第八十一話・次なる一手

side:織田信安


「殿。いかがなさるおつもりで?」


 僅か半年で尾張は変わってしまった。下四郡の守護代家である織田大和守家が断絶して、織田弾正忠家が下四郡をほぼ統一してしまうとは。


 だが、織田伊勢守家の現状は必ずしも悪うない。妻は弾正忠殿の妹であるし、わしも弾正忠殿とは良好だ。


「いかようにもせぬ。弾正忠殿は守護ではないのだ。こちらから臣従する理由はない」


 気になるのは家中が割れておることか。弾正忠殿への臣従と今のままで良いという者らで。


 もっとも弾正忠殿には、臣従せよと迫られた覚えはない。もっと言えば弾正忠殿は守護でも守護代でもないのだ。


 織田伊勢守家は上四郡の守護代であり、下四郡の水野や佐治とはわけが違う。にも拘らず次はわしと弾正忠殿が戦かと、騒ぐ家臣にはうんざりするわ。


「しかし弾正忠殿は、必ずこちらを攻めてきますぞ」


「戦がしたければ三河か美濃でやればよかろう。臣従はせぬが必要とあらば兵を出す。弾正忠殿は義理の兄ぞ」


 清洲の件で案じておるらしいが、あれはいかに考えても大和守家が悪い。流行り病が起きるかも知れぬと知らせをくれたものを、あからさまに無視するなど。


 そのうえ家臣の妻が評判の医師だから寄越せなどと騒いだところで、誰が行くものか。


「流行り病の薬とて、相場より安く融通してくれておるのだ。これから攻める相手にそのようなことするか?」


 弾正忠殿の狙いが尾張の統一なのは、疑う余地がないのであろうがな。薬もいずれ臣従をさせたいとの思惑から、安く融通してくれたのであろう。


 されど礼はきちんとしたし、戦への助力を求めるならば応じよう。


 されど臣従をするには地位が足りぬ。せめて守護代か尾張守の地位を得てもらわねば、わしも家中も納得は出来ぬのだ。


 さようなこと弾正忠殿は理解しておろう。逆に言えば地位さえ相応しくなれば、条件次第では臣従しても構わぬと思うておる。


 一戦交えるとすれば、その時になるはずだ。




side:久遠一馬


「これはいいな。囲碁ほど面倒ではない」


 季節は春に差し掛かっている。


 信秀さんに白粉おしろいが身体に悪いことを伝え、代わりの無害な白粉を献上するついでに、以前信長さんと遊んだ紅白のリバーシを献上したら喜んでくれた。


 娯楽が限られた時代だからかね?


「面倒なのとか堅苦しいのは、好みじゃないので」


「そなたほど武士が似合わぬ男も珍しいな」


 試しにとリバーシをやりつつ、たわいもない話をしている。


 まるで珍獣でも見るような心境なんだろうか。笑いながらそんなことを言われた。


「美濃の蝮から和睦か同盟を結びたいと話がきた」


「さすがというか、なんというか。時勢を読むのには長けている方ですね」


「条件次第では大垣を認めると言うてきた。そなたはいかに思う?」


 一戦終えると抹茶が運ばれてきて、信秀さんから美濃の話を教えられた。


 まさかここまで織田弾正忠家が変わったのに、同盟だけは史実と同じように話が出るとは。


 正直、道三の立場が思ったほど強くない。オレは歴史は好きだが学者じゃない。歴史の物語を読む程度だ。


 斎藤道三という人は戦に強く、下剋上で国を手に入れた美濃の大名のようなイメージがあった。


 しかし現状は道三は事実上の大名というだけで、信秀さんと立場が似ているかもしれない。戦に強く謀略も出来るので武将としては優秀だろう。


 ただ、 家中の信頼が驚くほどない。美濃国内は戦に強いので従ってるだけに近い。


「今ならば同盟を結ぶ価値はあるかと」


「今ならば……か」


「数年したら美濃を手に入れるのも、難しくはないと思いますからね」


「今は出来ぬと?」


「今でも無理をすればできると思います。しかし今やれば美濃の国人衆に、相当配慮をしなくては駄目だと思います。数年後ならば美濃を取った後の統治を、織田弾正忠家の好きに出来るかもしれません」


 信秀さんは迷っているのかな? 現状でも美濃を取れそうだしね。ここで迷わないはずがない。


 ただし相手は斎藤道三だ。史実で信秀さんが勝てなかった相手だ。一筋縄ではいかないだろう。


 美濃の国人衆たちが信秀さんに味方すれば勝てると思う。大垣のように兵糧や銭を貰えると思わせれば、味方に出来るかもしれない。でもそれだと向こうは、自分たちが味方したから勝てたと考えるだろう。


 統治がやりにくくなるのは明らかだ。舐められたら駄目なのは、こっちに来てからオレも学んだことなんだよね。


「手に入れた後か」


「美濃の元守護様もいますし、今だと美濃の完全な平定に苦労するのでは?」


 それと美濃の問題でくせ者なのが、美濃の守護だった土岐頼芸ときよりあきさん。信秀さんが美濃を取ったら、この人と信秀さんの間で主導権争いがあるはずだ。


 尾張の守護の斯波義統さんみたいに楽隠居するとは思えない。


 今の信秀さんが元守護と争うのは、好ましくないんだよね。衰えたとはいえ室町幕府の足利将軍も管領もいる。おまけに土岐頼芸さんは管領代の娘婿だ。せっかく上がった評判を落としかねない。


 大義名分って大切なんだよな。本当。


「今のままなら守護家と蝮で美濃は纏まらぬか」


「和睦の条件に元守護様の扱いを要求してはどうでしょうか? また殺されるかもしれませんが、殿としては守護に戻せば義理は果たせますし、守護に戻してしまえば後は美濃国内の問題です」


 道三にしても信秀さんにしても美濃を纏めようとすると、厄介なのは同じ人なんだよね。


 史実の信秀さんは、土岐頼芸さんより道三との同盟を選んだ。でもこの世界では立場が逆転してるからね。


 前にエルと話したことがあったけど、もし史実のような道三との同盟をするなら一番問題なのは、土岐頼芸さんの扱いだろう。


 まあ道三に暗殺されそうな気もするけど、そこは自分でなんとかしてほしい。望んで守護に就くんだからさ。


「厄介払いとでも言いたげだな」


「実際厄介な御方では? 人の上に立ちたいならば、家柄や血筋だけでなく実力を以って治めてもらわねば駄目でしょう」


 この時代の人って、本当に家柄とか血筋とか気にするよね。


 家柄がいいと教育はされているから、そういう意味では有利なんだろうけど、家柄と血筋だけなら役にも立たないと言うのは言い過ぎかね?


「もちろん敬意は払いますよ。それ以上はなにもする気はありませんけど」


「クククッ。敬意は払うが従う気はないか」


「最近日ノ本に来た私には、家柄も血筋も関係ないですからね」


 綺麗事を言う気はないけど、人として最低限の敬意は払う。


 ただし個人的には従う気も協力する気もない。朝廷みたいに統治しないなら別だけど。そういう意味では朝廷は、苦しい立場で上手くやってるよね。


「美濃に振り回されず、尾張は着実に力を付けていきましょう。高炉は完成したので、後は鉄を精錬する施設とか必要なものが完成したら稼働出来ます。大量に鉄を生産出来ますので、状況は一気に変わりますよ」


 織田弾正忠家の状況が変わるのは、信秀さんが思っているより早いだろう。高炉はエルの試算では、戦国時代の全国の製鉄量の五割を一基で賄えるらしい。


 反射炉で精錬しないと駄目な鉄らしいけどね。反射炉の一基は完成間近だ。まずはそれでやってみて、必要なら順次増やしていく予定だ。


 余った鉄は当面はウチが買い取り、南蛮船で運んだら宇宙で精錬して使えばいい。


 鉄鉱石や石炭などを運ぶ工業原料専用のガレオン船を、追加で用意しなきゃならないけど。木綿と絹とか国産化できそうな品物は、早めに国産化した方がいいかもしれない。


 今更ガレオン船を増やしたところで、問題はないんだろうけどね。現状でもウチはすでに極東で最大の交易をしてるだろう。


 まあ、問題は熱田の湊の能力だ。千秋さんたち熱田衆に相談しなきゃな。


 いずれ堺の商人や本当の南蛮人に知られたら、船の出所を疑われそうだけど、出所を教えてやる義理はないし、難破船なんてそこら中にある時代だからね。


 とにかく鉄は武器から農具まで使い道は山ほどある。有刺鉄線とかも作ろうかな。ああ、この時代だと火縄銃より防衛には役に立ちそうだし。


 道三はどうなるんだろうね? 史実を見る限り息子の義龍と不仲のようだし、家中の信頼はない。あまり明るい未来はない気もするけど。


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