第百四話・揺れる伊勢守家
side:山内盛豊
「殿。よろしいでしょうか」
「
夜も更けた頃、わしは密かに殿のもとを訪れた。
「弾正忠家とのことです。考え直されませぬか?」
「その方は反対か?」
「はっ、清洲の町を見て感じました。以前よりも活気があり、人々は弾正忠殿を早くも受け入れている様子。町も焼けた跡など見えず再建されており、敵わぬかと思いまする」
深夜の来訪に殿は少し
用件は他でもない。弾正忠家とのことだ。一戦交えぬうちに臣従など出来るかという家中の者らの心情は理解する。されど勝てぬ戦をしてなんになるのだ。
仮に勝てぬまでも奮戦出来ればいい。伊勢守家の誇りを見せつけることが出来れば、臣従しても皆が納得する形になろう。
されど、無様な負け方をしたらいかがするのだ?
「殿が自らの力で尾張の統一をお考えならば、某もこのようなことは言いませぬ。されど……」
「尾張の統一か。考えたこともないな。上四郡の守護代と言えば聞こえはいいが、犬山を筆頭に上四郡ですら治めることが出来ておらぬのだ」
なにより懸念するのは、殿が戦の先をなにも言わぬことだ。弾正忠家を倒し、織田の総領はご自身なのだと世に示して尾張を統一する。そのくらいの夢と気概があれば、わしも家臣も付いていくだろうが。
戦とて弾正忠殿が引いて、臣従をさせることに傾けばいい。されど勝てば余計に怒らせ、臣従どころではなくなるのではないのか?
「だが、ここで折れれば臆病者の
「臆病者の謗りならば、次の戦で晴らせばいいではありませぬか。愚か者と言われたまま家を潰しては、なにも残りませぬ」
「猪之助……」
「伊勢守家の現状は殿のせいではございませぬ。それに申し上げにくくございますが、弾正忠殿は格が違いまする。水野も佐治も戦をせずに降りました。なにも恥じることはございませぬ」
あの愚か者さえ出なければ、数年は様子が見られたであろう。だが伊勢守家の衰退は殿のせいではなく、弾正忠殿の隆盛は弾正忠殿の手腕だ。大和守家の二の舞にはさせられぬ。
「しかしな……」
「某を臆病者と思うならば、今ここで斬り捨てていただいて構いませぬ。されどいずれは臣従をとお考えならば、無用な戦はお止めください。品野・美濃・三河には、まだ弾正忠家に心から臣従したわけではない者がおります。今ならば臣従の価値は高いと思われます」
そもそも弾正忠殿は、なにがあっても許さぬとは言うてはおらぬ。順序が違うとは言われたがな。
外にも内にも弾正忠家にはまだまだ敵はおる。今ならばまだ我らが臣従する価値はあるはずだ。所領は減らされるであろうし、家臣も離れるであろうが家は残る。
「だが、もう戦をすると言うてしまったぞ?」
「殿は弾正忠殿が戦を望むならば、受けて立つと言われたのみ。裏で弾正忠殿と交渉しようが誰も文句は言えませぬ。戦を望む者は悪くても武功を立てれば、己は生き残れると考えておるだけのこと。されど殿は戦をすれば責めを問われまする」
「策はあるのか?」
「平手五郎左衛門殿と交渉致します。名誉ある臣従を。それだけを願えば、悪いようにはならないかと」
「……分かった。猪之助。その方にすべてを任せよう」
「ありがとうございまする。必ずやよき形で纏めまする」
よかった。本当によかった。殿はまだ冷静でおられた。さっそく話を纏めねば。家中の愚か者どもが騒ぎ出す前に。
side:久遠一馬
「へぇ。流れが、変わりましたね」
「どうやら山内殿が、伊勢守殿を説き伏せたようでしてな」
晴れ渡る春の陽射しの下、オレはエルと共に政秀さんに呼ばれて、那古野城下の政秀さんの屋敷にて、
野点とは野外での茶道のことだ。先日には明のほうの陶磁器を家中にばらまいたからね。政秀さんから茶の湯でもと誘われたんだ。
仕事も出来て文化的な活動も得意な、本当のスーパーお爺ちゃんだね。
メンバーは他には信長さんだけ。あとは人払いで遠ざけられた。何事かと思ったら、伊勢守家が臣従すると言ってきたらしい。
てっきり戦になるとばっかり思っていたんだけど。エルは知っていたっぽいな。虫型偵察機でも使ったか?
「親父は受けるのか?」
「そのおつもりのようでございます。もともと伊勢守殿は、あまり野心もない御方。それに妹婿ですからな。無下にも出来ませぬ」
意外な流れだけど、信長さんは少しホッとしたっぽい。そう言えば信安さんと交流があると歴史にあったような。
「形式としては守護様が仲介する形で、織田の総領を弾正忠家とすることを伊勢守殿が認める。守護代の地位を返上することで纏まりそうでございます」
いろいろと準備してたのに、戦がなくなるとは。いいことなんだけど弾正忠家に中央集権化していくことを考えると、一概に良いとも言い切れないかな。
とはいえ史実の伊勢守家を考慮すると、徐々に衰退していく気もする。
「伊勢守家が割れなければいいのですが……」
ただ、ここでエルが不穏なことを口にした。
「割れるかもしれぬと?」
「はい。こちらが探った限りでは、未だ戦支度をしてる者もおります」
「ふむ。少しくらい割れたほうが、こちらとしては御しやすいですな」
確かに忍びの皆さんの最新情報では、伊勢守家の家臣たちは戦支度を止めてはいないんだよね。
和平工作をしている山内さんと、戦支度をしてる家臣たちがいると。これが策略なら大したもんだけどね。
政秀さんは割れてもいいと余裕の表情だ。もしかして調略でもしているのかな? しているだろうな。ただ待ってるだけなわけがないか。
「それはそうと警備兵の件は、どうなりそうですか?」
「その件は異論はない。殿も乗り気じゃ。まずは、清洲に五百名ほど、那古野に二百名ほどを用意してみよと仰せだ」
「わかりました。訓練と警備でそのくらいは必要でしょう」
まあ伊勢守家のことはいいや。警戒する必要はあるけど、大きくこじれておかしなことにはならないだろう。
ウチとしては警備兵構想のほうが重要だ。信秀さんには先日献策をしていて返事を待っていた段階だ。
現状で工業村の警備兵が二百人いて、牧場の警備兵はウチで今年に入り新規に召し抱えた百人がいる。清洲と那古野を合わせると千人の警備兵が出来る。
まずは、清洲と那古野の治安を早急に安定させないと。流民が増えると確実に治安が悪化するからね。先に手を打たないと、流民を追い出せと言う人が現れそうだからなぁ。
治安維持は国の基本のひとつだ。警察権を織田家で握るのは中央集権の一歩でもある。
これで一歩前に進むね。
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