第二十話・初めての家臣とおいなりさん

side:久遠一馬


「ほう。豆腐か」


 この日の昼食にと台所で豆腐を作ってたら、信長さんがやってきた。先日ラーメンを政秀さんに御馳走してから、ますますお昼に来ることが増えたんだよね。


 どうやら新しい料理は先に食べたいらしい。こういうとこは子供だ。


「揚げるのか?」


「ええ。この辺りではやりませんか?」


「坊主は油を使うと聞くが……」


 ただ、今日は豆腐料理じゃない。油揚げを作るために豆腐を作ったんだ。おいなりさんが食べたくなってね。


 油で揚げる調理法はこの時代でもあるけど、あまり一般的じゃないんだよね。この時代だと食用の油が売っていないんだ。油から自分で作る必要がある。


 豆腐もあるみたいだけど、そこまで一般的じゃない。寺なんかだと宗派により精進料理とか作るから、豆腐とか使うみたいだけどね。


 本当に知識と技術が寺にばかり集まる状況は、なんとかしないといけないね。理想は学問と宗教の分離だろう。戦国時代の間に、他の宗教の利権問題と一緒に、その道筋をつけたいところかも。


 別に宗教を完全に否定するわけではない。個人的には好きじゃないというか嫌いな部類に入るけど。この問題は宗教を否定するのではなく、非宗教の学問を学ぶ者や技術者を一から育てないと駄目かな。


 まあ、気が滅入る話は置いといて、油揚げを作らないと。


 作り方はそう難しくない。基本的に豆腐を薄く切って、油で揚げるだけだ。


 揚げ上がると油抜きして、砂糖や醤油などで煮て味を付ける。あとは酢飯を詰めるとおいなりさんの完成だ!




「アナタ。お客様よ」


「うん? 誰?」


「仕官希望者みたい」


 信長さんが見物する中で、さあ酢飯を作ろうとしていたら突然の来客か。仕方ないから酢飯作りはエルとケティに任せて、オレはメルティと共に来客に会いに行く。


 最近、来るんだよね。仕官希望者が。


 ただ、どっかのスパイみたいな人とか、金に困った牢人ばっかりだから断ってるけど。


 最終的な決断はオレがしているけど、不安だからエルとかメルティにも判断してもらっている。


「某、近江の甲賀生まれの滝川彦右衛門一益と申しまする。禄は幾らでも構いませぬ故、是非とも召し抱えていただきとうございます」


 あれ? オレの聞き間違いか? 今、この人、滝川一益って名乗ったような?


「滝川殿。その、何故うちに? うちは武家というより商家に近いのですが」


 横に控えるメルティに確認したら、どうやら聞き間違いではないらしい。メルティも驚いている。どうなっているんだ?


 史実では織田信長亡き後、清洲会議に出席させてもらえなかったことで晩年は不遇だったけど、能力は確かだ。信長の死により上野の領地を失いはしたものの、あの情勢下で神流川の戦いでは北条相手に一万八千も集めて戦っている。


 現地での国人衆の信頼もあったようだし、信長が健在ならば違う結果になったであろうひとりだ。


「先日、津島にて南蛮船が大砲を撃つのを拝見致しました。これからは鉄砲や大砲の世になりましょう。自ら南蛮の船を操り、海に出ている久遠様に仕えたいと思いました」


 正直、本気なのかと疑いたくなるほどだけど、一益さんは本気らしい。まあ、人の屋敷に仕官を頼みにきて本気でないなんてありえないけど。


 困ったな。どうしよう? 追い返して他家に行かれても困るし、うちの家臣にするにはもったいない人だ。


「一益と言ったな。顔をあげろ」


「はっ」


「うむ。いい面構えだ。よく鍛えているようだしな。かず、召し抱えてやれ」


 どうしようかなとメルティに視線を向けると、動いたのは意外なことに縁側で見ていた信長さんだった。


 今まで何人か仕官希望者が来たけど、信長さんは居合わせても口出ししたことなんてなかったのに。


 信長さんは一益さんの目の前に行き、自ら顔を上げさせるとじっと見つめ即決した。ちょっと運命的なモノを感じてしまうね。


「そうですね。ならとりあえず百貫で」


「……その、某が言うのもどうかと思いますが。些か高すぎるのでは?」


「うちは銭だけはあるからね」


 給料はとりあえず百貫から始めればいいか? 滝川一益さんだし雑兵みたいな扱いは出来ない。


 一益さんが驚いているのでメルティに確認の視線を向けたけど、頷いたので問題はないだろう。


「良かったではないか。いつまでも家臣のひとりもいなくては、格好がつかぬからな」


「オレより武士らしいですけどね。思わず平伏しちゃいそうになりますよ」


「フハハハ。それは慣れろ。この先のためにもな」


 何故か喜ぶ信長さんに少し困ったように笑ってしまったかもしれない。もうオレの知る歴史は、遠い彼方にいっちゃったんだろうね。


 一益さんはまだ二十歳を超えたくらいの若さだし、オレたちのやり方を学んでくれれば史実以上に活躍するかもしれない。


 オレ自身も五百貫もらっているからね。戦になれば相応の人を出さなきゃならない。雑兵はまあいいとして、武士も何人か必要なんだよね。本当に助かったと言うべきか。




「これは……?」


「明や南蛮だとひとつの食卓をみんなで囲むんですよ。滝川殿も座ってください」


 一益さんのことが一段落した頃になると、エルとケティがお昼ご飯を運んできた。


 今日のメニューはいなり寿司と豆腐の味噌汁に、冷奴という豆腐づくしになる。


 いつものように信長さんと小姓のみなさんがテーブルの前に座ると、事情を知らない一益さんが戸惑っている。


 この時代の日ノ本にはテーブルがないからなぁ。


「これは美味いな! なんという料理だ!?」


「えーと、特に名は……。ウチでは稲荷寿司と呼んでますが。酢で味付けした米を使ってますし、なれ寿司に近いのかもしれませんから」


「稲荷寿司か。何故稲荷なのだ?」


「さあ? 何故でしょうね。誰かが最初にそう呼んだんでしょうが、オレが生まれたときには既にそう呼ばれていました」


「若! たわらみたいですね!」


「本当だ。縁起がいいや」


 なんとなく食べたくなって作ったいなり寿司だけど、問題は名前なんだよね。稲荷って元は神様の名前だしさ。明の料理にするのもおかしいし、いつの間にかその名前だったということにするしかない。


 歴史の辻褄合わせは未来の学者様に任せよう。


 甘辛い味の染みたお揚げには酢飯がよく合って、確かに美味しい。


「これはやはり米も美味いのだな。尾張の米とはまったく違う」


 ああ。うちで食べる米は、宇宙要塞で栽培してる近未来の米だから美味しいのもあるんだよね。しかもこの時代では珍しい白米だしさ。


 小姓の勝三郎さんたちはいなり寿司を米俵に見立てて、縁起がいいと喜んでいる。偶然だけど稲刈りの時期だからね。


 縁起物を用意したと誤解されている気もする。まあ、いいか。


 一益さんも半ばビックリしながら食べているよ。みんなよく食べるから、テーブルの真ん中には山のように積み上げたいなり寿司があるけど、足りるかな?




◆◆

 久遠一馬が尾張にて初めて召し抱えた家臣は滝川一益である。一益が久遠家に訪れた際に居合わせた織田信長が気に入り、一馬に召し抱えるように言ったと『久遠家記』記されている。


 晩年信長は、本当は自らの家臣に欲しかったと一益本人に溢したとも言われている。ただ、それよりも一馬にいつまでも家臣が増えぬことを、誰よりも信長が案じていたと、当時を知る池田恒興が語ったと記されている。


 いなり寿司。久遠料理のひとつで、一馬以前から食されていたと伝わる料理になる。


 命名の由来は一馬も知らなかったようで不明。米を酢や砂糖で味付けしたものを油揚げで包んだものになる。当時は高級料理であり、一益の好物として知られる一品である。


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