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僕がいつも食事をしている座敷は、急ごしらえの葬儀会場となっていた。形ばかりの祭壇が設けられた部屋に、麓の街の寺 ──月井内村に寺は無い── から呼ばれた住職による読経が流れ、月井内の村人たちが三々五々焼香しに訪れていた。喪服を着て祭壇横で俯く美月は、村人から何事か声を掛けられる度に、ただ黙って俯くのだった。
僕としては、葬儀に関わる細々した仕事に協力することもやぶさかではないのだが ──というか、僕こそが壮太の死に関して、全面的な責任を負うべき立場なのだが── 民宿の宿泊客という赤の他人がウロチョロするのも、妙な勘繰りを招きかねない。ここはいわゆる部外者として、その様子を離れた所から大人しく眺めるだけだにしておこう。
久し振りの青空の下、民宿の向かいの空き地に停めたゴルフのリアハッチを全開にし、そこに腰かけて装備の手入れをする。ウェーディングシューズに絡み付いた水草や泥、砂を除去し、ロッドも磨く。リールにまかれたラインを一旦、全て引き出して、クリーナーを染み込ませたティッシュで拭き上げた。それから後部座席でクシャクシャになっているインウェアを綺麗に折り畳み、フィッシングベストのバックポケットに仕舞い直す。その際、レインウェアに付けっ放しになっていたフレックスライトが、あの夜のことを思い起こさせた。
月井内川にのまれてゆく時の、彼のあの表情は何を意味していたのだろう? 一瞬だけ驚きの表情を見せたが、その後は声を荒げるでもなく、恨みつらみを吐きつけるでもなく、感情の起伏を伴わない落ち着いた視線で、ただジッと僕を見ていた。彼はああなることを予期していたのだろうか? いつかは起こるべき事態として、それを黙って受け入れたのだろうか? その壮太は狭苦しい棺の中に横たわり、今も黙して何も語らない。
警察の検死の結果、壮太の死因は溺死とされた。体中に打撲や擦り傷の跡が有り、特に頭部と顔面には大きな切創が見られたものの、そのいずれもが致命傷というには無理が有った。また、肺に水が溜まっていることも鑑みれば、何らかの事由によって土手から転落した壮太は、怪我を負ったものの一命は取り留めた。しかし運悪く川まで転落してしまい、そのまま増水した濁流にのまれ、失命に至った。
唯一の不明点は、あんな嵐の夜に何故、彼が転落現場にいたのかであった。その現場がピンポイントで特定されていたわけではなかったが、転落と例の土手下の土砂崩れとの間に関連性を求めるのは、いたって自然な流れだろう。普段の彼を知る村人からは、彼がいわゆる「変わり者」であるという情報は提供されているであろうことから、この件を事件ではなく事故として扱うことに、警察は積極的な役割を果たそうとしているようであった。
最後にヤマセミの螺鈿細工が施された、相澤の形見のランディングネットをベストのマグネットに取り付けていると、いつか日帰り温泉で見かけた老人が近付いてきた。不機嫌そうな顔は相変わらずだ。
「お前さん、あの家で何してなさる?」
焼香を済ませたその足でやってきて、いきなりの不躾な質問に面食らっていると、老人の連れ合いと思しき老婆が慌てて割り込んできた。
「爺さん、やめなよ」と、老人の左腕を引っ張るような仕草で言う。
(はぁ~ん、そういうことか。いつもの奴だな)
こういうことは良くあることなのだ。田舎では、部外者に対して必要以上に警戒する人間は珍しくない。日本中をあちこち旅してきて、こういった扱いを受けるのには慣れっこだ。僕が美月と親密な関係に有ることを敏感に察知して、難癖を付けに来たに違いない。僕はいつものように気にするでもなく、軽く受け流すつもりでこう言った。
「何をと言われてもですね・・・ 僕はただの客です。釣り目当ての」
老人は「フンッ」と鼻を鳴らす。「釣りが終わったんなら、とっとと帰りなされ。ここはお前さんが腰を落ち着けるべき所じゃない」
さすがの僕も、この言い草にはカチンときた。誰が何処にどれ程滞在しようが勝手ではないか。ましてや男女間の関係に関して、この老人にとやかく指図される筋合いは無い。そこで僕は、少々話を盛って答えておくことにした。
「美月さんから、壮太君の葬儀が終わるまでいてくれって頼まれてるんですよ」
どうだ、参ったか? 僕と彼女は、既にそういう仲なのだ。お前みたいな頭の固い年寄りが、野暮なことをつべこべ言うんじゃない!
しかし老人は、全く意に介さない。
「つまり赤の他人ってことじゃな?」
横に控えて様子を見ていた老婆は、遂に我慢し切れなくなった。アタフタしながら老人の腕を再度引っ張る。
「爺さん! 余計なことに首を突っ込むのはおよしってば!」
すると老人が声を荒げて言い返す。
「もう壮太はいないんじゃ! 何を隠しだてする必要が有る!?」
(!!! 何だ何だ? 隠し事って何だ?)
老人は老婆から視線を戻すと、僕に噛んで含めるような口調に変わった。
「この村のもんはのぅ・・・ あの美月って女が誰なのか知らんのだ」
「何だって!?」
僕は口を開いたまま固まった。
「あの女はいつの間にかこの民宿に棲み付く様になって、相次いで博さんと恵美子さんが亡くなったんじゃ」
「ひ、博さんと恵美子さんって美月さんの・・・ いや壮太君のご両親ですか?」
「そうじゃ」
「じゃぁ、二人は姉弟じゃないんですか?」
老人は黙って首を振った。老婆は聞きたくないとても言いたげに、顔を背けたままだ。
「おかしいじゃないですか! そんな部外者が入り込んで、どうして壮太君は黙っていたんです?」
「さあな。おおかたオマンコを使って腑抜けにしちまったんじゃろ」
「爺さんっ!」堪らず老婆が声を上げた。
「じ、じゃぁ、彼女が産んだっていう子供の件は・・・?」
「子供? はて? そんな話、聞いたことが無いのぅ」
またしても楼閣が崩れた。しかも今回のは、基礎工事からやり直さねばならない程の大事業だ。今まで積み上げてきた話が根底から覆されてしまったのだから。僕は途方に暮れて老人の顔を見つめることしかできなかった。
「お前さんも気を付けることじゃな。悪いことは言わん。早くこの村から出てゆくんじゃ」
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