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 7年前、僕は会社を辞めた。青森県にほど近い秋田県七代市で生まれ育った僕は、地元の大学を卒業し、そのまま東京へと出て就職を果たしたが、その会社を辞したのが26歳の時だ。何故、辞めたのか? 今となっては、その理由もよく判らない。ただ、なんとなく・・・ という表現が、最も的を得ているだろうか。従って、誰かから退職理由を尋ねられる度に僕は、「都会の生活に馴染めなくて」と、いかにも有りそうな答えを繰り返したわけだが、それが真実を言い表しているわけではないことは、僕自身が一番良く判っていた。

 じゃぁ、僕が若くして退職せねばならなかった本当の理由は何なのか? 僕はそれを突き詰めて考えることをせずに、取りあえずその場から逃げ出したのだった。


 会社を去った僕が移り住んだのは、生まれ故郷である七代ではなかった。東京からほんの少しだけ北に移動し、埼玉県の大宮で金属加工業を営む小さな工場に再就職したのだった。この事実からも、僕が「都会の生活に馴染めなくて」会社を辞めたわけではないことが判るというものだ。

 前の会社は多種多様な製品を製造販売している、世界規模で名の知れたいわゆる大企業であったが、僕はその中でも金属加工関連の研究部門に所属していたため、そこで得た知識や経験を買われての採用である。元々、その巨大な組織の中の小さな歯車の一個として働いていたわけだが、今度の会社は、そういった大企業の下請け、もしくは孫請けレベルの事業規模だ。必然的に、また相対的にも僕の歯車は大きな役割を背負わされ、この若さでいきなり『部長補佐』といった役職が付与された。と言っても、給与水準的には、大企業のペーペーに遠く及ばないことは言うまでもないだろう。

 しかし僕にとっては、給料の安さなどはである。順風満帆な船出とは言えないかもしれないが、こうして僕の第二のサラリーマン人生は大宮で始まった。


 そして唐突に終わりを告げた。


 その当時の自由党独裁政権が推し進めていた、大企業を優遇しつつ、一般層から税金を搾り取るという偏った政策の煽りを受けて体力を消耗し切っていた弱小企業に追い打ちをかけたのが、あのコロナウィルスであった。いまだ終息できていない原発事故を隠蔽し、人類史上最悪の災厄から『復興を果たした日本』という偽りのメッセージを世界に向けて発信する為の、東京オリンピック開催に固執した首相による、あの暗黒の時代だ。

 官邸の意向を汲んだ厚生労働省が、ウィルス感染者の総数を少なく見積もるために ──同時に天下り先への便宜を図ったことは明白である── 疫学検査を抑制した結果、パンデミックの鎮静化を致命的に遅らせ、国内の各産業が悲鳴を上げた。無論、首相は無理くりの終息宣言を高らかに謳ったが、それは国民の生命と財産をないがしろにした、政治的な思惑のみでなされた虚構であることは周知の事実だ。ウィルスの感染拡大から順調に回復し始めた中国、韓国など諸外国の再生を尻目に、日本だけは経済活動規模が従来のレベルに戻ることは無く、国内消費が冷え込み続けて企業の設備投資は停滞した。しかも首相は具体的な政策には一切言及せず、「やってる感」を印象付ける為だけの、出来レース記者会見を繰り返すのみであった。


 唯一、政府が打ち出した景気回復策は、国民から年金で株価を買い支えるという、従来から非難され続けていた ──他国からは常軌を逸していると評された── 愚策をさらに推し進めるという無策ぶりで、何の実効性も発揮はしなかった。それどころか、国民の老後を支えるべき大切な原資をギャンブルに投じ、そしてまんまと飲まれてしまうという、愚かとしか言えない失策を胡麻化すのに躍起になっていた。

 このような病的な経済状態が長々と続くようでは、零細企業や個人経営の会社、商店はひとたまりも無い。当然ながら国内には倒産ラッシュが到来し、自死者数も空前の規模となった。あのリーマンショック以上の大恐慌が国内産業を完膚なきまでに破壊し尽くした結果、僕の第二の会社は跡形も無く消し飛んだ。


 当たり前だが、僕が退職金を手にするはずも無く ──むしろ、一つ目の会社を辞めた際の退職金が、僕の生活を支えていた── アルバイトで食い繋ぐ生活が始まったが、同じバイトをするなら生活費の安い所の方が良い。僕は大宮を離れて更に少しだけ北上し、栃木県の小山に移り住んで、落ちぶれた生活を始めたのだった。正社員としての安定した収入など、夢のまた夢だった。



 そんな生活を3年ほど続けた頃であろうか。これまでに数えきれないくらいのバイトをこなしてきた僕は、期間限定の短期的なバイトを終えたのを機に、また気まぐれに住処を変えた。それまで住んでいた小山に不満が有ったわけではない。ただ例によって、何となく居場所を変えたくなったのだ。

 そして移り住んだのが、同じ栃木県の那須塩原市。ここには最初に勤めた会社の工場が有り、新入社員の頃に製造実習で半年ほど住んだことが有る。久し振りに訪れるこの街も、以前とは随分、変わっただろうか? そんな期待とも郷愁とも判らぬ思いを胸に秘めつつ東北新幹線の改札を出て、古い記憶を頼りに街並みを歩いてゆくと、僕の目の前に無の空間が広がった。


 そこには何も無かった。ただ雑草が伸びるに任せた荒れた土地が、ずっと彼方まで広がっていた。そう、僕が製造実習を行った工場が、丸ごとすっぽりと消え失せていたのだ。


 その光景を目の当たりにした時、僕はやっと自分の置かれている状況が飲み込めたと言って良い。今まで目を背け続けていたその苦境を、遅まきながら初めて正当に評価したのだ。グローバル展開するあんな大企業ですら、一つの工場を閉鎖せねばならないくらい、この国は疲弊してしまっている。そんな状況で、後先考えずに会社を辞めてしまった僕が、元通りの生活水準に戻ることなど到底不可能ではないか。そのうち何とかなるだろうなどと、根拠の無い楽観論で自分を胡麻化していた僕は、容赦の無い現実を突きつけられ、風に揺れる草の前で佇んだ。


 そして時を同じくして、更に過酷な状況を思い知らされた。那須塩原のとある企業に面接に行った時のことだ。それまで、バイトの面接で断られることなど無かったのに、面接官は渋い顔でこう言ったのだ。

 「30歳ですかぁ・・・ ちょっとお年を召していらっしゃいますね」

 大卒だとか、大企業に勤めていたなどという経歴は、もう何の価値も持ってはいなかった。僕はこの社会から必要とされなくなりつつあったのだ。

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