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 壮太が語る美月の過去を聞けば聞くほど、彼女に憑りつく闇の深さや、心に抱く絶望の重さを痛感せずにはいられなかった。彼女が心に負った傷の大きさは、きっと僕が想像できるようなものではないのだろう。「気持ちは解かるよ」なんて言葉を掛けることすら出来ない程、彼女が引き摺っている影は大きかったのだ。


 「その子は今、何処にいるんだい? この民宿では一度も見かけていないんだが」

 「この地方の古くからの風習なんだ、それって」

 「???」

 「ずっと昔からの慣習で、今でもそれは続いている。それが許されないことだってことは皆知ってるけど、この狭い社会で生きてゆくには、それに従うしかないのさ」

 「ち、ちょっと・・・」

 「封建的って言うんだっけ、こういうのって? 特に村の年寄りは、そういったことには五月蠅うるさくてさ。それはアンタ・・・ 織田さんらみたいな外部の人間には到底理解できない『掟』なんだよ」

 「ちょっと待ってくれよ、壮太君。き、君はいったい何の話をしてるんだ? 慣習って何だよ? 僕には理解できない『掟』って何なんだよ?」

 「んだ、赤ん坊を」

 「はふった?」

 「そう、はふったのさ。姉ちゃんと赤ん坊が寝ている隙に、母ちゃんが赤ん坊だけを連れ出してはふった・・・ つまり処分したってことだ」

 「何だって!? 処分って、つまり赤ん坊を殺したって言ってるのかい!?」

 「そう。それが月井内川の対岸に有る、あの墓の群れなんだ」


 僕はやっと理解した。「はふる」とは「ほふる」のこと。つまり「屠る」だ。この月井内村では、不具を抱えて生まれた子供は、何らかの手段によって闇に葬られてきたのだ。それがこの村に脈々と受け継がれてきた慣習、いや『掟』という名の悪習の正体だ。


 「冗談はやめてくれ! それってただの殺人じゃないか! このご時世に、そんな江戸時代みたいな習慣が残っているとでも言うのか!?」

 「勿論、その深刻度にもよるんだけど、この村で障碍をもって生まれた子供は・・・」

 「冗談じゃない! 『掟』だか何だか知らないが、殺人を犯しても許される道理なんて有るものか! しかも赤ん坊が健常じゃないって理由で!」

 「・・・」言葉が終わるのを待たずに食って掛かる僕に、彼は口をつぐんだ。

 「そもそも君みたいな若い世代が、それを是として黙認してどうするんだ? 確かに過去、日本各地でそういった風習が息づいていたことは認めよう。だが今はもう、そんな時代じゃないってことくらい判るだろ?」

 こんな議論にはもう慣れっこなのか、壮太は熱くなる僕を尻目に、自分の湯飲みを傾けた。そしてそれを弄びながらこう続ける。

 「だから言ったろ? 織田さんには理解できない『掟』なんだって。部外者に判って貰おうとも、判って貰えるとも思ってないよ」

 「・・・・・・」今度は僕が黙る番だった。

 「そんなことより姉ちゃんだよ、問題は。違うかい?」


 確かに彼の言う通りだった。無論、一般論から言えば、殺人がある意味堂々と行われていることの方が、世間的には重大な案件ではある。しかも組織的殺人だ。もしこんな風習が令和の時代に生き残っていると知れたら、日本中が大騒ぎになるのは必至だ。マスコミがセンセーショナルな見出しを掲げて騒ぎ出し、警察も動かざるを得ないだろう。逮捕者だって出る筈だし、この村の人間に対する誹謗中傷や差別感情も巻き起こるに違いない。

 しかし、今の僕にとって最大の関心事は、やはり美月なのだ。日本の東北地方の鄙びた山村に息づく、土着文化の盛衰などには興味は無い。この嵐の夜に飛び出していった彼女以上に重要なことなど、今の僕にはあり得ない。


 「それ以来、姉ちゃんは精神的に不安定になっちゃってね・・・」

 「そ、そりゃぁそうだろう。その子の祖母である、実の母親に我が子を殺されたんだから・・・ そんなことが有っても美月さんは、母親と折り合いを付けることが出来たのかい? にわかには信じ難い話なんだが・・・」

 確か彼女は、仙台にいる時に母親が亡くなったという知らせを受け取ったと言っていたはずだ。だが壮太の言を信じれば、母娘の二人でこの民宿を切り盛りしていた期間が有るということになる。つまり彼女は嘘をついたということか?

 「折り合いなんて付くはずないさ」

 「そうだよな・・・ じゃぁ彼女は毎晩・・・ はふられただっけ? その殺された子供の墓に?」

 「多分、そうじゃないと思う。夜行くには、あそこは足元が危ういからね。地元の慣れた人間でも、真っ暗闇であの土手に張り付く小径を行こうって奴はいないんじゃないかな」

 「じゃぁ・・・」

 「母ちゃんの墓だ」

 「お母さんの墓だって?」

 「そうだ。村からは見えないけど、あの対岸のはふられた子供たちの墓の奥には、もう少しちゃんとした墓地が有るんだ。少し遠回りだし、地元の人間しか判らない様な道だけど、上流の小さな吊り橋を渡れば、そこから延びる安全な林道が有ってね。そこに母ちゃんの墓が有る。おそらく姉ちゃんは、そこだと思う」

 「そんな所へ、何をしに?」僕はゴクリと唾を飲んだ。

 「判らない。子供をはふった母ちゃんに向かって恨みつらみをぶつけているのか、或いは唾を吐きかけているのか・・・」

 「ま、まさか」

 暗澹たる気持ちに捉えられた僕は、黙して壮太の顔を見つめ返すことしか出来なかった。

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