第百六話・久遠家の一幕
side:久遠一馬
「なにを考えているんだろう」
伊勢守家が割れたのか。弾正忠家への臣従に反対する者が離反して反旗を翻したらしい。
「戦わずして降るのが嫌なのでございましょう。それに伊勢守家が弾正忠家に降れば、その家臣は弾正忠家の陪臣となりまする。立場も下がりますからな。かの者らからすると、大殿に認められて、弾正忠家の直臣になりたいのかと」
ふと出てしまった疑問に一益さんが答えてくれた。
「そこの感覚が理解出来ないんだよね。勝ち負けも読めずに命令にも従わない人なのに、戦が終われば許されて臣従出来ると思ってるのが驚きだ」
「己の家柄や力量に自信でもあるのでございましょう。降伏して臣従することで直臣になることもありますので」
伊勢守家は弾正忠家からの援軍も断り、家中の問題だからと自力で解決するつもりみたい。
まあ伊勢守家の動きは分からなくもないが、離反した人たちの考えはちょっと理解出来ない。そんな勝手な人を信秀さんが必要としていると思っているのかな?
一益さんはそれなりに気持ちを理解するらしいが、オレにはやっぱり分からないなぁ。こんなことばっかしてるから、戦国時代が終わらない気がしてならない。
「殿とは合わぬ者らでございましょうな」
「そうだね。ウチには要らない人だよ」
まだ田植えも終わっていない時期なんだよ。離反した者を戦で鎮圧するらしいけど、知らせが届いて一週間。戦は始まっていない。
さっさと解決してと思うのはオレだけ?
「それにしても、また子供が増えたね?」
「甲賀の里より、また人が来ましたので」
「人質か。本当はあんまり好きじゃないんだけどね。そういうの」
まあ伊勢守家はいいや。早く片付けて山の村を作りたいけど。口出ししたら恨まれるか面倒なことになりそうだし。
それより気になるのは、最近また見慣れない子供が増えたことか。ウチの家臣とかその配下とか、とにかくウチに仕えている人の子供たちには教育を受けさせるために、集めて勉強や武芸を教えている。
その子供の数が最近また増えているんだよね。
どうも滝川家で使ってる忍者の家族らしい。人質とか取るの嫌なんだけどね。滝川家の問題だから、あまり口出しをしていないけど。
「人質と見るか、養っていると見るか、保護していると見るか。見方はそれぞれかと。殿のお考えもありますので、待遇はかなり良うございます」
「まあ、養ってるといえばそうもなるのか。だけど教育を受けさせないと困るだろ。ウチは土地もないしね」
「それでも他ではあり得ませぬ。
素波と呼ばれる忍者もなぁ。創作物に出てくるほど、優秀でも忠実でもないんだよな。一言で言えば野盗や賊と大差のないモラルと仕事らしい。
そもそもが武士ですら乱取りや刈田狼藉が当たり前な時代だ。元の世界では、実力で他人のものを奪い取るなど強盗以外の何物でもない。それを統治者である武士が平然とやっているんだからね。日陰者の忍者にモラルなんかあるはずがない。
「うーん。ちゃんと働く人には、表の身分を与えないと駄目だね。禄も固定の禄と任務の報酬を、きちんと決めたほうがいいかも。あと引退後の仕事も世話しないと駄目か」
「……何故そこまでなさるのでございますか?」
「働きには正当な評価が必要でしょ。それに身分や暮らしが安定すれば、余程の愚か者以外は簡単に裏切らないんじゃない?」
ただ忍者にモラルを求めるのならば、その前に待遇面の改善が必要不可欠だと思うんだよな。単純な報酬だけじゃなくて、身分とか引退後の生活の保障とかさ。
別に自由と平等なんて概念を、この時代で言うつもりはない。ただ最低限の衣食住を保障すれば、神様の如く拝まれるのがこの時代なんだよね。
忍者というより諜報員と考えれば、待遇はもっと良くてもいいはずだ。
「それはそうと、次々と尾張に人が来てるけど、六角家から文句が来ないかな?」
「特に文句が来ることはないでしょう。素波がいずこに行こうと、興味などありますまい。食えねば身内の領内ですら荒らしますからな」
「そうか。なら八郎殿とも話して、ちゃんと働く人で良さげなさげな人から待遇を改善しよう」
忍者の運用は滝川一族にお任せだ。ウチとしてはお金とバックアップをして、忍者をそれなりの組織にする手助けがいいだろうね。
河原者とかもそうだけど、なにかといえば身分やなんかで区別するからな。この時代は。ウチはそんな人材を上手く使わないと。
戦で首を取ることしか考えない人は、ウチには必要じゃないし。
side:太田牛一
「おお、又助殿か。いかがした?」
「実は少々困っておりまして」
久遠家は某の予想を遥かに超えておった。武家とは言えず商家とも言えぬ。南蛮流なのかは知らぬがな。
仕事は山ほどある。久遠家は多くの役目を持っておるが、それを担う家臣がまだ多くない。某に向くような仕事が多く働き甲斐はあるが。
「大和守家の元家臣から、一族の子弟を久遠家に仕官させてほしいと頼まれてしまいましてな」
「またか。実はわしのところにも来ておるのだ」
ただ懸念は、久遠家が弾正忠家に次ぐ力があることを、尾張の者たちが気付き始めたことであろう。
元々守護様の家臣だった者たちは守護様が口利きをして弾正忠家に仕えたが、大和守家の元家臣らは冷遇されておる。
理由は幾つかある。弾正忠家が清洲を落した直後に久遠家が流行り病対策に乗り出したのだが、お方様が指揮を取るのを不服として従わなかった者が出たことがひとつ。
それと大和守家の領内で行われた検地で、これまた従わぬ者がいたこともある。
おかげで織田の大殿は、大和守家の家臣をあらゆる役職から解いて冷遇しておるのだ。所領の安堵はしており、文句を言うのは筋違いのはずなのだがな。
領主が代わり役職を解かれた者など、商人は見向きもしなくなる。なにかと贅沢をしておった者は不満を感じるが、出来るのはせいぜい愚痴を溢して、一族の子弟を弾正忠家の有力な家に送ることくらいだ。
ただ、久遠家は尾張の者とはあまり繋がりがないので、某のように顔を知る程度の者にまで、久遠家への仕官の取り次ぎを頼む始末だ。
「やはりそうでしたか」
「申し訳ないが、大和守家の元家臣は今のところ受け入れておらん。最初の数人は殿が会われたのだがな。家柄を笠に着たたわけ者がおってな。以降は会わなくなられた」
「なんと愚かな」
「殿は商人でわしは土豪。家柄を自慢するような者は邪魔にしかならぬ。それに当家は秘することが多いからな。半端に血筋や縁戚が複雑な武士よりは、農民の子のほうがまだ使いやすい」
まあ取り次ぎをしてやる義理もないが、話だけは通しておこうとしたが、すでに騒ぎを起こしておったとは。道理で新参者のわしにまで話が来るわけだ。
「又助殿は守護様の感状もあったし、家柄を自慢するような真似はしなかったからの」
「では無理だと断っておきまする」
「そうしておくといい。ああ、銭やなんやらと半ば無理やりに貰っておるなら、殿に報告だけはしておけ。返せとも寄越せとも言われぬが一応な」
滝川殿は近江から来た新参者。端から見ても久遠家は人が足りぬように見えるのだろう。今ならば久遠家で重用されると勘違いしたのであろうが。愚かな。
殿も織田の若様も滝川殿を信頼されておられる。恐らく誰が来ても滝川殿の下にしか置かれまい。
実のところ滝川殿は殿にも久遠の家にも、よく尽くしておる。代わりは容易く見つかるまい。
現状の久遠家では人手は足りぬが、安易に家臣も増やせぬと。
家柄を自慢するような者は素直に余所者には従わぬしな。大和守家の元家臣らは戦で手柄を立てるか、このまま没落するか。
こうして見ると守護様が、家臣を弾正忠家に仕えさせたのは正しかったのかもしれぬな。
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