第八十九話・残す者
side:久遠一馬
農業試験村では塩水による種籾の選別を行った。村の人たちは半信半疑だったみたいだけど、中身が詰まった種がいいと言えば一応理解してくれたみたい。実際に選別した種籾を割ってみて中身が詰まっているかも見てもらったからね。
これはそんなに手間じゃないしね。後は
それと政秀さんが上京の準備を始めている。
この時代だとあちこちに、根回ししなきゃいけないみたいだ。
今の将軍は室町幕府十三代将軍、
時の権力者は管領の
ここに六角や畠山とか、畿内の大名や寺社が関わるもんだから、さあ大変。
ぶっちゃけこの時代の畿内は複雑怪奇な状況だ。諸勢力が和睦と対立を繰り返して争い戦をする。まあ今の争いの中心は細川晴元と足利将軍らしいけど。
信秀さんも政秀さんも、詳しい情報は知らない部分も多いみたいだね。
諸国を移動する商人なんかから情報が流れてくるけど、不確かでいい加減な情報も少なくない。
まあ目的は朝廷にウチの鏡とか献上するだけだから、道中の諸勢力に事前に許可を貰い上京するだけでいいみたいだけど。
畿内の争いに巻き込まれぬように上京して献上する。大変な苦労がある仕事なんだろう。
オレは献上品を用意するだけだから、楽だけどね。
「これは結構な重さでございますな」
「威力は前のよりあるんだ。ちょっとした城門や板塀なんて、壊しちゃえるくらいかな。金色砲は陸だとやっぱり使いにくいし」
それと岩倉城の織田伊勢守家がちょっとゴタゴタしているみたいで、信秀さんに命じられて戦の準備もしている。
この日は三十匁の火縄銃五十丁、取り寄せたのが届いた。
重さは十キロオーバーで、玉が三十匁になる史実の抱え大筒といえる代物だ。射程が百メートルなら城門も破るみたい。
一益さんに試し撃ちさせてみたら、重いと言いつつ軽々と撃ってるように見えるんだが。
「家中では撃ち手が足りませんな」
「殿と若様の兵で、大筒隊にしようと思う」
「それがよろしいかと存じます」
この三十匁の抱え大筒はウチでは運用しないで、信秀さんか信長さんに運用してもらう予定で話をしている。
これはエルからの提案なんだけど、あんまり新兵器をウチで運用してばっかりだと、他の家臣によく思われないからね。
「金色砲は使われませんので?」
「使うよ。使える場所なら。でも運んでいるうちに、戦が終わったなんてなったら困るからさ。場所によるかな」
金色砲は元々ガレオン船に搭載する目的で作った青銅砲だから、威力や射程はともかく、城や砦に据え置く以外に陸上運用には向かない。
なので史実の四斤山砲や12ドイム臼砲を参考に、運搬を考え陸上で少しは便利な軽量砲を投入する予定で考えている。
ちょっと歴史を先取りするけど、犠牲が出たり戦が泥沼になるよりはマシだろう。投入時期は慎重に考えなきゃならないけどね。
抱え大筒は佐治さんにも、普通の火縄銃と硝石と玉をセットで幾らか送った。船でのテストと戦術の研究をしてもらうという名目で。
水軍の船乗りにも火縄銃に慣れてもらわないとね。火縄銃は試しに取り寄せた数丁を保有しているみたいだけど、使っていないみたいだったからさ。
ウチは陸上で精一杯だから、水軍の方は佐治さんに頑張ってもらわねば。
「これは馬か?」
「いえ、ロバという海外の小型の馬の一種ですよ」
そしてこの日は抱え大筒と一緒に、ロバとヤギが来た!
ロバは大陸に昔からいて、日本に何度か持ち込まれたらしいが定着しなかったみたい。ヤギは琉球や九州の一部にはいるらしいけどね。
ロバは元の世界だと牧場なんかで時折見掛ける程度だけど、環境適応力があり不整地にも強い。必要な餌も少なく粗食にも耐えるから、日本に向く家畜なんだ。
「大きな馬を持ってくるのではなかったのか?」
「大きな馬はそれだけよく食べます。いずれ輸入しますが、現状ではロバを優先するほうがいいです。粗食にも耐えますし、ほとんどどこでも生きていけますから」
新しい馬が来たと聞いた信長さんは、ロバを見て予想と違ったのか少しがっかりしちゃった。
ただ見映えがして戦にも使える中型から大型の馬より、ロバをエルは優先させたらしい。オレも任せてたから、今説明されて初めて知ったんだけどね。
「こちらはヤギと言います。同じく粗食に耐え、山などでも飼える家畜ですね。乳も飲めますし、肉も食べられますし、皮も使えます。肉は少し癖がありますが」
ヤギを見ると某農業アイドル思い出すなぁ。
オレとしては素直に牛を増やしたかったんだけど、貧しい農村なんかに貸し与えるには、現状ではヤギのほうがいいらしい。
元の世界だと沖縄にヤギ料理あるけど、オレは食べたことはない。癖があるというけど、鹿や猪を食べている戦国時代の人だと、気にしないで食べちゃうんだろうな。
「いろいろあるのだな」
「日ノ本より厳しい場所でも生きてるものたちですからね。役に立ちます」
信長さん的にはやはり今一つ喜びはないらしい。でもエルに口で勝てないのも理解しているようだ。
大型の馬に乗ってみたいんだろう。それとなく馬を催促してるように見えなくもないけど、それ以上要求はしない。
まあロバとヤギは当面は牧場で飼育して数を増やそう。牛もすでに在来種がいるし、チーズを作ってみるか。食生活は豊かにしたい。
ああ、農業試験村にもヤギを一組飼ってもらって、領民の反応も見ないと駄目か。
「これが新しい馬でございまするか……」
それと言い忘れていたけど、ウチの家臣としてちょっと驚くべき人が仕えることになった。
新しく来たロバとヤギを興味津々な様子で観察している、この人の名は
ウチに来た経緯はそう複雑じゃない。守護の
政秀さんいわく、家臣同士の対立とか信秀さんに警戒されないようにと考えた策だろうと言っていたけど。
その中で太田さんは、何故かウチに来た。
史実を見ても分かる文官タイプなのと、信長公記の作者だからウチで雇ったんだよね。
間違って他所にでも行ったら、信長公記がなくなっちゃうかもしれないしさ。変な脚色とかしないで事実を後世に残した功績は偉人と同じくらい高い。
「お前が尾張の武士を召し抱えたのは初めてか?」
「いや、特に避けていたわけではありませんので」
見るからにちゃんとした武士である太田さんに信長さんは少し驚いている。
太田さんに関しては、慶次と同様に本人の知らないところでオレとエルたちの期待を集めている人だ。
兵法とかはあんまり得意ではないのかもしれないけど、文官って本当少ないんだよね。この時代。無理をしないで頑張ってほしい。
◆◆
『久遠家記』には天文十七年、春。久遠家がロバとヤギを海外から輸入したことが記載されていた。
ロバの見た目に信長はあまり喜ばなかったと記されているものの、このロバとヤギが領民の生活を楽にすると聞くと喜んだと記されている。
また、この頃には多くの歴史書を残した太田牛一が久遠家に仕官している。
守護である斯波義統が織田信秀との争いを避けるために家臣を一本化した影響と思われるが、久遠家仕官は太田の望みであったとされる。
久遠家の知識や考え方は太田に合っていたようで、文武共に活躍するきっかけとなる仕官であった。
彼の記録と著書はどれも第一線級の歴史的な記録として現在に残っている。
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