしい。
史実だと那古野に新しく町と城を造るために移されて、なくなっちゃうんだよね。
ああ、去年の戦で清洲城の一部を、金色砲で破壊した部分なんかはすでに修繕してある。清洲の町も一部の焼けたところはほぼ再建した。
冬の間は工業村と牧場に、安祥城と大垣城の改築とか優先したからね。そろそろ信秀さんの居城の整備は必要か。
「そろそろ休まれませんと……」
「戦国時代って、夜が長く感じるよね」
薄暗い蝋燭の明かりのもとでエルと今後の計画を話しながら、少し残っていた仕事を片付けていたけど。もう家臣とか使用人もみんな休んでいる頃だ。
エルと共に寝室に移動するが、射し込む月明かりに照らされて身体のラインがはっきり見えるエルの姿に、思わず見惚れてしまう。
寝室にはすでに他の女性陣がいて、エルは寝間着にと着ている着物をゆっくりと脱いでいく。
明かりはない。でも暗闇に目が慣れると、どこからか射し込む月明かりで意外によく見える。
戦国時代に来て良かったと思える時間かもしれない。
ウチの夜はここからが長い。
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