自由なんかになれやしないよ

@yuyatagami

自由なんかになれやしないよ

 小学生の時に、友達に促されて、虫の手足を引きちぎって、かわいそうと思いながら、先生に相談したけど、鶏の餌にするしかないねって、鶏小屋にほんなげて、それ以来、僕は声が出ないんだ。

 促されたの?

 いや、僕自身が、強さと弱さを知らなくて、また間違えた、そうじゃなくて、僕は死ぬのと、殺すのが怖かった。登下校中、君はいつも隣にいた。静かではなく、でも決してうるさすぎなかった。

「新しいゲームを買ってもらったんだ。生活のために経営をするんだ。会社員でもいいし、事業を始めてもいいらしいよ」

 僕より頭が良くて、背も高かった。女の子にもモテていたし、当時の恋愛偏差値だけれど、君はモテていたよ。雨が降った日は一緒には帰らない。君には車があって僕には傘がある。また明日ねって、いつも通り、長靴と帰るだけなんだけど、水溜りがどれくらいの深さかわからないから、明日の運動会は中止だな。お母さんは運動会のお弁当の準備をしなくてはいけなくて、てんやわんや。お母さんが風邪気味だったから、僕は手伝った。

 トマトを切る。丸っこくて、滑った。気がついたら、指の先を、切っていた。痛くはなかったけれど、血が怖かった。トマトの赤より、もうちょっと黒い赤。思いのほか、落ち着いていて、お母さんの方が焦っていた。そうか、こんな感じなのかもな。消えてなくなっていくとき、周りの人の方が慌ててしまうんだ。

 結局、運動会当日、晴れていた。僕は指に包帯をぐるぐる巻きにして、そこだけミイラみたい。ちょっとだけ死んで、生きかえったのだろうか。フレーフレーってだれを応援しているんだよ。

 自分? 相手? 君のこと? 僕のこと?

 赤組と白組になって、君は白組で、僕は赤組。君が勝つんだ、いつも、それは決まっていて、もう僕はそうじゃないと気持ち悪いんだ。影にいて、お弁当を食べた。お母さんが頑張って作った弁当。トマトは赤くて、食べられなかった。ピザとか、パスタとかのトマトは食べられるけど、そのまま食べるのは怖かった。

 気がついたら、卒業していた。最後の校歌斉唱、僕はどうしているのが正解なのか、ついにわからなかった。指の傷跡をじっと眺めて、体育館の床ってこんなに細かいキズがあったのか。式は終わって、教室での担任の先生が

「これからの人生、山があって、谷があります。先生はみなさんに挑戦して欲しいです。自分の好きなこと、なんでもいい、挑戦し続けてください。みなさんには未来があります」

 じゃあ、おまえにはないのかよ。

 未来のない人が、未来のある人の気持ちなんてわかるわけないだろ。

 勉強ができるから先生になったの?

 先生はどうして先生になったの?

 僕に何を教えたかったの?

 僕は何も教わってないような気がするくらい頭がおかしいんだ。教室の真ん中で君は泣いていて、周りにはたくさんの友達。僕の方に近づいて、

「好きとか、嫌いとかさ、君には関係ないんだよ。僕は勝ち負けとか、嫌いなんだ。だからさ、友達は終わりだね」

 お母さんから彼が引っ越したことを教えてもらったのは、中学生になるときだった。もう、悲しくなるってどういうことなんだろう。彼が僕に伝えたかったことが言葉になるときがないから、僕は何でもかんでも信じれる気がした。



 入学式の朝は春じゃなかった。いや春だったんだけど、春に生命が誕生するとか、そんなのどうだってよかった。僕が学校に行かなきゃいけない。ただそれだけで、地球が自転を止めるくらいの出来事だろうと思っていた。教室のドアは閉まっていて、開けなきゃいけない。向こう側とこっち側があって、向こう側の気持ちもわからないし、なんならこっち側の気持ちだってわからないよ。ドアが開いた。向こう側から、セーラー服の女の子が出てきた。ハンカチを持っていた。白いハンカチを、持っていたから、綺麗だと思った。

「あ、ごめんなさい」

 え?

 何が?

 ちょっとだけ当たったのかな。彼女は階段を降りていったぽい。上履きを履いていなかった、白いソックス。教室は静かでも、うるさくもなく、みんな緊張していた。彼女が戻ってきて、僕の隣に座った。上履きを履いていた。

「忘れっぽいんだ」

って小さな声で、僕に囁いた。

 うん。頷いた。

 次の日から彼女は学校に来なかった。いや、そもそも彼女はいなかった。僕の隣に座っていたのはたぶん、僕の声だ。一体何をしにきたのだろう。


 僕の学校ではレポートを一枚書けば、水着姿にならなくていいです。たくさんの人がプールに入りたがらなかった。授業中、ずっと草むしり。大人になったら、恥ずかしくなくなるの? 恥ずかしくなくなったら、僕は誰になっちゃっうの?

 君は多分プールに入っているだろう。誰よりも早く泳いで、だれもかれも置いていくんだろう。どの草がむしっていい草で、どの草がむしっちゃいけないかの判断基準を聞くタイミングは来なかった。

 僕は中学校に行くのを辞めた。気持ち悪がられるし、そもそも話し合いとかできないし。よく見えた、周りで何が起こっているのか。言葉を忘れたおかげでなにかを得たとしたら、無理やりの沈黙だ。人には表情があって、大体のことがわかるような気がする。裏腹のことを話す人ばかりで、うんざりだよ。言葉を喋れる方がよっぽど大変だし、羨ましいな、言葉は可愛くなったり、醜くなったり、人間みたいで。


 僕が受けた最後の授業は音楽室で、女の子と男の子で別れて、合唱の練習。僕は端っこに座っていた。先生たちは事情を知っていた。どうやって知ったのかは知らない。音楽の時間は地獄だ。座っているのは辛かった。誰かに責められているわけではないけれど、うるさいって、黙ってくれって思っていた。音楽の先生は妊娠していて、随分、お腹が大きくなっていた。クラスメイトは先生を人間扱いしない。僕は怖かった。僕も人間ではなかった。どんな風に見えていたんだろう。ゴジラとか? いや、そんなに怖がってなかったよ。多分、芋虫みたいな感じかな。はらぺこあおむし、大好きだったな。肩に触れてきた。手。先生が

「もう授業は終わりだよ。まだまだ若いんだから、これからがあるよ」

 これから?

 これからがあるから、僕は空を見上げたりしないんだよ。

 会釈。

 せめてもの、会釈に見えるようにした。

「私、今月で寿退社するの、わかる? 学校をやめるの。大切なことを選び直そうと思ってね」

 そっか、おめでたいとき、どんな顔をしたら、正解なのか、知らなかったから、頷いた。それから、外を指差した。中庭で、ダベっている男子学生たちの一人が転けた。そして、起き上がって、何もなかったみたいに歩き出した。



 お母さんが心配してた。当然だけど、暇だった。部屋があって、僕がいて、じっとしたり、うろうろしたり、音楽を聴いたりしていた。訳も分からず、踊ったり、座ったり、立ち止まったりしていた。一日はこんなにも長かったっけ。よく行っていたラーメン屋の店主がもともとプロのギタリストだったんだよって。なんで辞めちゃったのかはいまだに知らない。

「ギターはね、裏切らないよ」

 そうだ、ギターをやろう。あいつよりモテるようになってやろう。Fコード。一番最初の壁。指が熱くなる。痛い。しばらくすると、指の皮が厚くなって、痛くなくなるんだって。血だ。ギターに血が滲んで、うわ、ロックってこんなに汚いんだ。ティッシュで拭いて、白は赤よりも弱いんだね。


 ギターを始めるまで、音楽という音をほとんど聴いたことがなかった。今はユーチューブっていう音楽を聴けるところがあるんだってさ。バンドはたくさんいるんだ。気がつかなかった、音楽を作る人がこんなにいて、こんなにそれぞれが違って聴こえるのか。あるバンドを見つけた。

 音。

 遠くの国で落とした針の音が膨張して、爆発したとき、彼女たちは音楽の一音目を鳴らす。僕は彼女たちの音楽を生で聴いてみたいと思った。ロックは綺麗だった。血が心臓と繋がって、呼吸をすると、音が膨れ上がって、僕の耳まで届いて、それが音楽だった。ライブ会場に行くお金と、チケット代、現実だった。何をするにもお金がかかって、こんなにウキウキするお金の使い方があるのか。自転車で東京まで行ったら、青春みたいだなと思って、雨が降ったらどうしようとか、そもそもそんな体力ないし、迷子になりたいな。やっぱり、電車で行こう。時間は正確だし、鈍行で行けば、ゆっくり色々考えられるだろう。電車に乗らなくても、色々考えているけど、いつも何を考えているっけ。明日のこととか、明後日のこと、昨日のことと、一昨日のこと、自分のことと、そのほかの人のこと考えていないことを探しても見つからないや。お金はおじいちゃんとおばあちゃんから貰った毎年のお年玉が貯まったやつと、お母さんのへそくりをパクっていこう。たしか、箪笥の二段目の奥。お母さんの下着が入っている引き出しの中から、お金を探す。不愉快だった。でも、楽しいことの裏には、いや裏も表もないか、楽しいことは不自由を好むんだね。夜六時開場、半開演。その日のうちには帰ってこないと親が心配するだろうから、しっかり帰らないと。チケットはインターネットで買えたし、案外夢は簡単に買える。



 電車を降りて、駅がすごく大きい、一つの生き物みたいに。動かないだけ、じっと呼吸もしない。降りていく人と乗り込んでいく人、どちらを優先するのか、ルールがあるのか、わからなかったから、乗り降りする人たちを何駅も前から見つめていた。横断歩道がどこまでも広がっている。隣町に着いちゃうんじゃないかくらい長くて、駅間は徒歩圏内だ。地図を見たって僕の行きたい場所がどこかもわからない。僕が今どこにいるのかだってわからない。わかることを探そう、そういう時は。色が何色だとか、どんな形をしているかとか、結局さっぱりわからないから、投げやりにもなれないし、ゆっくり探しましょうか。刺青を入れている人が歩いている。怖いと思うべきなのか、優しい顔をしていた。女の人と歩いていて、女の人も楽しそうだった。刺青は龍の刺青で、多分そう、長袖をまくっているところから、少しだけ見えるから、龍かどうかは定かではないけど、痛くないのかな。暗いのか明るいのか、わからないし、人がめちゃくちゃいる。多分、この人たちとは僕、もう会わないし、殴られた気がする。痛くないけど、ずっと殴られて、死ぬ手前くらいで、逃げなきゃって、どこに逃げようか悩む暇もなく、走り出したら、多分この横断歩道の真ん中に突っ立って、雨が降るかも。白とアスファルトと水たまり。今が何時か全く見当がつかない場所だな。空は狭いし、呼吸は荒い。叫びたくなる。叫ぶ言葉は見つからないし、僕は声なんて持ってないけれど。


 白いテレキャスターが反射して、眩しいと目を閉じて、ライブ会場には彼女たちしか居なくなって、観客は一人残らず殺されて、

「ここは戦場ではなかった」

とボーカルの彼女は叫ぶ。

 そうか、ここでは銃撃戦のない戦争が、いや、弾圧があるんだ。彼女たちは殴られていた。倒れない。彼女たちの心臓は音楽の中にあって、決して胸の中にはない。

「心臓の音までが音楽だと言う人がいて、そしたら、生き物全員ミュージシャンじゃん。そんなことは決してないよ。私はあなたの鼓動をしっかり音楽にできるから、ミュージシャンなんだ」

 僕は声が出ない。僕の声はどこに隠されてしまったのだろう。それとも、隠れているの?かくれんぼだね。楽しんでいるのは、君だけだよ、もし楽しんでいるとしたらね。あ、彼女たちだ。彼女たちの音楽の中だ。僕の声は彼女たちの音楽の中に隠れてもいるんだ。


 ライブハウスを出た。しばらくぼーっとしてたら、夜はずいぶん前からここにあったみたい。もう、今日中に帰るのは無理だ、物理的にも、精神的にも、落ち込んでいるわけではない。むしろ、恍惚とした暗闇だ。女の子が出てきた、僕が出てきたところと同じところから。同じバンドを見ていたんだ。君は殺されなかったんだね。僕も殺されなかった。たぶん生き残ったのはふたりだけ。僕は月を見ていた。目があったかと思ったから、目を背けた先に月があったので、

「あの、落としましたよ?」

 え?

 そうそう、僕は声を落とした。誰か交番にでも届けていないかな。いや、それ僕のじゃないですって言えなかったから、受け取った。会釈をする、出来るだけありがとうが伝わるように。髪が長かった。多分僕と同じくらいの歳で、渡してくれたのは、イヤホンだった。アップルの純正のイヤホンだった。真っ白の月みたいだった。

「ライブの最中、いい顔してましたよ。私写真を撮るのが趣味であなたの顔撮らせてもらっちゃいました。あの、もしよかったら、もうちょっと撮らせてもらえませんか?」

 どういうこと? そもそも、僕とあなたは知らない人です。考えてみた、僕が声が出たとして、どうやって断るだろうか。いや、ちょっと用事があるんでとか、家が遠いんで、終電がとか、もうそういう人生を歩むことはできないのかな。そうだ、僕は女の子に喋りかけられて、断るはずだ。だから、今回だけはとか思ってみたり、頷いた。僕は頷いて、この僕が頷いた。

「そしたら、ネオン街に行きましょう」

 人混みは嫌いなんだけどな。


 たくさん人がいた。人が人じゃないみたいで、僕たちだけだ、人の形をしていて、人なのは。シャッター音と液晶の光と横断歩道と夜はこんなに綺麗に写るものではないはずだ。

「あの、不安ですか?」

 いや、そんなことないけど、というか、ずっと不安だったから、不安が浮いていって、大気圏を超えたからもう息ができない。うん、とてつもなく不安です。なにに対して、これからの人生とか、君は誰なのかとか、そんな大きな出来事についてじゃなくて、あの大きな液晶画面が落ちてきて、人が死にませんように。

「私、弟がいてね。二歳離れた。小学生の頃はとても活発だったの。でもね、中学生になってから、よく寂しい顔をするようになったの。どうしたの?って聞いたら、ねぇ、お姉ちゃんは偽善者?って聞いてきたの。私なんて答えていいかわからなくて、そうかもしれないって答えたの。」

 泣かないで、君こそどうしたの? カメラは機械だから濡れたら壊れちゃうよ。僕らは人間だから、泣かないと壊れちゃうよ。雨が降って欲しかった。傘なんて持ってないし、喧騒の間が静かすぎた。大丈夫、君は、大丈夫。僕は何も言えないけど、大丈夫、結局雨は降らなかったから。そのあとベンチに座った。僕はこんな時はあったかい飲み物だろうと思って、自販機でコーンポタージュとコーンポタージュを買った。どっちがいいって言えないからね。プシュって缶ですら喋る世の中かよ。君は泣き止んだ。どうして、あのバンドのライブに来ていたのだろう。僕はどうしてあのバンドのライブに行ったのだろう。

君も落し物をしたの?

「私やっぱり苦しいの。何もかも、失ってしまいそうで、失うとわかっていて、生きているのがとても怖いの。でも、救われたいって思うのは矛盾してるよね」

 どうなんだろう。沈黙、じゃない静寂。彼女は悩み事があって、僕には解決できない。自分の悩み事は声が出ないこと。ん? 声が出なくて不便だったことあるの? 今だって、何も言わなくたって、彼女は泣いて、泣き止んだよ。言葉はなんて脆いんだ。意味なんかなくて、全ては行動なのか。動けないときは動かずにじっとして、弱虫だと思われたって、しょうがないと、じっとしていればいいんだ。声が出ないときは黙って、押し黙っているだけで、伝わることがあって、それは言葉になってないから、最も言葉にしたときから遠い存在で、君は納得しないよね。僕だって納得できないもの。アップルの純正のイヤホンを、ポケットから手を出すときに、落とした。また、落とし物だ、何もかも落としてばっかで、僕は拾ったことがないな。

「あ、また落としたよ」

 そう、僕はまた落としてしまった。

「聴こうか」

 彼女はイヤホンをiPhoneに繋いで、右だか、左だかわからないけれど、片方を僕の方に突き出して、

「ここにも落とし物があるよ」

 訳わかんないよ。訳がわかっても困るんだけど。そう、さっきまで知り合いでもなかったふたりが、同じライブハウスで、聴いていた音楽。耳にずっと残っている。音楽がある。歌詞じゃなくて、音楽が耳にこびりついて、もはや痛い。いつになっても自由なんかになれやしないよ。痛いよ。いつになっても自由なんかになれやしないよ。僕は誰のために何をしたいのだろう。いつになっても自由なんかになれやしないよ。自由なんかいらないよ。君と今一緒にいて、同じ音楽を聴いている。こんなのなんの価値もない。助けてくれて、ありがとう。どうもありがとう。いつになっても自由なんかになれやしないよ。君はどこからきたの? 教えてよ。君のこと。知りたいよ。声が出なくて、僕、悔しいよ。生まれて初めて発した言葉はなんだっけ。病室で生まれて、病室で死ぬのだけはごめんだな。なんて言おう。今、なんて言うのが正解で、言っちゃいけない言葉はなんだろう。夜だよ、もう、深い夜で、君にかける言葉が見つからないよ。黙っている。いや、黙ることしかできない。黙るっていうのは喋ることのできる人の行為だろ。てことは今はなに? カギカッコだ、僕は言葉を発するときのカギカッコ。よかった。僕はいた。この文章の中に、たしかにいた。ここで存在できなかったら、もうどうしようかと思っていた。風。

「どうせいつになっても自由なんかになれやしないよ」

 彼女が口ずさんでいる。夜は明けない。もう諦めている。僕らの周りだけ時が止まったみたいに、なにも起きない。風と音楽だけが時を闊歩して、僕ら座り込んで、ただそれらが通り過ぎるのを何もできずに見つめているだけ、僕らいつになっても自由なんかになれやしないよね? ねぇ、誰か答えてよ。神様とか、そういう存在でもいいからさ。いま目の前に出てきて、

「はい、全部嘘でした」

って言ってよ。

 大きな声でも、小さな声でも、ラインだっていいよ。一秒だけでも安心させてよ。

「いい曲だね、いま、いい曲が流れてるね」

 頷く。精一杯頷いて、泣きたかった。彼女の手を握って、泣きたかった。困るでしょ。君は困るでしょ。僕が君を好きなら困るでしょ。

「これから、どうする?」

 これから? 僕にもこれからがあって、君にもこれからがあって、この先長いのか、短いのか、神様だって知らない。


 もう、ベンチに座っている理由がないから、立ち上がって、歩き出した。ネオン街。明かりは生きているのだろうか。むしろ、僕の方が死んでいて、光の方が生活しているみたいだ。

「どこに行くの?」

 あれ、いまは僕主導で歩いているのか、気がつかなかった。

「私、あそこに行きたい」

 指差していた方向には空、じゃなくて、竜宮城という名前のホテルだ。僕はそこで今までにない最高のおもてなしを受けて、戻ってきてたら、もうお年寄りだ。僕らはいつ死ぬかわからない、でも時は確実に殺しにきてる。

「今日はもう家に帰るきもしないし、君はもう手遅れでしょ?」

 怖かった。女の人がどんな肌をしているのか。すべすべしていたらと思うと怖かった。僕ら乾燥しているくらいがちょうどいいときだってあるから。君はもう何もかもがどうでも良くなっているから、僕を竜宮城に誘うんでしょ。受付には誰もいない。ボタンを押すだけで、部屋に入れる。僕と君だけで空間は進んで、チェックインもチェックアウトもなく、いつの間にか部屋の中。君は部屋に向かう果てしない廊下で僕の手を引っ張っていた。真っ白な部屋に大きなベッドが一つあとは特に何もない。人を好きになるのってこんなもんだ。結局は何もなくて、何してたんだろうってなるくらいが本物かもしれない。僕らベッドに寝転がって

「これからどうする?」

って君が言った。

 どうするも何も、僕はやり方なんて知らないし、教わったことだってないのに、急にこんなことになって、どうすればいいかなんてわからないよ。

「いつも、暗いところで、眠っていたの。だから、今回だけは電気をつけっぱなしで寝てみたいな」

 単純に眠たかった。君に魅力がないとか、そういうのじゃなくて、すごく疲れていた。

目を閉じた。もう寝ようと思って、もう真っ暗でいいやって。

「寝ちゃうの?」

 うん。寝ちゃう。

「そうだよね。わたし、寝るのが一番好きなんだ、おやすみ」

 おやすみ。

 風呂にも入らずに、寝てしまった。


 朝起きたら、彼女の代わりに紙切れが僕の隣に横たわってた。真っ白で折り畳まれた紙。

「ラインを作って、わたしとおしゃべりしようよ」

 ラインを使えばお話が出来るのか。手紙を書けばよかった。たくさんの人に手紙を書いて、家に帰ったら、最初の一行を書いて、それで封をして、送ろう。ラインを作った。彼女の宛名を登録した。操作はそんなに難しくない。紙を出して、ペンを握って、書く感じに似ている。起動して、彼女を探して、文字を打つ。自由なんかになれませんでしたねって送ろうと思って、やめた。

「昨日はいい日でした。

僕が生きてきて、一番いい日でした。

特に理由はありませんが、

また、会いませんか?」

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