第七十三話・水野家の様子
side:
「随分と気前のいいお方でございましたな」
「うむ。驚かされたわ」
三郎様と久遠殿の一行が
動滑車と言うたか。これは船の操船が変わるやもしれぬと頼んだはいいが、まさか銭も取らず気前よくくれるとは思わなんだわ。
「しかし海苔を育て、山に木を植えるとは……」
「山の木はないよりはあったほうが良かろう。せっかくやり方を教えてくれるのだ。やって損にはなるまい」
「だが、このままでは我らは久遠殿の傘下にされるのでは?」
「ならば向こうから利になる話をくれたのに蹴るのか? 久遠殿の力を考えれば干されるぞ?」
家中の反応は悪うはない。されど、一抹の不安を口にする者も中にはおる。
元々織田家への臣従は、我らの意思と言うよりは水野殿の決断に引きずられた面が大きい。急な変化に不安になる者が出るのは仕方なきことか。
織田家中でさえ誰がいずこまで理解しておるか、わしにも分からぬ。だが久遠殿の力は恐らく、家中でもすでに抜きん出ておるはずだ。
あの洗練された船を見ればその力が分かる。日ノ本に久遠殿と互角に渡り合える水軍などおらぬのではとすら思える。そう易々と敵に回していいお方ではない。
「同じ織田家中なのだ。力を合わせていくしかあるまい。我らに久遠殿の真似は出来ぬが、久遠殿ならば我らの真似は出来る」
「そうでございますな。それにあまり案じずともよいのでは? 三河では百姓に賦役をさせて、飯を食わせておるとのこと。我らにもそれほど厳しくすることはあるまい」
そもそも我らが久遠殿に勝るのは船の数くらいであろう。だがそれも沿岸から離れられぬ船ばかりだ。
正直、配下に入れと言われるのならば、それでもいいと思うておる。
いつかあの南蛮船で大海原を走り、久遠殿と共に明や南蛮に行けるならば、それもまたいいと思うてしまうのだ。
「皆の者。せっかく久遠殿が儲かる話をくれたのだ。断ることはせぬ。逆に久遠殿に我らの力を見せつけてやれば良いのだ」
「確かに。そうでございますな」
「いずれにせよ我らは海には強くても陸では戦えぬ。陸から攻められたら終わりだからな」
よし。家中はまとまるな。
織田家と久遠殿の商いは、我らの大きな利になるのだ。手をこまねいておっては、誰かに持っていかれる。大野に佐治水軍ありというところを、織田家と久遠殿に見せつけねばならぬのだ。
そうと決まればやることは山ほどあるな!
side:久遠一馬
佐治さんのところで一泊したオレたちは、陸路で水野さんの緒川城を目指している。
水野さんの緒川城は尾張の知多半島の付け根にあり、三河との国境も近い地域だ。
知多半島の現状は、佐治さんのように水野さんに臣従していない人もいるが、ほぼ水野さんが領有していると言ってもいいだろう。
ただここで問題なのは、婚姻や和睦で傘下に収めた国人もいて、必ずしも一枚岩でないことか。それは織田家にも言えることだけど、独立意識の強い武士を束ねるのは簡単じゃない。
水野家当主の水野信元さんは、史実においては桶狭間の時も信長さんの味方をした人であるし、後に武田への内通を疑われ処刑された人でもある。
処刑については諸説あってはっきりしない。ただ後に水野家が刈谷城に戻っているところを見ると、内通はなかった気もするけど。
「それにしても道が悪いですね」
「この辺りは村もありませんので。いずこも似たようなものでございますよ」
そんなわけで緒川城を目指しているけど、オレたちと信長さんが連れてきた護衛に加えて、佐治さんが付けてくれた道案内兼護衛の兵で、二百人近くの集団になった。
あまりに道が悪いのでつい愚痴ってしまうと、案内役の人がこの辺りのことを教えてくれた。
知多半島ははっきり言えば、田んぼもない荒れ地と禿げ山が目立つ。これはなんとかしないと、尾張の改革が進んだ時に知多半島だけ貧しくなっちゃうな。
というか元の世界では、これは獣道という部類に入る気がする。もはや道とは呼べないような気が……。
馬ひとつで移動する馬借が繁盛するはずだよ。出来れば道の整備もしたいところだけど、当分は無理だな。
「ようこそおいでくださいました」
やっと緒川城に着いたよ。ここまで来れば普通に田んぼもあるんだね。
水野家の織田臣従は最近だけど、同盟関係は当主の信元さんが家督を継いでからあったので関係は良好だ。
水野さんとは知多半島について意見を交換して、佐治さんと同じく大型の網を貸すことにする。
ただ、無償援助では面目がつぶれるし、逆に後で見返りを要求されるのではと疑われるから、一定量を久遠家に売ることなどの条件が必要かな。
養殖関係は佐治さんのほうで上手くいってからでも遅くはないだろう。こちらでも植林について提案して、お願いしておこう。
「やはり三河は大変か」
「はっ。近頃では松平領から逃げてくる者もおりまする。中には盗みや村を襲う者もおりまして、気が抜けませぬ」
漁業の件と植林については概ね快諾してくれた。あと佐治さんにも話したことだけど、魚を捕りすぎないことや魚によって産卵期の休漁も提案している。
山の木はないよりはあったほうがいいというのが、この時代でも認識としてあるらしい。ただやり方が分からなかったり、食べるので精一杯だったりと、そこまで余裕がないのが本音みたいだね。
ウチでやり方を教えて、食べられるように手を貸すならやる気はあるみたい。
これで知多半島の件はとりあえずはいいとして、水野さんの懸念はやっぱり三河だった。
「さて、いかがしたものか」
「以前と比べれば治めやすくなりました。贅沢な悩みかもしれませぬが、川ひとつ挟んだこちらに来れば食えると噂になっておるようでして」
三河の織田領は現状で赤字だけど順調だ。しかし、順調に発展していけば新たな問題が出てくるのは、元の世界も戦国時代も変わらないか。特に隣近所だけ発展していけば、周りが不満に思うのは当然のことだ。
経済難民の問題は、元の世界でも頭の痛い問題のひとつだからな。元の世界の日本は、島国だからまだ遠い世界の話だったけど、今の三河は地続きだからな。簡単に国境を越えてくる。
「かず、エル、なにか策はないか?」
「長い目でみれば受け入れたほうが得になります。ありきたりですが、戦で荒れて放置された田畑を復興させるべきでしょう」
信長さんに策を求められたけど、正直画期的な策はないんだよね。
「他にはないか」
「男衆は銭で雇い兵にするという方法もあります。平時は開墾や国境の警備をさせておけば、近頃増えている村の襲撃を防げるでしょう。現地の男衆を兵として雇えば地の利もありますし」
エルが少し考えて具体策を幾つか口にする。
これが本当の外国からの難民なら、追い返すのが一番なんだろうけど。将来的に三河より東に進むのならば、今は少し無理をしても受け入れるべきか。清洲の時と同じ対応で行くしかないだろう。
「いずれにしても銭がかかるな。親父に言うておく」
「はっ。よろしくお願いいたしまする」
水野さんもそんなに余力があるほどじゃない。やるなら織田家でやらないと出来ないし効果も出ないだろうね。率先して臣従してくれたんだから、子分の面倒はちゃんと見ないと今後に関わる。
ただ、これはオレたちだけで決められる問題じゃないから、持ち帰って信秀さんとも検討しないとな。
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