第十話・歴史の転機

side:一馬


 季節は夏から秋に変わろうとしていた。酒造りの準備は着々と進んでいる。


 オレたちは電気もないこの時代の生活に慣れてきていて、それなりに楽しんでいると思う。


 食事に関しては米は正直、あまり美味しくない。なんか物足りないというべきか。食べられるだけでもありがたい時代なんだし、文句を言う気はないんだけどね。


「なあ、かず。絹や硝石は明から得ているのであろう? 明や南蛮はその対価として銀や銅を欲しがる。明では銀や銅を得て、なにをするのだ?」


「銀は南蛮では食器とかに使われてると聞きますね。あとは銀そのものに価値があるんですよ。銀があればどこの国でも買い物ができます。あと日ノ本では他の外国と比べて、絹は高く銀は安いのです。明や南蛮の商人は絹の安い明で安く買い、絹の高い日ノ本で高く売る。銀も同じですね。明では価値が高いと聞きます」


 ただ、信長さんは相変わらずウチに来ては、あれこれと疑問があれば質問攻めにしてくる。結果として南蛮貿易の秘密やらを知ってる範囲で教える羽目になっちゃっている。


 ほとんど後世の知識だから、下手したら堺の商人すら知らない事実もあるかもしれないけど。知らないふりするのもね?


「明では銀が高いのか」


「まあ、銀とか金は貴重ですし有限ですからね。極端な言い方をすると、絹は桑の木と蚕がいればいくらでも作れますから」


「ちょっとまて。それでは日ノ本から銀がなくなるばかりではないか?」


「まあ、そうでしょうね」


「何故、誰も止めんのだ!?」


「さあ? 私に言われましても。そもそも日ノ本は戦ばかりで、商いどころの話ではないのでは?」


 信長さん、教育を受けているので賢いのもあるけど、勘がいいね。オレの話から自力で南蛮貿易の問題点に気づいちゃったよ。さすがに絹と銀とじゃ、銀の方が大事なのは理解していたのかもしれないけど。


「そもそも胡椒や砂糖にしても、南蛮人は値が下がらぬように持ってきてるみたいですし。外を知らず己の力で交易も出来ない日ノ本は、無知な農民みたいなものですから」


「かず。もしかしてその話、日ノ本の者には話してはならぬことなのではないのか?」


「多分そうでしょうね。私は話しても損をしないので、話せますけど」


 この時代の交易には、ルールなんてないからな。やったもん勝ちなんだよね。それに安いところから買って高いところに売るのは商売の基本だ。


 南蛮貿易が盛んになるのはこれからだけど、あまりに銀や銅が国外に流れて後で困るのは、この時代の日本人は知らないことだろう。


 史実では数年後に来るはずの宣教師もスポンサーはスペインとかだから、いろいろと商売の片棒を担いでたみたいだしね。


「その話。麦湯を飲みながら、縁側で話すことではないぞ」


「オレは一介の商人ですから。若様が聞いた話をどう役立てるかは、お好きにどうぞ」


「絹を日ノ本で作れない以上は、損をするだけか?」


「まあ、大雑把に言えばそうですね。絹や綿はその気になれば作れますけど。誰もそこまで余裕がないんでしょう」


 信長さん、南蛮貿易の怖さに顔がマジになっている。まさか今の段階でも、天下布武とか考えてるんだろうか? まあ、笑っていられる話でないのも確かだけど。




「……かず。オレに仕えろ」


「突然、なにを言い出すんですか。怒られますよ。得体の知れない人を召し抱えるなんて。第一、仕えてもオレには得るものがありません」


 しばらく無言になった信長さんは、どれくらい過ぎたか分からないけど突然妙なことを言い出してしまった。


 話を聞いていたお供の皆さんとエルたちはあまりに突然な話に驚き、オレが断ったらさらに驚いている。そんなに驚かなくても。どうせ雑談の中の一言なんだから。


 それにしてもいったいなにをどう考えたら、そんな結論に至ったんだろうか?


「この日ノ本には天下を纏める者が必要だ。そうは思わぬか?」


「まあ、必要でしょうね。日ノ本は九十年近く戦ばかりしてますし」


「ずっと考えていた。何故、戦ばかりなのか。いつ戦が無くなるのか。それともなくならぬのか」


 もしかして本気なの? 真剣に語る姿はそれ以外には考えられない。


「誰かがやらねばならぬのではないのか?」


「若様がなさるので?」


「そのつもりだ。だがオレにもやり方が分からなかった。お前たちなら、そのやり方が分かるのではないか?」


「小さな島で育った田舎者ですよ」


「違うな。日ノ本の外を知る者たちだ」


「それに、新しいことを成すには古いことは破壊しなくてはなりません。地獄への一本道ですよ。あちこちから恨まれます。死んだら地獄に堕ちるくらいに。しかも仮に天下を纏めても、纏まった天下を治めるのは、若様でも織田家でもないかもしれません」


「構わん。どうせ守護代の下の奉行の家なのだ。子や孫に尾張半国でも残ればよかろう」


「困りましたね」


 どうやら本気らしいね。ただ現時点で信長さんはうつけと言われてる跡取りでしかない。普通は信じないよ。そんな話をしてもね。


 ただ、オレたちには自分たちが生きる生存圏を確立するという目的がある。


 信長さんに仕えて、それなりの地位で、どっかに生存圏を作るのは悪い案ではないと思うけど。苦労するだろうな。


「必要なのだ。南蛮を知り明を知るお前たちが。日ノ本ではない者の知恵が」


「うーん。力を貸すのは構いませんけど、仕える必要まであります? 正直、堅苦しいの苦手なんですけど。お抱えの商人くらいがちょうどいいのでは?」


「恐らくそれでは足りん。新しき世を作るにはな。別にお前たちが武士らしくする必要はない。むしろ武士にお前たちの考え方や生き方を、見せ付けてやればいいのだ」


 考え方が若いなと思う。ただ、それでは難しいと思うところもある。人は性別や立場や年齢などによって見えるものが違う。信長さんが見ているモノはこの時代の日ノ本を治めている人たちにとって望まざるものだろう。


「そんなこと言うから、うつけって言われるんですよ」


「うつけで構わん。今までの武士のやり方では、天下は纏まらんのだからな」


「みんな、どうしよっか?」


 ただ、客観的に見ると交易が出来て海外に精通してるオレたちを召し抱えるのって、悪い選択肢じゃないんだよね。家督も継いでないのに、天下とか言うから歴史を知らないと本当にうつけに見えそうだけど。


「私たちはどちらでも構いませんよ」


「じゃあ、お仕えしますよ」


 エルたちに意見を求める。表立って反対は出来ないだろうが、みんなの顔色でだいたい分かる。


 天下か。オレたちが力を貸すと、豊臣政権とか徳川幕府がなくなりそうだけどな。


 それでも生存圏を確立するには、日本人になるのが一番しっくり来るのは確かなんだよね。オレ自身日本人であることに変わりはないし。


 信長さんも元の世界の歴史という結果から見るより、夢を持っていて気持ちいい若者だ。


 ただ、反抗期特有の反発と革新的な考え方の片鱗が、他人からはうつけに見えるのかもしれない。


「そうだ。武士になるのだ。苗字がいるな。オレが付けてやろう。……久遠くおんというのはどうだ? 久遠一馬と名乗るがいい」


 あまりにあっさり返事したんで少し驚いていた信長さんだけど、なにを思ったか苗字を付けてくれると言い出した。


 正直、苗字くらい自分で決めたいと思ったんだけど……。やはりこの人は天才なのかもしれない。


 久遠とは確か仏教用語だったはずだけど。意味は永遠。そして遠い過去や未来のこと。


 オレ自身も一番最初のアンドロイドであるエルの名前は、同じ意味のエターナルから取った名前なんだよね。




side・織田信長


 知らなんだ。遙々南蛮から来る商人や明の商人に、日ノ本が食い物にされているかもしれぬとは。


 されど少し考えれば分かることだ。他国の利など誰も望まぬ。まして日ノ本の外の者が、日ノ本の利など考えるわけがない。


 博多や堺の商人は知らぬのか? 知っていてもいかんともしようもないのか? 朝廷は公方様はなにをしておるのだ?


 やはり誰かがやらねばならぬのならば、オレがやるしかあるまい。


 かずの話を聞いていてよく分かった。日ノ本もオレも無知な農民と同じなのだ。学ぶだけでは足りぬ。オレが知らぬ海の向こうを知る者たちを召し抱えねば、オレも他の武士と変わらぬ生き方しか出来ぬであろう。


 違うのだ。かずたちは。モノの見方や考え方から、なにもかもがな。


 親父はいかに言うであろうか? 南蛮船の持ち主を召し抱えたのだ。異を唱えることはあるまい。




◆◆◆

 『織田統一記』には津島に来訪していた久遠一馬を、織田信長が自ら津島まで訪れて召し抱えたとある。久遠の家名もこの時に信長が与えたものだと記されている。


 この出来事は、その後のふたりの様子から、三顧の礼を以って信長が家臣に迎えたと小説やドラマではお馴染みのシーンとなるが、正確には後世の創作である。


 この時のことについては、後に信長本人が天運に恵まれたと一言発言した以外には詳細を明かさなかったと伝わり、一馬もまた笑って語らなかったとある。


 ただ、この場に同席していた池田恒興が、ふたりの会話を当時はまったく理解出来なかったと発言していることから、後の世で多くの研究者の議論になっている。


 また『久遠家記』には一馬の尾張来訪は、久遠諸島にて家督を継いだことで新たな商いの取引先を求めてのことだとある。


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