3

 急峻な九十九折れは徐々に傾斜を緩め、遂にその終点で水平を取り戻す。ここが土手の頭頂部だ。それにつれて足元に不規則に並ぶ赤子たちの墓標も数を増す。新しくて角ばったものも有れば、自然の岩と見分けがつかない程に丸くなってしまったものも見受けられる。僕はその数の多さに息を飲み、そして脈々と受け継がれてきた歴史の深さに絶望した。

 そうやって言葉を失っていると、これまでとは明らかに異質な爆音が轟いて、僕の鼓膜と身体に衝撃が加わった。


 ガラガラガラ、ガッ、ダァーーーン・・・。


 それはまさに爆発だ。焼夷弾かナパーム弾か僕には判らないが、おそらくその手の物が極至近距離に着弾して破裂した時には、このような衝撃波に襲われるのだろう。よろけた体勢を立て直して顔を上げると、僕はかつて何処かで目撃したことが有る現象を目にしたのだった。

 落雷が30メートルほど上流側に立つ大樹を直撃し、その太い幹を粉々に粉砕していたのだ。これまでに人類の英知が作り上げてきた、歴史上のいかなる発電機構をも超える巨大な電圧値が、幹の内部を潤していた水分を水素と酸素に電気分解することで、瞬時にその体積を膨張せしめた結果、堅牢な大木は己の内圧に負けて崩壊したのだった。


 その壮絶な光景が引き金となり、僕の胸中で蠢いていた蛹の殻に亀裂が走った。


 しかし落雷の衝撃の瞬間、僕の目が捉えたのは、巨木すらも粉砕する自然の猛威よりも、もっと重要な光景であった。強烈な光量によって収縮する瞳孔が一時的な視力消失に陥る直前、山腹を覆い尽くす閃光が美月と壮太のシルエットを浮かび上がらせたのだ。

 僕の前に横たわる闇に紛れていた二人の影が、目も眩むような巨大な放電現象を背景として浮き彫りになった。その鋭利な光の、眩し過ぎる照り返しを受けた美月の横顔も見えた。壮太に腕を掴まれた彼女の顔は、ここから見ても痛々しいほどの恐怖に歪んでいる。二人はまるで美術公園に立つ銅像の如く、はっきりとした残像を残して、そしてまた闇に溶けて見えなくなった。


 その後の余韻のような雷光が照らし出す美月は、コマ送りのフラッシュの中で壮太の腕を振り払おうとしていた。彼に背を向け必死に逃れようとするが、何かに躓いたのかバランスを崩す。そんな彼女の服を掴んで転ぶことを許さなかった壮太が、乱暴に彼女の身体を放り投げると、僕の心の中で抑圧され続けていたそれが、遂に姿を現したのだ。

 殻から抜け出した幼い成虫が、湿った羽をムクムクと広げるように、僕はヨタヨタと二人に近づいた。自分が何をするためにそうしているのかは判らない。そうすることで何が変わるのかも判らない。だが、今はそうしなければならない。今度こそ、途中で投げ出すことなく、それをやり遂げねばならないのだ。


 勢いよく地面に倒れ込んだ美月は、そのままの姿勢でなおも壮太の横暴から逃れようと必死だ。しかし赤子のように這い進む彼女の髪を、壮太の無慈悲な腕が後ろから鷲掴みにした。そして彼がその背中に馬乗りになると、美月は力なく崩れ落ちて墓標の群れの中で組み敷かれるのだった。身動きの取れなくなった彼女を背後から執拗に殴り付ける壮太。その姿が、再び雷光の瞬きに浮かび上がった。

 もう二人は目の前だ。しかし轟く雷鳴と荒れ狂う嵐のせいで、僕の接近を知ることは出来ないのだろう。こんな所に第三者がいるなどと、誰が考えようか? 壮太は背後に立つ僕の存在に気付く様子も無く、実の姉の仰け反らせた首にその手を掛けようとしている。

 その時、僕の脚が何か異質なものを蹴飛ばした。思わず見下ろした先に有ったのは、か細い光を放つ懐中電灯だ。それはきっと、下の東屋で美月が壮太に手痛い一撃を加えたものに違いない。僕が半ば無意識にそれを拾い上げた時、風と雷の音にかき消されそうな美月の悲痛な叫びが聞こえたような気がした。


 僕が渾身の力を込めて振り下ろした懐中電灯は、鈍い感触を残して壮太の右側頭部を打ち付けた。彼の身体は真横に吹き飛び、そして転がった。尻餅を着くような形で後ろを振り返った彼は、僕の存在を認めると直ぐに、驚愕とも動揺ともつかない表情をその顔に張り付ける。その両眼は大きく見開かれ、想定外の事態を飲み下せずにいるようだ。

 僕はなおも壮太に歩み寄る。視界の隅で、体を起こした美月が僕を見ているのを感じる。僕の更なる追撃の意思を確信した壮太は、今度は自分が僕に背を向け、四つん這いになって逃げようとした。しかし容赦の無い二発目が、彼の後頭部を痛打した。思わず振り返った壮太が、再び尻餅の体勢になって僕を見上げる。その両腕をこちらに向けて伸ばしながら、その口元は何かを懇願しているようだ。だが彼の言葉は、僕の耳には届かない。聞くつもりも無い。

 僕が三発目の為に振りかぶった時、再び美月の叫び声が聞こえたような気がした。だが時を同じくして響いた雷鳴にかき消され、彼女が何と言ったのかは判らなかった。そして、二度と使えない程に破壊してしまった懐中電灯が壮太の左顔面を捉えた瞬間、彼の身体は池に落としたコインのように闇に吸い込まれていった。壊れた懐中電灯は僕の手から離れ、彼の後を追ってゆく。その時になって初めて、僕は自分が崖っぷちに立っていることを知ったのだった。僕の最後の一撃のせいで、壮太は急斜面を転落した。

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