第百五話・伊勢守のゆくえ

side:佐治為景


「久遠船の扱いはいかがだ?」


「これは殿。扱いは難しゅうございますが、慣れれば良い船でございます」


 久遠殿から教わった南蛮の技で改造した船は素晴らしい。今までの船より速く安定しておる。操船に慣れるのに少し苦労するが、いい船か。


「帆や器具は少々値が張るが、一から造るよりは安上がりだな」


「ハッ。木綿の生地の値を考えれば、おそらくは安く融通してくれているのでしょう」


 なにより今ある船を使える技を教えてくれたことには、感謝せねばなるまい。いつの間にか家中では改造船を、南蛮船でも日ノ本の船でもない久遠船と呼ぶようになっておった。誰が言い出したか定かではないがな。


「この船ならば、堺まで一日と掛からぬでしょう」


「とんでもない船だな。速すぎて使えんとは笑い話ではないか」


「まことに。その通りでございますな」


 久遠殿が、この船を交易には当分は使わないでくれと言うた意味がよう分かった。


 騒ぎになるのは明らかだ。各地の水軍が目の色を変えるであろう。それに各地の湊に立ち寄ることが減れば、かかる銭も減る。運ぶ我らは良いが、湊を持つ者は騒ぐはずだ。


「久遠殿と我らで、周囲の水軍を制するだけの戦力が整うまでは使えんな」


「服部水軍は、さぞ面白うないでしょうな」


「あそこは織田嫌いだからな。我らの臣従と久遠殿が津島に南蛮船を置いてからは、実入りも減る一方であろう」


 すでに影響は出ておる。津島から近い市江島の服部は水軍を持つが、我らが織田に臣従して津島近海も勢力圏に収めて以降は、通行税を取れなくなり不満を口にしておるとか。


 元々織田に水軍らしい水軍はなかったので、津島に行く船から勝手に税を取っておったのだ。


 久遠殿も威嚇のためか、少し前から南蛮船を一隻津島に置いておるしな。動かさずとも服部水軍は南蛮船を恐れていよう。 もちろん我らも服部水軍ごときに遠慮する気はない。


「織田の殿は服部を臣従させるのでございましょうか?」


「さて。いかがであろうな。伊勢守家が片付けばあるいは……。ただ、あまり眼中にないのかもしれん」


 水野殿が織田に臣従すると言うてきた時に一緒に臣従して良かった。服部水軍と我らは船の数が違うが、それでも立場が逆になれば、我らが久遠殿と服部水軍に圧迫されていたかもしれん。


 織田の殿からは、久遠殿に力を貸してやってほしいと言われただけだ。服部水軍のことなどまったく言われておらぬが、織田と敵対する服部水軍に近場でうろちょろされるなど、我らの沽券に関わる。


「まあ、じわじわと締め上げてやればいい。他の伊勢の水軍とは上手くやっているのだ。懸念はあるまい」


 服部水軍の件は織田の利となり我らの利となる。臣従したのだから我らの力を見せねば。




side:織田信安


「皆の者。この度、守護様の仲介で弾正忠家と和睦することにした」


「なっ!!」


「戦ではなかったのでございますか!」


 猪之助は見事に話を纏めてくれた。守護様が仲介して弾正忠家と和睦をする。


 内容は守護代の返上と、織田の総領を弾正忠家にすると認めること。いささか降伏に近いものだが、領地は現状のままと言うのだから悪い話ではない。


 犬山のような弾正忠殿と近い領主や、弾正忠家と当家の双方に臣従姿勢を見せておる者は、弾正忠家に持っていかれるだろうがな。実入りはさほど変わるまい。


「なりませぬぞ! 殿は騙されておるのでございます!」


「必ずやすべてを奪われ殺されまするぞ!」


 異を唱えるのは一門衆と武辺者か。黙りこむ者もそれなりに多いが、和睦を表だって喜ぶ者はおらぬな。わしとて同じだ。心から喜ぶわけではないが、猪之助の言う通り。先の見えぬ戦は誰のためにもならぬだろう。


「それは言い過ぎであろう」


「そうだ。元々我らと弾正忠家の関わりは良好だったのだ」


「まあ、弾正忠家との力の差を考えれば、立場をはっきりさせる時が来たということなのでございましょう。仕方ないの一言に尽きるかと」


 激高して声高に異を唱える者の声は大きいが、それを諭すように理解をする者も声を上げ始めた。ずいぶん前から力の差ははっきりしていたのだ。


 まだ大和守家がおれば、相応に守護代として振る舞えたが。大和守家がない今、わしが守護代として振る舞えば遅かれ早かれ弾正忠家とはぶつかる。


「元々織田一族が分裂しておったせいで他国に付け入る隙を与えたのだ。それに弾正忠殿がおらなければ、今頃、我らは今川を殿と呼んでおったのかもしれぬ。今川よりは織田一族の弾正忠殿を主君としたほうがいい」


 苦渋の決断だな。だが猪之助の言う通り、わしには尾張を纏め今川や斎藤と戦うなど無理だ。頃合いなのだろう。


「誰だ! 殿を騙して良からぬ入れ知恵をしたのは!」


「伊勢守家の誇りはいかがなる!」


「わしは認めんぞ!!」


「黙れ! わしに逆らう気か!!」


 こ奴らめ。己が責めを負うわけではないからと、好き勝手に騒ぎおって。今まで弾正忠殿を恐れて、大人しくしておった程度の輩が!


「それほど戦がしたくば、そなたたちでやればよい。今すぐ出ていけ!!」


「なっ! 長年尽くしたわしらにそのような言い方をするとは…… 信秀に臆したか!」


「ならばわしは好きにやらせてもらう! 臆病者と思われとうないからな!」


 家中が割れたか。この程度で割れるということは、戦をすればいかがなったことか。口惜しいが戦では弾正忠殿には勝てん。


 いなくなったのは一門の数人と元々勝手をしておった小領の者か。


「殿。このままではいけませんぞ」


「誰が好き好んで頭を下げるものか! 殿の苦渋の決断も理解出来ぬたわけどもが!」


「ふん! 奴らは己で責めを負わぬから好きに言えるのだ。戦の噂が立って以降、我らの領内では物の値が高騰しておる。だが弾正忠家の領内ではそうでもないと聞くぞ。戦う前から力の差が明らかではないか!」


「確かにの。戦をして臣従というのは我ら家臣ならばいい。されど殿の立場を考えれば、弾正忠殿の義弟として扱ってくれる今のうちに臣従すべきじゃろうな」


「殿。陣ぶれを。謀叛人は我らの手で片付けねばなりませぬ!」


「ちょうどよい機会ですな。我らが臆病者でないと示してみせましょうぞ!」


 こんな形にはしたくはなかった。だが付いてきてくれる者たちがおることを喜ぶべきかもしれぬ。


「よし。陣ぶれだ! 猪之助は弾正忠家に走れ。我らが謀叛人を始末するのを誤解されてはたまらん」


「はっ!」


 戦しか頭にない愚か者どもだが、最後の最後で役に立ったな。弾正忠殿や弾正忠家の者たちに、断固たる決意を見せる機会を与えてくれたのだから。




◆◆

 久遠船。


 久遠船とは戦国時代中期から末期に登場した船の名称である。


 戦国武将であり海洋商人でもあった久遠一馬より、知多半島の佐治水軍に伝えられた船である。


 基本的な船体の構造は竜骨を用いない伝統的な和船の構造であるが、船底にセンターキールを追加し、操舵と帆を当時南蛮船と呼ばれていた西洋船の技術を流用した船になる。


 製作経緯は分かっていないが、この船を設計したのが一馬の妻で船の方こと久遠鏡花であることは当時の資料から明らかである。


 伝統的な和船を利用しながらも、西洋技術を取り入れたこの久遠船は、当時の佐治水軍の実情に合わせたもののようで、佐治水軍の発展の礎と言われている。


 久遠船の名称自体は佐治水軍が考えたようで、久遠家の船という意味からいつの間にか定着したものと思われる。


 あまりの性能の良さに佐治水軍では、当初おおっぴらに使えなかったとの伝承が残るほどで、船外機などの動力が普及するまで日本で広く使われた船になる。


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