第15話 授業開始1

 薄い雲が空を覆う月曜日、今日から中学に入って初めての授業が始まる。

 昨日から俺の心はこれからの学校生活が楽しみだという気持ちが浮かぶ中、初めてに対する不安で埋め尽くされていた。

 中学校は小学校と違って授業時間がとにかく長い。同じ6限でも中学は一限が8時40分から9時30分までの50分授業、その後10分休みですぐに二限目。4限目が12時30分に終わって40分の昼休みがあってまた授業。6限目が終わるのは3時だ。長い授業に耐えられるかというのが問題だ。しかも授業内容も難しそうだし、同じ教科なのに二コマで1、2と分けられているものがあり、授業についていけるか心配になっていた。

 そのせいで寝不足になっている中、座って少しの間寝ることすらできない満員電車に重い鞄を何とか抱え込み、俺は学校に向かっていた。

 俺の鞄にはファイルや筆箱に加えて、今日の教科である数学、生物、英語、国語の教科書とノート4冊で中々重い。それに水筒と英和辞典も入っているのだから電車を降りた今、すでに肩が痛くなっている。


(疲れた……………学校からもっと近い場所に住みたい………………)


 そう思いながら俺はバスの一番後ろの席に座って目を閉じていた。


「あっ………………ごめんなさい」


 膝の上が乗せていた鞄以上の重さを感じたことと、誰かがあげた声についまぶたを開けると茶色い頭が目に入ってきた。どうやら座ろうとしたときに躓いて俺の鞄の上にダイブしたようだ。


「だ、大丈夫ですか?」


「すみません、こけて………………如月……さん…………」


「えっと………………俺の名前知ってるの?」


 どこか嗅いだことのある甘い香りが鼻をくすぐる。色が白い彼女はどこか儚げで………………全く違うはずなのにどうしてか加恋と会った時みたいな印象を覚える。


「前に………………バスで………………」


「バス?………………あっ、あの受験の時の髪が綺麗な女の子……って、あっ、今のなし。」


 つい綺麗だと言ってしまい彼女を恐る恐る見ればその白い頬を赤くし睨んでいる。


「………………恥ずかしいからやめて……それに前も言ったけど私は綺麗じゃない。」


 うつむく彼女を見てそんなことないと否定したい思いが何故か抑えられなくなり、口からスラスラと言葉が流れ出た。


「ど、どうして。そのさらさら流れる茶色い髪触ってみたいくらい……じゃない………………君がその髪をしているから綺麗だと………………ってほぼ初対面でこんなこと言うのきもいな………………でも可愛いし………………ごめん、なんでもない」


 途切れ途切れで我に返りながらもなんとか言葉を抑えて目を閉じた。


(どうしたんだよ俺。そんな変な奴じゃなかったはずだろ………………いくら綺麗だからって)


 もう一度目を開けてみれば正面を向いて自分の茶色い髪を手で弄っていた彼女は俺を見て言った。


「………そんなに言うなら………………触ってみる?………………こんなので良ければ………………」


 さっきよりも顔を赤らめた少女が俺の肩に頭を寄せてきた。


(えっ、ちょっ、お、俺の左手………………あっ)


 指にかかるサラサラとした絹のような触り心地、そしてその髪から零れる甘いピーチの香り、ずっと触りたい、もっと触りたいと髪をかき分け………………熱く柔らかい感触が手に当たった。


「んっ………………ひゃっ」


「あっ、ご、ごめんなさい。ついっ」


 うっかり手が彼女の耳に当たってしまったのと同時に俺は我に返って謝る。心臓はうるさく鳴り響く。


(な、なんてことを俺はしてたんだ……………や、やばい……恐るべし……………)


 その後はお互いボーっとしていて、気づけば学校に到着していて、少し慌ただしく俺たちは最後に降りるのだった。





 一人の少年が羨ましそうに睨んでいたのに気が付くことなく………………








 そして………………ポケットに入れた赤い石がさっきまで薄っすらと光っていたことに気づくことなく………………




 ****


 今、俺はドアをくぐって1年A組の教室にいる。隣には彼女も一緒だ。


「ってあれ、君も同じクラスだったの?」


「葉山雫。………………じゃっ。」


「あ、お、おう。」


 席に向かっていく雫を見てから俺も自分の席に向かう………………っと、その前に。


「みんな、おはよう。」


 笑顔を作って少し声をあげて、座っているまだ話したこともない人にもむけて挨拶をする。


(友達を作る方法には取り合えず笑って挨拶をして印象を良くしましょうってSNSに書いてあったし大丈夫なはず………………)


 内心びくびくしながらもそれは全く表に出さず得意のスマイル。


「お、おはよー」「おはよー」「ちーっす」「おはー」

「おはようございます」


「おはよう如月君」「おはよー翼っち」「翼おはー」

「ふふっ、おはようございます翼様」


 何人かの同級生と仲良くなった友達に返されたので俺は一安心だ。ふと、後ろに気配を感じ振り返れば、同じクラスの星月君が変な動きをして突っ立っていた。このクラスの男子生徒は健康診断でしっかり顔と名前を憶えたが、まだ喋ったことない3人のうちの1人が彼だった。


(あっ、俺が邪魔になってるのか。悪いことしたな。)


「おっと、ごめんね。邪魔だったかな。おはよう。えーっと星月君。」


「え、あ、う、………………お、おはようご、ございます………………」


 俺に挨拶されるとは思ってなかったのか急に挙動不審になり、消え入りそうなぼそぼそとした声で返してそそくさと席に着いてしまった。


(だ、大丈夫か?なんもやってないよな?)


 少しだけ不安になるがここにいるのも邪魔になると思って自分の席に座るのだった。



 ****


「今日の日直は安部と天野だ。やることは挨拶と日誌の記入、黒板けしがメインだ。あと帰りに鍵をかけて、職員室の棚に教室の鍵をしまうのも仕事だからよろしく頼む。なに戻すところは行けばわかるし、わからなかったら先生の誰かに聞けばいい。そうそう、今日は私が空けていたが、基本朝は最初に来た人がその棚から持ってきてこの黒板横の突起に引っ掛けておけよ。では朝のホームルームを終わりとする。」


「起立………気をつけ………礼」


 暁先生が教室を出ると同時にプリントを抱えた年配の男の先生が入ってくる。一時間目と二時間目は数学でこの人が教えるのだろう。



 チャイムが鳴る前に「これを後ろに回してもらえる?」と言って紙を配る。どうやら一学期の授業予定表らしい。


 配っている間にチャイムが鳴り、その先生は自己紹介を始める。


「えー、これから数学を教える多田昭ただあきらです。私がこの学校に赴任したのは今から20年以上前のまだ女学園だった頃、………………


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 まあ、皆さんはまだ数学というものが何か知らないと思うのでこの分野とは何かについて………………


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 だから数学は君たちがこれから学ぶ学問として大事になってくる、ということでね………………早速授業に入っていこうという話です。」



 一時間目はただひたすらに先生の身の上話やら数学についてやらを長々と聞かされた。最初の方は普通に気のいいおじいさんみたいで昔話とか興味惹かれる話で面白かったけど、数学の話になると先生の顔になって中々に難しい話をしていて正直何も覚えていない。ただ数学と向き合って真剣に、時に楽しく学べるのはこの学校に通う6年間の今だけしかないとだけは頭に残っている。


 10分の休憩を挟み2時間目になり、先生の指示に従ってノートと教科書を机の上出した。


 先生はページの番号を指定し、俺はそのページを開く。


(あ………………れ………………)



 視界がぶれる………………視界が揺れる



 なにかが………………入ってくる………………あたま…の…………なか…に




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