第七十二話・知多半島と佐治家
side:久遠一馬
佐治さんの大野城は知多半島の西岸側にある。常滑焼きとして有名な場所と言えば分かりやすいかもしれない。
大野港がある場所であり、伊勢湾交易の中継地点として重要な場所だけど、知多半島には大きな川がなく水利が悪いのがこの時代では致命的な欠点だろう。
史実においても愛知用水が出来るまでは、水に苦労していた土地だとエルが言ってた。
「なかなかの賑わいではないか」
「すべては殿や久遠殿のおかげでございます。津島や熱田から東に行く船が一気に増えましたからな」
今日はエル、ジュリア、ケティと、一益さんたちに加えて、信長さんも連れて佐治さんの大野城に来ている。ウチの船で津島から来たから速かったね。
大野港は伊勢湾交易の他にも、最近では今川や北条との商いの船で賑わっている。今の織田を支えているのは伊勢湾の交易であり、佐治さんはそれを理解しているみたい。
例によってエルたちは領民の注目を集めてしまい、多少騒ぎになったけどね。
「お望みの滑車は持参しましたよ」
「おお! ありがとうございます! それでいかほどでお譲りいただけるので!?」
「それなんですけどね。銭ではなく少しばかり私の商いに、力添えをして頂けないかなと考えておりまして」
「商いでございまするか?」
滑車はとりあえず欲しいと言っていたので、それなりの数を運んできた。ただ代金は銭ではなく、ウチの事業に協力してほしいんだよね。
「ひとつは大きな網を持参しました。津島と熱田で使っているものです。御存知でしょうが。あれで漁業をしてほしいのです」
「噂は聞いております。なんでも干した鰯が売れておるとか」
「本当はあれ、食べ物ではなくて肥料としてお願いしたんですけどね。その前に食べ物として売れちゃって」
お願いのひとつは漁業だ。干鰯作りを頼みたい。津島と熱田で作っているけど、普通に食べ物として売れちゃっているんだよね。史実のように油の絞り粕とかじゃなく、そのまま干してるからだろうけど。
尾張だと農民でもちょっと頑張れば食べられる程度の値段らしく、地味に売れていて評判もいい。そのため生産量を増やしたいんだ。
「ほう。そうでしたか。こちらとしては、むしろお願いしたいくらいですな。この地は米があまり採れませぬので」
「他にも海でやりたいことがあるんですよ」
「某としては儲けになるならば構いませぬが、よろしいので?」
「津島や熱田は少し人の出入りが多いですから。こちらのあまり外の人が入らぬ場所でやりたいんです」
佐治さんの反応は悪くない。米が採れない土地なだけに収入源を増やさなければならないのは理解しているみたいだ。
「この地で食べていくには海に出るしかありませぬ。交易で暮らしておる我らから交易を取り上げられると、飢えてしまいます。久遠殿のような船が増えれば、我らは食べていけなくなるかと気になっておりました。我らに新たな仕事を下さるのならば喜んで力添え致しますぞ!」
やはり交易に携わっているだけに話が早い。ウチの力も理解しているみたいだし、侮れない人だ。
ガレオン船の特性も地味に理解しているし、影響も考えてるのか。まあガレオン船が日本に根付くかは分からないけど、その可能性に気付いてるのは凄い。
「かず。植林はやらぬのか?」
「ああ、それもありましたね」
「植林でございますか?」
「はい。この辺りは少し山の木が足りません。なので植林も同時にしていただければ、将来のためになります。植える木は桑とか柿に栗やみかんなどにすれば、いずれは更に楽になります。ウチの南蛮渡来の知恵もお教え致しますのでやりませんか?」
「まあ、食うに困らぬ程度ならば……」
知多半島の安定と佐治水軍の強化は必須だ。幸いなことに佐治さんは歴史的にも目の前の本人を見ても、進んで裏切るタイプではないだろう。
もちろん油断するべきじゃないし、織田弾正忠家との経済的な繋がりで、しっかり繋ぎ止めておかなくては駄目な人だ。
困った時の南蛮渡来。南蛮技術ということにして植林もしてもらおう。
「これはいかなるものでございますか?」
「海苔を板状に干した品です。佐治殿には海苔を養殖してこれを作ってほしいんです」
さて協力してくれるからには、利益になる話をしなくては。
まずは海苔の養殖から始めようか。真珠なんかもやりたいけど、真珠はこの時代の日本だと、薬に使うくらいで需要がないんだよね。まあ、伊勢湾で真珠の養殖が出来るのかは後でちゃんと調べないとだめだけど。史実では志摩半島でも太平洋岸でしかやってないからな。
現状でも真珠は海外向けに売れるだろうけど、その価値はまだ理解しにくいかもしれない。それに比べて海苔は食べれば分かるし、割と早く育ち収穫も出来る。
「握り飯に巻いたら、美味しいんです」
「ほう。ではせっかくなので用意させましょう」
オレたちが持参した板海苔を佐治さんが用意したおにぎりに巻いて、オレたちや佐治さんの家臣の皆さんと一緒に試食する。
この時代で海苔を扱う欠点として湿気ることがあるけど、軽く火で炙ればパリパリの海苔になる。
「なるほど。確かにこれは美味い」
米はこの時代の玄米だったけど、パリパリの海苔と塩の味でかなり美味しくなる。
元の世界ではコンビニの百円おにぎりは、田舎でも買えるような当たり前のものだったからな。ちょっと懐かしくなるね。
佐治さんの家臣の皆さんの反応もいい。味もいいし新しい品物はお金になるからね。最初の設備投資の費用はウチで出すから頑張ってほしい。
「これを作れるのですか?」
「ええ。ウチに技がありますので」
佐治さんの家中の空気が和んだとこで、具体的な話をしよう。
まずは網の大型化で漁業の収入アップして、海苔を筆頭に養殖をして安定させる。あとは山の植林や山の斜面で育つ野菜、史実に倣うならフキとか育ててもらうべきだろうね。
頃合いをみて植えるものを考えるか。
「まさかこれほどの話を頂けるとは」
「船のほうも少しずつ改良していきましょう。南蛮船は遠方に行くための船なので、すべての構造を変更する必要はありませんが、和船にも使える技はいろいろありますから」
気前よく技術を渡して経済的な繋がりでしっかり繋ぎ止めたら、余程の馬鹿じゃない限りは裏切らないだろう。
史実の信秀さんが亡くなった後のようなことにする気はないしね。
頑張れ佐治さん! 織田弾正忠家の未来は佐治さんに掛かってるぞ!
打倒村上水軍を合言葉にしようか?
うん。まだ早いよな。分かってる。
◆◆
天文十七年、一月。織田信長と久遠一馬が知多半島は大野城を訪れたことが『久遠家記』にある。
前年に臣従して以降、一馬と佐治為景は親交を深めていたようで、今後の協力をどうするか話すための訪問だったとある。
海で生きていた一馬たちにとって、やはり海での活動は基本だと考えていたようで、佐治水軍の状況から知多半島の暮らしや漁業などの支援を申し出ていた。
この訪問以降、一馬は知多半島に深く関わることになり、知多半島の暮らしが一変することになる。
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