第十四章:秘密基地

 山仕事から戻った僕は「ただいまーっ」と大声を上げた。山からの帰り道に、たまたま見つけた舞茸を新聞紙にくるんで持ち帰ったところだ。これを天婦羅にすれば、量産品には無い濃厚な香りが楽しめる天然の黒舞茸である。今はシーズンオフで客の少ない季節だが、美月の手に掛かれば天婦羅だけでなく、様々な料理に化けて客たちの夕食に華を添えるに違いない。

 しかし美月の返事は無かった。


 (出掛けてるのかな?)


 僕は草の絡み付いたゴム長靴を玄関に脱ぎ捨てた。そして家に上がり、腰に巻いた生木伐採用の鋸をベルトと共に外して、この時期には住人のいない燕の巣の下に置く。そのまま舞茸を抱えて台所に向かうと、民宿の裏手に面した窓から、洗濯物を満載した籠を抱えた美月の後姿が見えた。僕はダイニングテーブルに舞茸を置いて、そっと彼女の後ろ姿を眺めるのだった。


 全てはこの月井内村に伝わる伝統から端を発していた。壮太から聞かされた通り、確かにこの村ではという残酷な風習が根付いている。しかし、この村に住み始めて徐々に判ってきたことだが、赤子をはふるという残虐な犯罪行為の裏側には、村人たちのもっと複雑な感情が渦巻いている。

 そういった封建的な文化を伝える村では、近親相姦は最も忌むべきタブーなのは当然だろう。その禁を冒した者はたちどころに排斥の対象となり、はふりが安易に発生しないような、自戒的な同調圧力も同時に存在していたのだった。

 しかし美月の場合は自らの意思でそうなったわけではなく、壮太に無理強いされてのことであることを皆が気付いていた。更に、既に両親もいないという境遇も同情の対象となったのだろう。そんな美月を憐れんで、彼女の意図せぬ業の発覚を避けるために、村人たちは僕を彼女から遠ざけようとしたのだ。同時にこの村を守ろうとする意図も有っただろう。当然ながら村人たちは、壮太を殺したのは美月だと思っているのだ。それこそがあの老人が嘘を付いた動機である。


 美月は洗い終わった客用のシーツを、物干し竿に広げ始めた。僕が「そんなものはリネン業者に頼めばいい」と言うのに、彼女は「それじゃ勿体ないから」と、自ら洗い続けているやつだ。女性としては背の高い方の美月でも、大きなシーツを物干し竿に掛けるのは一苦労のようで、背伸びをしながらせっせと干している。

 そんな彼女を眺めながら、最後に一つだけ残った疑問を放置し続けていることに想いが至った。それを突き詰めたいという想いがムクムクを湧き上がる度に僕は、彼女の笑顔を思い出してはそれを飲み下してきたのだ。

 ただし一度だけ、彼女にそれを聞いてしまったことが有る。多分その時の僕は、壮太の言葉の真意をどうしても確認したくなってしまったのだろう。

 それはお盆の時期だった。あの墓地で。


*****


 例のはふられた子供たちの墓地の奥に、この村の墓地が有った。といってもそれは最近の整った霊園とは程遠く、やはり昔から伝わる土着の墓地だ。あちこちに雑草が蔓延っていて、墓石も決して高価なものとは思えない。それらの墓石のどれもが、風雨によって鋭角な角を失っている様は、はふられた子供たちのものと大差が無いように思えた。

 その中の一つの前で跪き、両手を合わせる美月の横顔を見ながら僕は聞いた。安っぽい菊の花が一輪と、個別包装されたお菓子が一つ。線香から立ち昇る煙は、谷合を吹き下ろす風に流され、火が点いているのかどうかも判らない程だった。

 「この、直ぐ隣にあるお墓は・・・?」

 母親の墓に向かって何事かをモゴモゴと呟いていた美月は、僕が指し示す墓石をチラリと一瞥すると再び目を瞑り、手っ取り早くお参りを済ませてから、合掌を解いて立ち上がった。

 「それは叔父さんのよ」

 「叔父さん?」

 「うん。お母さんの弟の墓」

 「へぇ~。そうなんだ」

 叔父さんもこの辺に根付いた人だったのかな? そんな風に僕は思った。

 「私たちの父よ」

 「!!!」


 美月は数珠をポケットに仕舞いながら、土手の方に向かって歩き始めた。

 「前にも話したかしら? 父は母に殺されたわ。壮太には、彼が生まれる直前に失踪してお墓すら無いと教えていたけど、実はあのみすぼらしいお墓に眠っているのが、私と壮太の本当の父親。そして母の実の弟」

 僕はどうしても確認せずにはいられなかった。

 「じ、じゃぁ、君のお母さんは・・・」

 「えぇそうよ。母は実の弟を手に掛けたのよ」

 美月ははふられた子供たちの墓標に囲まれて、僕の方を振り返りながら笑った。それはまるで舞台セットの中で映える女優のように魅力的だった。


 (まるで同じじゃないか!?)


 僕は突然の眩暈に襲われ、その場に蹲りそうになってしまった。勿論、美月が直接、壮太を殺したわけではない。壮太を殺したのは僕だ。だが、母娘が歩んできた道が、全くもって重複しているではないか。まるで美月と彼女の母が、同じストーリーを二代に渡って演じていのではと錯覚しそうなほどだ。この時の僕は、自分が飲み込まれたうねりの高さと長さを知り、肌が粟立つのを抑えることが出来なくなった。


 そうなると、もう一つの疑問。本当に聞きたかったことが、益々現実味を帯びてくるような気がする。

 「美月のお母さんは、どうして亡くなったの?」

 壮太は言った。母を殺したのは美月だと。彼女が母を裏庭の溜池に沈めて殺害したのだと。僕は平静を保ちながら質問したつもりだったが、その努力は何の実も結ばなかったようだ。

 「それはね・・・ ウフフ」

 彼女は魅惑的な微笑みを湛えただけだったし、僕も答えを期待していたわけではなかった。ただ、もし壮太の言ったことが本当であれば、それを目撃されたことがひけ目となり、壮太の言いなりにならざるを得なくなったのではという推測も成り立つ。

 もし、それを機に姉弟間の性交渉が始まったのだとすれば、最初に美月が産んだ子は壮太の子供ではない ──つまり、その部分に関して嘘をついているのは美月ということになる── ということだ。 

 だが僕は、重ねて聞くことをしなかった。それよりも彼女の美しさに心を掻き乱れることを、むしろ心待ちにしている自分の存在に気付かされたからだった。その笑顔の影に隠された真実 ──そんなものが有るのかどうかも保証の限りではないが── が有るからこそ、彼女は眩しく、そして妖艶に輝いて見えるのだ。それを失うくらいなら、謎は謎、疑問は疑問として、そして後悔は後悔として残しておく方が良いとすら思えるほどになっていたのだった。それこそが、長い旅路の末に僕が辿り着いた境地なのだ。


 クスクスと悪戯っぽく笑う彼女の背後に、あの時の落雷が粉砕した大木が見えた。その内部の露呈した根元からは、既に新しい幹が伸び始めていて、月井内の透き通った大気に向かって両手を伸ばしている。その風に揺らぐ葉も、大地を深くえぐる根も、この村に流れる時間を吸収して無限に育ってゆくように思えるのだった。


*****


 僕はそっと勝手口を開けると、洗濯物を両手でパンパンと叩きながら皺を伸ばしている彼女の背後に近付いた。そしてその腰に両手を回し、ギュっと抱きすくめる。彼女は一瞬だけ驚いた様子で硬直したが、僕を認めると直ぐに力を解いて身体を預けた。

 「どうしたの?」

 美月は肩口から覗く僕の顎に額を寄せる。その仕草が愛おしくてたまらない。

 「ううん、何でもない」

 四方をシーツの白い壁に囲まれた僕たちは、何故だか可笑しさが込み上げてきて、どちらからともなく笑いだした。今の二人はまるで、誰からも見えない秘密基地に閉じこもる子供たちのようではないか。隠れ家に潜んで世の中の全てから隔絶されることが、こんなにも愉快だなんて。

 僕は彼女の腰に回した両腕に力を込め、背後から唇を重ねた。暫くの間、それを受け入れていた美月は突然クスクスと笑い出し、急にこちらに向き直ったかと思うと、今度は僕の首に両腕を回して再び唇を求めた。


 時間が停まったように感じた。いや、時間が動き出したのだろうか?


 そんな風に思いながら美月の甘い唇を愉しんでいると、山から吹き下ろす一陣の風が、秘密基地のシーツの壁をバサリと揺らした。その際、美月が母親を沈めたという溜池が垣間見えて、僕は更に強く彼女の身体を抱きしめるのだった。

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小糠雨の里 大谷寺 光 @H_Oyaji

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