第百三話・伊勢守家の決断

side:織田信安


「やはり駄目か」


「はっ、申し訳ございませぬ」


「よい。分かりきっておったことだ」


 弾正忠家との交渉は不調か。


 当然だな。向こうからすれば伊勢守家を降す絶好の機会。わしが弾正忠殿でもすぐには返すまい。


 今の弾正忠家には勢いがある。伊勢守家を叩くには今しかあるまい。農繁期なので戦をするのはいかがかと思うが、見方を変えれば今ならば今川も斎藤もすぐに動くとは思えぬ。


「そろそろ決めねばならぬな。従うか、戦うか」


「殿。もし戦うならば美濃の斎藤家と同盟するのもひとつの手かと」


 単独では勝てまい。美濃の斎藤利政と組むか? だが奴を信じてよいのか? 主を平気で暗殺したと噂の男ぞ。今川のほうがまだ信じることが出来るが、今川はちとまずい。


「いっそ当家が仲立ちをして、斎藤家と今川家と三家で同盟をしてはいかがじゃ?」


 三家の同盟か。同盟がなれば、確かに弾正忠家に対抗出来よう。されど、今川はまずいのだ。


「そう都合よく同盟を受けるか? それに今川は守護様の仇敵のようなものぞ。そんな同盟をしてみろ。守護様まで敵になるぞ!」


 そうだ。尾張の先代の守護様が没落したのは、今川家が斯波家領国であった遠江を奪ったのが原因だ。今の守護様とて許してはおるまい。


 近年は名ばかりとはいえ守護は守護だ。伊勢守家から守護代の職を取り上げられ、弾正忠家を新たな守護代家に任ずれば、弾正忠家と戦う大義名分すら消えてしまう。下手をすれば、弾正忠家に臣従することを強要されかねん。


 それにまことに弾正忠家と戦をするとなった場合、皆は戦う気があるのか?


「ふん! 虎だの仏だの騒がれても、運がいいだけではないか! 信秀の首はわしが取ってやるわ!」


「たわけ! 兵の数が違いすぎるわ!」


「なんだと!?」


「止めぬか、いずれにしろ一戦交えねばなるまい。たかが愚か者ひとりのことで戦わずして降ったとなれば、末代までの恥。戦に負けて降ったならまだ諦めもつく」


「確かに、降るのは仕方ないにしても、このまま降るのはな」


「待たれよ。戦をして家が残るのか!? 大和守家は滅んだのだぞ!」


「そうだ。弾正忠が伊勢守家を残すとは思えん! 今なら所領を大きく減らすまでは出来ぬはずだ」


 家中は割れたか。戦を望む者。戦を望まぬ者。最後まで弾正忠家と戦うべきだと言う者。力を温存して降るべきだと言う者。まとまりそうもないな。


 徹底抗戦を叫ぶ者は小領の者が多いな。伊勢守家の行方よりも手柄を欲するからか。力の差が見えておらぬからか。手柄さえ立てれば弾正忠家に従っても生きていけると考えたのだろうな。


 いかがする? 義兄殿に勝てるか? いや、勝てなくてもよい。伊勢守家の力を見せつけることは出来るのか?


「そういえば、噂の南蛮崩れの金色砲とやらはいかなるものなのだ? 雷を呼び城を焼き尽くしたと噂だが」


「分かりませぬ。ですが清洲が一夜と持たずに落城したのは確かでございます」


 気になるのはもうひとつ。清洲城を僅か一日で落としたことだ。雷の神が味方しただの、南蛮妖術を用いただの、訳の分からぬ噂ばかり聞こえてくる。


 事実とは思えぬが、清洲城が一夜で落ちたのは確か。


 ……悩む。悩むが、戦はせねばならぬか。ここで戦わずして降れば、確かに臆病者や愚か者のそしりを受けよう。


「美濃とも今川とも同盟はせぬ。弾正忠殿が戦を望むならば応えようではないか」


「はっ」


 割れておった家臣たちも一応従ったか。だが内通や離反に気を付けねば。一戦交えて勝てば流れも変わる。負けたら籠城してまた考えればよい。


 命までは奪われぬであろう。




side:久遠一馬


 尾張は戦の話題で持ちきりだ。信秀さんは戦をするとはまだ明言していないけど、戦になるとみんなが思っている。


 庶民は戦の名目や大義名分より、弾正忠家と伊勢守家の戦でどちらが勝つか話題にしているみたいだけど。今のところ弾正忠家が優勢だという噂が多いらしい。


「物価が上がり始めましたね。米・雑穀・塩・味噌など値上がりしてます」


「戦になると踏んだ商人が、ひと儲け企んでいるわけか」


「岩倉城が兵糧を集め始めたことで、一気に値上がりしたようでございますな」


 まあ戦はいいんだ。仕方ないし戦力的にも問題はないから。


 問題は物価が無用に上がっていることだ。ただ忍び衆の調べでは弾正忠家の領地はまだいいほうで、岩倉の領地のほうが値上げ幅が大きいらしい。


 伊勢守家が戦の準備を始めたからだろう。弾正忠家はまだ動いていないけど、領境を事実上封鎖したからね。


「弾正忠家の領内で特に値上がりしておるのは清洲でございます。あそこは人が多いのと、大和守家がなくなったことで損をした商人が多ございますからな」


 この日ウチではオレとエルたちに、資清さんと一益さんと太田さんを交えて物価と戦の話をしている。


 清洲の事情に詳しいのは太田さんだ。元々守護の斯波義統しばよしむねさんの家臣だったからだろう。


 太田さんは細かいところによく気が付くし、勉強熱心だ。ウチのやり方はこの時代の武家とも商家とも違う独自のやり方だけど、太田さんは資清さんに付いてよく勉強しているんだよね。


 伊達に史実で織田信長が側近にしたわけではないようだ。


「物価が上がるのは困るんだよね。せっかく領内が安定したのに」


「弾正忠家は籠城は考えなくてもいいので兵糧も銭も十分あります。しかし家臣は微妙ですね。あまり後先を考えないようですから」


「土豪など、そのようなものでございます。無駄に誇りだけは高いので、商人の言い値で兵糧の売り買いをいたしますから」


 エルの懸念に資清さんは仕方ないと言いたげだ。現状ではどちらかと言えば、戦そのものより物価の話のほうが重要だ。


 需要と供給のバランスで物価が上がるのならば構わないが、この時代だと流通が未熟すぎて、商人たちの思惑で物価が変動しちゃう。


 まあ武家も困ったら商人に矢銭を出させたり徳政令を出すから、気持ちは分からないでもないけどさ。


 それと困るのは資清さんも教えてくれたが、家臣の領地経営だ。どんぶり勘定の無計画経営が割とよくあるらしい。


 弾正忠家ほどになれば文官もいるし、そこまで無計画じゃないみたいだけど。商人に上手いこと高い兵糧を買わされたら、借金になってしわ寄せは領民に行くことになる。


「殿に献策するか」


「兵糧は弾正忠家で一手に用意するほうがいいでしょう。私たちで安いところから買い入れできます」


「商人のほうは津島と熱田の商人には、その話を流せばよろしいかと。商人らも値が下がる前に放出するなり、対策が出来ますからな。恩を売れましょう」


「清洲の商人は些かやり過ぎでございますからな。痛い目を見た方がよいでしょう」


 エルと資清さん太田さんの意見をまとめて献策する。あと乱取りと刈田狼藉は今回も禁止したほうがいいね。後始末が大変になるだけだ。


 戦の兵糧も一般的に最初の三日は各自で持参して、それ以降は動員した人が出す慣例があるらしい。ただし戦費を節約するには、弾正忠家で用意するほうがいいんだろうな。


 家臣にどの程度負担させるかは信秀さんが決めるとしても、無駄な戦費は掛からないようにしないと。


 伊勢守家の岩倉城は近いし、ついでに補給と輸送のテストも出来るかな?


 無駄に物価を上げた商人には痛い目に遭ってもらい、悪質な人は今後要注意人物としてマークもするか。


 それにしても清洲の併合から半年も過ぎていないのに、岩倉の併合は早すぎるな。やっと清洲が安定して上手く纏まり始めたのに。




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