第十九話・金色酒とラーメンの始まり

side:久遠一馬


「金色酒はそれほど評判がいいんですか」


「ええ。凄いですぞ」


 今日はエルと一緒に、交易品の売れ行きや状況を聞くために大橋さんの屋敷に来ている。


 現状で売ったのは主に絹と砂糖と胡椒に、信秀さんが金色酒と命名した蜂蜜酒だけど、反響が大きいのはやはり蜂蜜酒みたいだ。


「あれ、実は作るのが簡単なんですよね。その分オレたちが作っているので、製法が漏れることは当分ないでしょう」


「南蛮人ならば知っておるのでは?」


「知っているでしょうね。ただ、原料が蜂蜜ですから。よそが真似しても大量には造れないかと」


 この時代の蜂蜜は当然ながら貴重品なんだよね。ただ蜂蜜酒は基本的に蜂蜜を水で薄めて発酵させるだけだから、同じ量を同じ値段で売れば蜂蜜酒のほうが儲かる。


 味は調整しないと蜂蜜の味はしない。むしろ白ワインのような風味と味に近いと言えるだろう。蜂蜜の種類や量によっても微妙に味は変わる。同じものをこの時代の人が造るのは難しいだろう。


「なるほど」


「正直なところ他の物も一緒に買ってくれたらいいんですよ」


 値段は初回なんで安めにしてある。既存の商品ならば以前からの付き合いがある者から買ったり、現地で作っているもので十分だろう。


 新規に商圏を広げるには目新しさが必要になる。金色酒はその目玉商品になればいいだけで、そこから新しい付き合いができれば現状では十分だ。


 そのうち澄み酒とか絹や綿織物も尾張で生産出来たら、金色酒で出来た繋がりから販売すればいいだろう。


「一馬殿は商いをよくご存知ですな」


「いえ、大橋様と津島衆や熱田衆の皆様のおかげですよ」


 直接の販売は津島と熱田の商人の皆さんに任せている。ただしこちらからの要望として、史実で織田家を散々悩ませた一向衆の願証寺がある長島と、今川義元の駿河には売りに行くように頼んだ。


 木曽川を通じて美濃には普通に品物が売れるけど、伊勢長島と駿河は現状では繋がりはあるが、尾張を中心にした商いがあるわけではないみたいなんだ。


 基本的にこの時代は既得権の団体である座というグループが力を持ち、その座には幕府なんかの権力を退けられる宗教が絡んでいることが多い。


 宗教自体が知識層で技術者集団だから仕方ない部分もあるけど、武力まで持って公権力の及ばぬ聖域にしちゃうんだからやりすぎだよね。


 さすがに津島辺りになると織田家の力が強いようで、宗教が好き勝手していないけど。


 とはいえ、畿内以外で大名なんかと本気でやり合う勢力と言えば一向衆がほとんどというのは、歴史を見れば明らかだろう。


 この時代は本当に関所やら寺社やら権利関係が面倒だからね。ガレオン船の交易品と、伊勢湾を中心にした海路輸送で力を蓄えないと駄目だ。


 長島が敵に回るかは現状では定かではないけど、今川や一向衆のお金で尾張を強化したい。


 それにお金と物の流れをこちらが握れば、今川や一向衆との戦いは史実とはまったく違った展開になるだろう。さすがに経済で締め付けるだけで勝てる程じゃないだろうけどね。


 今は金色酒の味を覚えてくれれば、それでいい。


「しかしまあ、絹や綿を尾張で作ることまで考えておるとは。誰も思いますまい」


「ああ、青苧と同類の麻も植えますよ。作れるものは作らねば」


「ほう。それはまたなんとも」


「どれも当面は他国に売るほど作れぬでしょう。絹は栽培するには時がかかりますし、人手もいります」


「ですが、いずれ人を増やせれば……」


「まあ、いずれはですね」


 大橋さんはオレたちのやろうとしてることを、ある程度だが理解してくれているので助かる。


 ただ、大橋さんが考えてる以上に、オレたちのやることは重要なんだけど。


 ものを作る技術とそれを売る商圏に、代金として流れるお金。その三つを握れば相手が誰でも、長期的には勝てるだろう。


 特に宗教の既得権は、史実のように太平の世になる前に潰しておかないと。理想は、時代の流れを悟り自ら改革してくれることだけど、難しいだろうな。


「なるほど。ではそのようにしましょう」


 大橋さんの屋敷から津島の屋敷に戻ると、政秀さんが訪ねてきていた。


 高炉と南蛮吹きと銭の鋳造所なんかを作る、仮称工業村の打ち合わせに来たみたい。


 政秀さんには細かな話をするには、エルかメルティが必要だと知られているんだよね。オレは技術者じゃないし。


 問題なのは、この時代だと女の人を呼び出すのは体裁が悪いことか。政秀さんは自ら出向いて打ち合わせに来てくれるんだよね。本当に気遣いもできる有能な人だ。


 工業村は信秀さんの指示で、織田家が資金と人を出してこの冬に大々的に作るらしい。


 今は高炉に使う耐火煉瓦の製作を先行して行うための話をしてる。技術指導はウチのアンドロイドにしてもらうけど、覚える職人は用意してもらわないといけないからさ。



「お昼の用意が出来た。平手様もどうぞ」


「おっ、今日はラーメンか」


「これは初めてじゃわい。素麺は何度か殿に頂いたことがあるのじゃがの」


 政秀さんとの話が一段落する頃になると、ケティがお昼ご飯が出来たと知らせに来た。今日は自信作なんだろう。ケティの表情は自信ありげだ。


 ただ、この日のお昼はラーメンと餃子なんだけど。いいのか?


 ちなみにウチでご飯を食べる時は、お膳ではなくテーブルで食べていて、信長さんたちや政秀さんは何度か来てるから慣れている。


 テーブル自体は木製のテーブルで、家を改築した大工さんに作ってもらったものだ。もちろん政秀さんには、上座に座ってもらうことはしているけどね。


 ラーメン自体は昔ながらの煮干しなんかを使った、シンプルな醤油ラーメンだ。


「噂で聞いた明の麺を作ってみたんですよ。食べたことがないので本物とは違うかもしれませんが」


「ほう。明の料理とは。それは楽しみじゃのう」


 どう説明しようか少し悩んだけど、明の料理を再現したことにしよう。政秀さんったら簡単に信じてくれた。この時代の人にとっては、明の〇〇ってのは最新の流行発信地からの品物みたいな感じなんだろうね。


 確かラーメンは、どっかの御隠居様が作るより早いけど。いいよね? そもそもあの御隠居様が、この世界に生まれるか分からないしさ。


「なんと!? これは!!」


 素麺を食べたことがあるみたいだし、慣れた様子でラーメンを食べ始める政秀さん。しかし、一口食べると驚きの声を上げた。


 醤油は祖先と言える品があるにはあるが、味が違うらしいしね。なにより元の世界の食べ物であるラーメンの味は、なかなか御目にかかれない完成度なのは確かだろう。


「この澄んだ汁が美味いのう。どれ、こちらのおかずは……おおっ!! これもまた美味い。中は肉のようだが、わしも食べたことのない味じゃ!」


 政秀さんにはお世話になっているしね。このくらいのちょっとしたお返しはしてもバチが当たらないだろう。


 オレたちがズルズルと麺をすすっていたせいか、政秀さんもいつの間にか合わせるように麺をすすり美味そうに食べている。


 小麦の味がするシコシコとした縮れ麺に、昔ながらの醤油味のスープが絡むから美味い。胃に染み渡るような美味さと言っても過言じゃないね。


 具材は、猪肉のチャーシューとネギにメンマと、元の世界とほぼ同じものだ。餃子もオーソドックスなものだけど、こちらはピリッと辛いラー油がまた戦国時代にはないものでいいね。


 餃子自体は片面をパリパリに焼いて、もう片面はもちっと仕上げた日本の焼き餃子だ。


 懐かしいな。久々に食べたよ。元の世界だといつでも当たり前に食べられたこの味は、本当に懐かしい。


 別に未練はないけどね。


 政秀さんは最後には杏仁豆腐まで完食して、満足げに帰っていった。




 ◆◆

 織田統一記には、久遠家にて平手政秀がラーメンと呼ばれる明の麺と餃子と杏仁豆腐という料理を食したと聞いた信長が、翌日に作らせたという記録がある。


 ただ、明にはラーメンなる料理は存在せず、久遠家の者が明の料理の再現を試みたとする資料も残っていて、久遠家が明や南蛮との貿易で富を築いた証だと言われている。


 ちなみに平手政秀は、記録に残る限り久遠家以外では日本で初めてラーメンと餃子を食べた人とだ言われており、後世においてラーメンの神様として知られている。


 信長が後に建立した政秀寺はラーメンマニアやラーメン屋を営む者たちが多く参拝する人気の寺となっている。


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