第五話・その名は……
side:大橋重長
「黒い船だと……」
津島に見慣れぬ船が来たと騒ぎになり駆け付けてみると、黒くみたこともない大きな船が見える。
伊勢の商人か水軍かと思うたが、あのような船はみたいこともない。柱が何本もあり帆もいかにすればああなるのか分からぬほど奇怪な張り方をしておる。あのような船など見たこともない。
まさか、噂に聞く南蛮人か? 遥か九州で見かけると聞いたことはあるが……。津島に南蛮の言葉の分かる者なぞおらぬぞ。漢文の分かる者がおればいいのだが。
「万が一ということもある。兵を集めて、女子供は湊から下がらせろ。それと古渡の殿にも早馬で知らせを出せ」
攻めてきたとは思いたくないな。いくら大きな船とはいえ一隻で襲ってくることはないと思うが、なにかのついでに他所の湊を襲うのは珍しくはないのだ。隙を見せればなにをされるかは分からぬ。
「殿。降りて来たのは四名。商人らしき若い男がひとりに、南蛮の女らしき者がふたりと、船の漕ぎ手がひとりになります」
「南蛮の女だと? 奴隷か?」
「いえそうではないかと。女のひとりが薙刀を持ち武装もしております。商人の奥方と奉公人というところでは?」
「見えぬところに兵を置け。ただし、勝手に動くなよ」
南蛮の女だと? 男の南蛮人ならば九州に来ると聞き及ぶが、女の南蛮人が来たという話は聞いたこともないぞ。まさか、迷ったのか? それとも嵐にでもあって船が壊れたか?
なんとか穏便に済ませなければ。
side:アレックス
小舟で津島湊に上陸したけど、蜘蛛の子を散らすように人が消えた。
なんの前触れもなく他国の軍艦が来るようなものだから警戒されて当然だけど、どうせ目立つのだから、最初から堂々としたほうがいいってエルが言うからさ。エルたちは容姿が日本人に見えないから、余計に目立つしね。
「どなたか、言葉は分かりますか?」
湊にいるのは十数名の武装した兵と彼らを従える壮年の男性だった。兵の顔が険しい。今にも争いになってもなんの違和感もないくらいに。
「はい。みんな言葉は分かりますよ」
「それは良かった。この度はいかがされましたか? 博多や堺ならばここから西ですが……」
壮年の男性は努めて穏やかに話しかけてくれたようだ。
「実は少し前に船を継ぎましてね。新しい商いの取引先を探すついでに、尾張の津島神社と熱田神社を御参りしようかと思いまして」
物々しい雰囲気の中でオレたちに声をかけてきた壮年の男性は言葉が通じると分かるとホッとした様子を見せる。
津島の寄港理由に関しては予めエルと相談した内容だ。尾張には津島神社と熱田神社があり、そこへの御参りが寄港理由には最適であろうと。
「そうでしたか。手前は大橋清兵衛重長と申します。まずは手前の家においでください。津島神社と熱田神社には案内します故に」
「ありがとうございます。オレは……一馬と言います。よろしくお願いいたします」
津島の大橋さんといえば、史実で織田信長の義理の兄弟になった大橋家の人か? いきなり大物に会っちゃったな。
オレ自身は名をギャラクシー・オブ・プラネットのプレイヤー名であるアレックスではなく、本名を名乗った。特に理由があるわけではない。ただ、ここが現実ならば日本人として親が付けてくれた、名前を名乗るべきではと思っただけだ。
「ほう。絹織物に砂糖と胡椒と硝石まであるとは……」
「これもなにかの縁です。津島で必要な分をお譲り致しますよ」
ジュリアは騙し討ちでもするのではとまだ警戒している。ただ、ジュリアの場合は警戒しているぞと見せているだけだ。良からぬことを企むなと釘を刺しているのだろう。
大橋さんの屋敷は広かった。元の世界でいえば豪邸と言っても差し支えないレベルだ。商いの話になったので荷を教えると大橋さんの目の色が変わった。
「よろしいのですか? 堺にでも持っていく品では?」
「荷に先約はありません。私としては損をしないのならば、どこに売っても大差ないですから。ああ、ひとつお願いしたいことがあります。この地に来た時に滞在できる家が欲しいですね。その許しを取れるように、大橋様に取り計らっていただけたら……」
「家ですか? そのくらいならば私が用意致しますが、商いをされるのですか?」
「いえ、直接商いをするつもりはありません。船旅は大変ですので、寄港先に家があった方が落ち着きますから」
「分かりました。荷は相場に色をつけて、買い取らせていただきます。家はお任せください。津島神社と熱田神社に参拝されてる間に用意致します」
多少の世間話として、オレが亡くなった父に代わり家と船を継いだことや、故郷は小さな諸島だという話を少しして商売の話を進めた。
若い世間知らずだと買い叩かれるかと思ったけど、そんなことしないみたいね。南蛮船のおかげだろう。あの船を見て馬鹿にするほど愚かなら長居しないほうがいいしね。
予定していた家も用意してくれるみたいだし、今日は是非泊まってほしいと言われたので船に残してきたケティたちも呼んでゆっくりするか。
side:エル
大橋家は津島南朝十五党という、津島を治めていた惣の首領だったはず。
大橋重長公は元々は織田信長公の父である、信秀公とも争った人物という情報もあります。信秀公の娘を嫁に迎え臣従して以降は信長公の力となった人物。
物腰は柔らかくこちらに気を使っていただいてますが、恐らく司令が考えてる以上に重要人物でしょう。
欲しいのは絹でしょうか? 硝石も欲してるかもしれませんが、火縄銃の価値が本当に知られてる時代ではありません。
現状では絹ばかりか綿ですら国産出来ていないのは致命的ですね。青苧ならば、なんとか国産出来ているようですが。
もしかすると信長公を遠くから見物するのではなく、直接会うことになるかもしれませんね。信長公が歴史通りの人物ならば、遅かれ早かれガレオン船と私たちに興味を抱くでしょう。
私たちは歴史を見るのではなく、変えてしまうのかもしれません。
司令の世界の過去にも私たちは名もなき商人としていたのでしょうか? もしも司令の過去に私たちがいないならば……。
世界は系統樹のように、無限に広がる枝葉のひとつでしかないのかもしれませんね。
side:一馬
「あの、そちらの皆様は……」
「えーと、妻です」
「ああ、細君ですか。なるほど」
しばらくしてケティたちが船から下りて来ると、当然のように大橋重長さんにどういう立場の女性なのかと聞かれちゃったね。まあ、立場によって扱いも違うだろうし当然なんだろう。
オレたちが自分たちの価値観と違うと察してくれたことは凄いなと思う。
この件に関しては事前に相談していてさ。妻にしたほうがいいって、メルティに言われてるんだよね。珍しい外国人の女性を欲しがられても困るからって。
「それはまた……、珍しいことですな」
偽りの夫婦だとバレたかな? 大橋さんに微妙な笑顔で、珍しいって言われちゃったよ。
「彼女たちは同じ島で生まれたもので」
「ああ、そうでございましたか」
言い訳が苦しいか? 大橋さんはあまり深く追及まではしない、大人の対応をしてくれるみたいで良かった。
そのままこの日は大橋さんの屋敷に泊めてもらい、食事も気を使ってくれたのか普通に美味しく頂いた。
side:大橋重長
一馬殿は我が子でもおかしくないような若さだが、なかなかのやり手らしい。五人も細君を抱えるとは、それだけの立場なのであろう。あのような船を継いだことから承知のことであるがな。
肌の色が白い南蛮人は、遙々西から来てると聞いたことがある。いずこか分からぬが、遠くないところに南蛮人の島があるのか。聞いたこともないが。
まあ、すべて嘘偽りがないとは限らぬ。いずこから来たか分からぬ程度に言うておるのであろうな。あまり詮索はするまい。
まあ理由はともあれ、あのような南蛮船で商いとなると見過ごせぬ。ここは誼を深めておかねばならぬな。
屋敷はいかがするか。粗末な屋敷を貸し与えるわけにもいかぬ。あこぎな金貸しをして、殺された土倉の屋敷があったな。あそこにするか。ちょうど蔵もある。
side:一馬
「ずいぶん立派なお屋敷ですね。私たちは小さな家でいいのですが」
「なに、ちょうど空いてましてな。ここは元土倉の屋敷だったので防備も十分あります。どうぞお使いくだされ」
翌日、大橋さんが貸してくれる屋敷に案内してくれたけど、大橋さんの屋敷と同じような立派な屋敷だった。
もうちょっと、こじんまりとした家が欲しいんですけど。掃除とか大変そうだしさ。あまり大きいと、落ち着かない気がするんだけどな。
南蛮船のおかげだろう。欲しいのはなんだろう。絹か? 硝石か?
「ありがとうございます。助かります」
大きすぎる屋敷だってワガママは言えないよな。家賃は必要ないみたいだし。
屋敷は土塀に囲まれていて、広い庭と馬小屋に蔵が三つもあるよ。土倉って確か金貸しだよね? 徳政令でも出されて破産したのかな?
side:メルティ
うふふ。司令は理解してるのかしら? タダより高い物はないって。
ひとつひとつは細く気付かないほどでも、まとめると強固になるわ。人はこうしてしがらみを作っていくのね。
信義なんてモノがあってないような時代を生きるには、司令は甘過ぎるわ。でも……。しがらみで囲われたからといって、必ずしも食い物にされるわけではないわよ。
逆にしがらみで囲った側を利用するくらい、司令には無理でも私たちには朝飯前よ。
大橋重長。貴方は理解しているのかしら? 囲うリスクを。
ちゃんとリスクと私たちの望みを理解してくれるなら、私たちは貴方の大きな力になるけど。
司令の弱点はやはり女かしら? あまり人付き合いが得意そうじゃないし。世話をする女でも送り込まれたら面倒ね。
私たちを妻にしておくべきだと頼んだのは考えがあってのこと。私たちにはギャラクシー・オブ・プラネット時代の長い付き合いがある。
でもね。それが仇となりかねない懸念もあるわ。プレイヤーと仮想空間の住人として長いこと積み上げた信頼と歴史は無駄じゃない。ただし、ここはリアルな世界。人も私たちも変わるということを、私は身を以って理解した。
司令と私たちには新しい絆が必要だわ。
この先、司令と私たちがこの戦乱の時代を生きていくには絶対にね。
もう仮想空間でもゲームでもないんだもの。私たちも本当に強い絆を結ばないといつか足をすくわれかねないわ。
司令が考えるように私たちにも自由はあってもいい。でも、自由には義務も必要だと思うわ。
あとは……。
◆◆
日本の歴史に久遠家の名が最初に出てくるのは、皇歴二二〇七年、天文十六年である。
久遠諸島より家督を継いだ久遠一馬が、当時南蛮船と呼ばれていた船にて尾張国津島湊を訪れたとある。
久遠という家名はのちに織田信長が授けたもので、それ以前は家名を名乗らず、目立たぬように暮らしていた一族であると『織田統一記』や『久遠家記』にはある。
久遠家の祖が何者かは今も分かっていない。一馬より以前に徹底的に過去を消した形跡があり、関連資料は今も久遠家が持っていて非公開のものも多いためである。
久遠諸島は現在も全島が久遠家の私有諸島となっており、入島には久遠家の許可がいる。
近年では観光客は多く、自然保護の観点もあり入島許可は数年待ちの状態が続いている。
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