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「そうですか・・・ 壮太がそんな話を」
美月が母親に手を掛けたという部分は聞いていない ──交通事故で死んだと聞いた── ということにした。僕はまだ、彼女の一連の不可解な態度に隠された「何か」を、推し測ることが出来ずにいたからだ。壮太の口から語られたあの生々しい殺害の光景は、今もなお僕の心の中で、目の前にいる美月という女性と全くもって符合させることが出来ないのであった。
「弟が織田さんにお聞かせした話の中に、大きな間違い・・・ と言うか、彼も知らなかった事実が有ります」
「えっ?」
彼女が用意してくれた昼食にも殆ど手を付けず、僕は箸を置いたまま聞き返す。
「以前、私たちの父親は病気で死んだと言いましたが、本当はそうではありません。壮太には、彼が産まれた頃に家族を捨てて出て行ったと教えていたのですが・・・」
確かに彼も、父親は病気ではなく失踪したのだと言っていたことを思い出した。
「母が父を殺したのです」
「!!!」
「実は壮太には、双子の兄弟がいたんです。つまり、壮太の知らない兄です。ですがその子は壮太と違って、生まれながらにして・・・」
僕は恐る恐る聞き返す。
「障碍?」
「はい。父は村の風習に従ってその子をはふり・・・ あっ、はふりというのはこの村に伝わる・・・」
「えぇ、判っています。壮太君から聞きました」
「そうだったんですね? 父はそのことを恨んだ母に殺され、母は殺人罪で服役しました。壮太はまだ赤ん坊だった頃です」
「・・・・・・」
遂に僕は、月井内村の核心に触れたのだった。この村に伝わる悪しき風習には、もう一つの側面が隠されていることを僕は知ったのだ。
考えてみれば、そんなことは当たり前じゃないか。はふられた子供たちの傍には、当然ながら彼らを「はふりたくない」と思う、別の価値観を持つ大人たちが存在していたのだ。その多くはきっと母親なのだろう。実の母親にとって我が子は、それが健常であろうとなかろうと、授かった大切な命に変わりは無いのだ。
つまり、はふられた子供たちの陰には、「はふった大人たち」と「はふりたくなかった大人たち」の間の葛藤が有り、そこにもう一つの命のやり取りが隠されていたのだ。もしかすると、この村に伝わる「はふる」という風習には、暗黙的にそこまでが織り込まれているのかもしれない。
そう考えると、美月の身の上に起こったこと、それから彼女が行った行為、そのいずれもが月井内村の風習に根差した、歴史の延長線上に有るということではないか。
そして彼女が、そんな話を僕に語り出した真意とは・・・。
「もう一つ。壮太は嘘をついています」
「嘘?」
「はい。私が産んだ子の父親は、私を騙した都会の男じゃない」
「ええっ!? じ、じゃぁいったい・・・」
「弟は毎晩、私の身体を求めてくるの」
壁の柱時計が、その歩みを止めたように感じた。昨夜からの出来事を理路整然と積み重ねてゆこうと試みても、どうやっても僕の脳内CPUの限界を超えている。一歩一歩、着実に積み上げてきた理解という名の楼閣は、嘘という致命的なバグを前に、あっけなく一からの積み上げを余儀なくされた。
「あの嵐の中で・・・ あの墓場下の休憩所でも、壮太は私を抱こうとしたの。セックスに関して弟は異常だった」
確かにそう言われれば、あの光景はそのような状況だったかもしれない。懐中電灯の僅かな明かりに浮かび上がった、異様な光景が頭を過った。
「でもそれは時間帯が決まっていて、だいたい夜の10時から11時頃。その異常な性欲の昂ぶりをやり過ごせば、彼は何も無かったかのように寝てしまうの」
「じゃ、じゃぁ君は毎晩何処に?」
「何処にも。その時間帯に家に居ない様に、行く当ても無く出歩いていただけよ。毎晩、人が変わったように関係を求めてくる弟を避け、夜に出歩く様になったの」
もう、何が本当で何が嘘なのか? どれが重要でどれが細事なのか? 僕の頭は既に何の出力も返さなくなっている。ブンブンとうなりを上げる冷却ファンも、今や無益な熱風をかき回すだけで、僕の頭の中は完全にフリーズ状態だ。
「弟はそれを、子供を失ったせいで私の精神が病んでいるのだと本気で信じていたのかもしれないわ。だから夜な夜な、母親の墓参りに行っているのだと思っていたのかも。その子の父親が自分だと認識していたのかどうかも、今となっては怪しいけれど・・・」
「・・・」
「だから私」彼女の表情がフッと明るくなったような気がした。「弟が死んで、正直、ホッとしてるの。実の弟の死を待ち望んでいた女なんて、京輔さんは受け入れられないかしら?」
その質問には答えず、僕は別の質問を投げかける。
「じゃぁ、その子がハンデキャップを持って生まれてきたというのは・・・」
「それは本当よ。近親相姦の影響でしょう。その子を母が処分したというのも本当」
僕はどう返して良いか判らず、ただ沈黙した。
その子の父親が実の弟であったとしても、やはり母性というものはその子を愛おしく思うものなのだろうか? 我が子に手を掛けた母親に ──その子の祖母に── 冷酷な殺意を抱くくらいに。そこが腑に落ちないのは、僕が男だからなのだろうか?
クスクス・・・。
突然、俯く僕の耳に場違いと思えるような声が届いた。
「え?」
僕が視線を上げた先では、美月が可笑しそうにしながら、右手で口元を押さえて笑いを堪えた。そして僕の後ろにある窓を見やってから言う。
「雨、止んだみたい。今日は釣らないの?」
「へっ? 釣り・・・?」
「増水はしてるけど、土砂崩れの現場から上は濁ってないんじゃないかしら」
「土砂崩れ?」
「えぇ。京輔さん、あんな状態だったから気付いてないでしょうけど、あの後、壮太が流された辺りで小さな土砂崩れが有ったのよ。京輔さんたら、危なかったんだから」そしてまた笑った。
クスクスクス・・・。
そうか。やはり彼女は知っているんだな。
「う、うん・・・」
曖昧に頷く僕に、彼女はにこやかに微笑んだ。まるで女神のように。
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