第2話 面談室とロシアっ子

 廊下側に座っている僕と机越しに向き合っているのが、豊永先生とアレキサンドラさん。


 改めて顔をよく見るとすごく顔立ちが整っていると思う。どこか日本人離れしたそのピクリとも動かない表情からは、何というか造形物が織りなす美のような美しさを感じる。


「えー、初めまして。桜井空と言います。よろしくお願いします」


 何がよろしくなのか自分でも分からないが、

 取り敢えず当たり障りのない事を言っておく。これぞ、学級委員スキル。


「こちらこそ、初めましてデスネ。あなたの名前はソラクンですね。ソラ、ソラ、ソラ……ソラ!」


 お、割と日本語上手い。少し訛りはあるものの、全然聞き取れる範囲内だ。それと、自分の名前を連呼されるとなんか気恥ずかしいね。

 このまま恥入っていても仕方ないので、続けて会話を繋いでみる。


「出身はどちらですか?」

「Россия」

「へ?」


 予想外の返答に対し、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。


「だからデスネ…Россияデスネ…」

「プレイシア?あー、プレイシア。オッケーです。夜景とか綺麗ですよね」

「いや……ヂガウです!あ〜もう!!」



 もしかしたら、僕の知らない国なのかもしれないという結論に至った僕は理解した素振りを見せておく。ほら、東欧とかにありそうじゃない?プレイシア。てか何語よこれ。


 すると、みるみる頬が赤くなっていくのと同時に身を机に乗り出して、感情を爆発させるアレキサンドラさん。


 先程まで感じていた、造形物の美と近しいようなイメージがガタガタと音を立てて崩れ始めている事に気がつく。

 今こうして微かな恥じらいを見せ、頬をぷっくり膨らませている彼女からは、なんというか人間らしさを感じ、異国間での心の距離からくる疎遠感が少し薄れたような気がする。


 そんな僕の反応にに対し、豊永先生は大仰にため息をついた。


「ロシアだろ?そのくらい分かれ。あと、適当に相槌打つな」

「すいません……ていうかすごいですね、今のでロシアってわかったんですか?」

「いや、知ってた。そのくらい分かれ」

「至極理不尽な事で2回怒られた気がするのですが…」


 確かに適当に相槌うつのは僕の悪い癖でもあるので、反省する。

 それはそうと出身はロシアかー。だから英語にも似つかない言語を話していたのか、謎が1つ解けた気がする。

 ふと、そこであるもう1つの謎が頭に浮かぶ。


「でー、僕はどうして呼び出されたのでしょうか?全く話が見えてこないのですが……」

「そのくらい分かれ」

「でた」


 僕がそれを言うと、『まぁ、そうか察しが悪いで有名だしな、桜井』とかなんとかぼやいて、説明に入ろうとする。そんなイメージ持たれてたの?


「今の会話で何か気がついたことはないか?」


 アレキサンドラさんが可愛いとか?そんな事を言える間柄でもないため、言葉をぐっと呑み込む。


「えっとー……それとなく何が言いたいのは感覚的にわかるんですが、まだ日常会話をするのは難しいとかですかね…」

「まさしく。そこでだな桜井」

 こほんと咳払いをする豊永先生。



「クラスの輪に入れてあげるためにこの子に日本語を教えてやってくれないか」


 突然、思いも寄らない事を言われぽかーんと間抜けな顔を晒してしまう。先生が言った事が全然頭に入ってこない。僕が彼女に日本語を教える?なぜに?

 そんな僕を置いていくように説明を続ける。


「さっきの話でもあった通り、日本語は喋れるのは喋れるのだが、クラスの輪に入るためにはもう少し、喋れた方が良い。目指すはバイリンガルなガール訳して『バイリンガール』!」

「あははははは!」


 このネタはアレキサンドラさんにも伝わったようで、子供のように声をあげて無邪気に笑っていた。


「クラスの秩序と平和を守る学級委員。それに加えて、外国の文学にも少しは噛んでいるであろう桜井。少しはとっかかりやすいだろう。適材適所とはまさにこのことだな」

「いや、それなら日本語とロシア語の両方知っている人とかに頼んだ方が得策じゃないんですか?ほら、家庭教師とかの方が……」


 反発して当然のように正論を突き立てるが、僕はこう言っている間の先生の反応を見て言葉を発するのをやめてしまった。

 その理由は単純明快で幼稚園児でもわかるような理由。


 ──相手が嫌がっていることは言わない。


 これは、人間としての最低限のマナーであろう。現に豊永先生の顔はこれ以上にないくらい歪んでいた。その表情からは僕がこれから話そうとする事柄を疎んじ、忌避したいということが感じ取れ、何かを僕に感じ取って欲しいとせがんでくるようにも思えた。それも、アレキサンドラさんの死角まで身を屈んだその瞳で。


「すいません…なんか。そういうことじゃないですよね」

「いやいや、いいんだ。アレキサンドラ、どうだ、こいつに日本語を教えてもらうのは」


 僕の謝罪を手で制して、豊永先生は懇切に温かい眼差しでアレキサンドラさんを見つめる。


「すいまセン。まだまだミジゅクモノですがよろしくオネガイシます」

「いえいえ、こちらこそよろしく」


 と言い、ペコリと律儀にお辞儀をする。

 顔を上げた時に見えたその笑顔は逆光も相まってか、触ったらそのまま崩れてしまいそうなほど、儚かった。



   *       *


「という感じで、明日の転校生紹介を終えようと思う」


 その後、簡単に転校生紹介について話し合った。話し合ったと言っても、今後どうやったらサンドラがクラスに馴染めるかどうかや、愛称の決定などだ。サンドラは(この名称はクラスに馴染んでもらえるようにつけたあだ名だ。)入学手続きやなんやらで席を外し、こちらに、歩み寄ってくる。

 チラリと横目に見えた彼女の姿は、ほこり1つついていないよく手入れされたブレザーとシワ1つないシャツをぴっしりと着こなしている姿────などではなくて、明らかに丈が合っていないブレザーに、シワだらけのシャツを着たいじらしい姿だった。


 扉がカタンと音をたてて、閉まったのを確認して、豊永先生が口を開く。


「本当に君は、察しの良い子だよ…」

「さっきと言ってる事が違うじゃないですか」


 そのツッコミにはまるで生気が全くと言っていいほどともっていない。


「金銭的な話ですかね…」

「だろうな。身だしなみだけで人を判断するのは極めて軽率だが、今回の場合は1つ違っていてな」


少し間を空けて言う。



「入学金の納入、辞退だってよ」



「何かありますね」

「おい、桜井。念のため一つ言っておくがそこには関わるな。これは絶対だ。あまり考えたくないが最悪の場合お前がなんらかの事件に巻き込まれるなんてこともあるだろう。ここまで話してしまった私にも非があるが、教員としてそんな目に遭って欲しくない。ただ──」


どこか僕に期待したような口ぶりで話す。


「あの子が安心して笑っていられるような場所を作ってやれ。それだけだ」

「了解です」


正直、豊永先生はすごく面倒見がよく、生徒の事を一番に思ってくれる。そんな敬愛すべき先生が頼むことを突っぱねるという選択肢は僕にはない。


「ってことは、日本語を教えろっていうのも…」

「あーそうだ。日常生活での会話は十分出来ている。少なくとも新学期早々、日本語が喋られなくてクラスに馴染めませんでしたとかはないと思う。その面では心配ないのだが…」


先生が懸念しているのは、言語間によるクラスとの隔たりなどではなく、異国間にどうしても生じてしまう理解の及ばなさや、ロシアから転校してきた彼女の裏にある背景などであろう。先程の様子を見てみてもそれは分かることだった。

 自分への無力感が体中を満たす。たったの一瞬の出来事ではあったが、世の中の不条理や理不尽を知るのには十分すぎる時間だった。

 行き場のない感情の渦が僕をせめぎ立てる。

 一人で考えたい気分だった。


「もう、私はあの子にどんな裏の事情があろうとあんな風に笑って欲しくない」







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