第九十話・遠慮したら出世をした男
side:今川義元
「面白くないのう」
織田の勢いが止まらぬ。これが戦ならば、まだやりようがあるのじゃがな。
「されど
確かに予想通りと言える。面白くないがな。矢作川の向こうは安定しよったし、他の西三河や東三河も揺れておる。
「わしや信秀より、たわけどものほうが今川と織田の戦を望んでおるのは、皮肉なことよの」
「今川と織田が潰し合えば、好機になる。その程度のことしか考えられぬうつけなど、気になされますな」
三河と遠江を含めれば、それなりの者が織田との戦を望んでおる。
ある者は手柄を、ある者は乱取りに刈田狼藉を期待して。じゃが憎らしきは、今川と織田が潰し合うことを好機と考える者が多いことか。
わしと信秀に共通するのは、潰し合いなどする気がないことであろう。隙あらばと思うが、無理押しをして得るモノなど互いに
「安祥を落とすには、一万では足りぬであろうな」
「仮に一万で落とせたとしましょう。されどこちらの損害が二千や三千も出れば、それは大敗に等しき勝利となりまする」
噂の金色砲とやらがいか程の武器かは知らぬが、安祥勢は見知らぬ矢を放つ武器を使うと聞く。一筋縄ではいくまい。安祥城も随分改築したようじゃしな。
城ひとつに二千や三千もの損など出せぬわ。それでは大敗とおなじではないか。
それに松平広忠とて人の親。いつ織田に降るか分からぬというに。松平の人質どもを前線で使い潰すくらいなら構わぬが、奴らが纏めて裏切らぬとも限らぬ。
つまり三河勢は信用出来ぬということか。ならば駿河と遠江の軍勢が主力となるのか? 駿河はともかく遠江には、織田に期待する輩もいよう。やはり難しいな。
「北条も弱くない。武田は貧しくて攻めたくもない。せめて三河を平定出来ればな」
「それは今しばらくの猶予を」
結局、三河を押さえるのが優先じゃが、それには今しばらく時が必要か。
織田との取り引きは相変わらず盛況じゃ。憎らしいが儲かるので止められぬ。信秀がそれ以上に儲けておるとしてもな。
「そういえば離間の計はいかがした?」
「家中に多少不和を与えられたかという程度でございましょう」
「やはりその程度か」
「戦でもして大敗すれば、織田が割れる種になるやもしれませぬが……」
雪斎が信秀と久遠とやらの離間の計を致すと言うので、少し期待したがやはり失敗か。大敗すれば家中が乱れ割れるはよくあること。信秀が出所が分からぬ噂を信じるような奴ではないのは、分かりきっておったがな。
巷では織田と今川が同盟を結ぶと噂があると聞く。今のところその気はないが、現状でも和睦しておるようなものだからの。
いっそ織田と手を組み東に行くか?
いずれにしても悩み処じゃな。
side:滝川資清
「すまぬが硝石を売るには大殿の許しがいる。清洲へ行き大殿の許しを得られよ」
「そこをなんとか。滝川様のお力でお願い致しまする」
「決まり事は曲げられぬ。幾ら積まれてもな」
思わずため息が出るのを抑えられなかったか。わしもまだまだ未熟じゃな。
たった今までわしのもとにおったのは、尾張でも名の知れた伊勢の商人だ。昨年の今ごろならば、わしなど会うことすら出来なかったであろう大商人様だ。
それが今では向こうから那古野までやってきて、わしに大金を積んで頭を下げる。駄目だというのに大金を置いていくのだから困る。
商いは殿と奥方様たちがなされておる故、わしは差配などしておらぬというのに。確かに商いの事情も知ってはおるがな。
「へぇ。随分置いていったね。貰っておいていいよ」
商人たちはわしに顔を売ろうと、あの手この手で手土産を持参してやってくるのだ。おかげでわしは土産長者にでもなりそうな勢いだ。
世の中には甘い話などない。商人たちは銭や土産はいずれ儲けるきっかけと考えておるのだろう。それゆえわしは殿に報告をするが答えはいつも同じだ。
元手も要らぬ、苦労もわしの心労ひとつ、得られた土産はすべて報酬となる。織田家の陪臣の中で、一番裕福になってしまった気がする。
このままでは駄目だな。一度殿に話すべきだ。
「殿。そろそろ。ご本領より家老を呼ぶか、若様より正式に家老を推挙頂くべきです」
「家老ねぇ。八郎殿でいいんじゃない? 島から呼んでもこっちの風習とか詳しくないし。ねえ、若様」
「そうだな。八郎で良かろう」
新参者のわしにここまで任せてくれるのは有りがたいが、さすがに久遠家は大きすぎる。この先、更に大きくなるのは明らかなれば、正式に家老を決めるべきだと思うのだが。
殿と若様がおられる時にご意見したらば、悩む間もなく、わしに決められてしまった。元々ただの土豪なれば、身分が合わぬのだがな。
「八郎殿。どうか某を使ってくださらぬか?」
結局、わしが家老になってしまった。
まあ、それはいい。やることは変わらぬのだ。 近頃は新たに仕官した太田殿が細かい仕事を手伝ってくれる故に、多少は楽になったしな。
懸念は久遠家ではなくわしに仕えたいと、甲賀の里から顔なじみが来ることか。
とうとう久遠家の名は、甲賀の地でも知られ始めたか。恐らく誰かが六角家に命じられて探りに来たのであろうがな。
故郷の者は皆、わしが小者か素破として尾張で仕えておると思っておったのが、武士どころか厚遇されておれば、目の色が変わるのも無理はない。
「予め言うておく。いずこかに頼まれて、潜り込むために来たのならばすぐ帰れ。今ならば追わんし追及もせん。我ら滝川一族郎党は久遠家のためなら喜んで死ぬ。むろん仕えてからの裏切りは許さぬ。地の果てまで裏切り者の一族郎党を追い掛けて、必ずや根絶やしにするぞ」
「八郎殿……」
「外を見るがいい。我ら滝川一族ばかりか郎党の子たちも等しく扱い、武芸や学問を教え食わせて頂けるのだ。大恩ある殿に迷惑はかけられぬ」
目の前の者は誰かに命じられて来たわけではあるまい。
だが、久遠家で見聞きしたことを、外に漏らされては困る。ほんの半年ほど前までは、共に田畑を耕しておった顔なじみなればこそ、最初に厳しく言うておかねばならぬ。
庭ではちょうど子供たちが、元気に槍の修練をしておる。あの子供たちのためにも、ちょっと稼ぎに来た程度で来られては困るのだ。
「もし本気ならば一族郎党とまでは言わぬが、家族くらいは連れてこい。人並みの暮らしは保障するし、働き次第では殿に推挙する。お主の子もあの中に入れよう。無論裏切れば家族の命はないがな」
「少し考えさせてくれ」
「ああ。それが賢明だ」
やれやれ。本当に困ったものだ。あの暮らしから抜け出したい気持ちは分からぬではないがな。
「あの者を探りまするか?」
「よい。昔のよしみだ。それより岩倉はどうだ?」
「家中が割れておりますな。危ういかもしれませぬ」
「無理をせずともよい。このまま見張れ」
「はっ」
同じことを言うて本当に一家で尾張に来た者も、多くはないがいる。当面は外で使って様子を見るために、岩倉と美濃と三河に送ったが。
むろん殿の許しは頂いておる。殿からは無理をさせぬことと、裏切らぬように人並みの暮らしをさせるようにと、言われておるからな。
まだ身分は与えてはおらんが、暮らしは楽になっただろう。
まるでわしが伊賀の上忍になったようでやりにくいが、立場を得てみると上忍の苦労が分かるな。
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