第12話 すぐさま始めよう

 昨日と変わらない灰色の曇り空の中、今日も学園へと向かう。左手には傘を握る。夕方からは雨が降るという予報を、今朝のニュースで耳にしたからだ。


 俺が住む地域には、昔からこんな言葉がある。「弁当忘れても傘忘れるな」と。

 典型的な日本海側気候故、秋や冬はもちろんなんだが、一年を通して雨が多い傾向にあり、全国的にも雨、雪の日が多い統計がある。そこから生まれた言葉だ。

 雨が降りそうな日に街に出ていざ雨が降ってみれば、傘がなくて両手で頭を覆い、屋根を求めて走る哀れな人をあちらこちらと見ることがある。こちらの天候を舐めないでもらいたい。そしてこう言ってやりたい。「愚かなり」と。


 少しでも怪しいと思うなら迷うことなく、折りたたみでは無い傘を持って行け。母さんによく言われた。



「あ! おはよう架谷くん!」


 教室に入ってみれば、そんなもやもやした空とは対称的に、日輪のような健やかな顔をして作業をしている橋本の姿があった。


「嬉しそうだな。何かいいことあったのか?」

「親睦会をやるって件を松山先生に相談してみたら、先生も喜んでお手伝いさせてもらおう! って後押ししてくれたんだ!」

「そっか。そりゃよかったな」

「あとは……こういうのも昨日家で作ってみたんだ」


 そう言って橋本が俺にみせてきたのは、手書きのアンケート用紙だった。親睦会にあたって、希望する日時や、アレルギー等の有無なんかを聞く欄が設けられている。


「わざわざ作る必要なんざあったのか? こういうの、クラスのSNS使った方が楽な気がするけど……」


 俺がそう言うと、橋本はふくれた顔して言い返してくる。


「それじゃあダメなの! それだと一人一人の細かい要望なんかを整理するのが大変になるの! 今はこういう紙のほうがいいの。それにこういうものを作ることにもまた意味があるの! わかる?!」

「わかったわかった顔近いですから。とりあえず離れてください橋本さん」


 拓弥といい虎太郎といい、そして今の橋本といい。なんで俺の知り合いって、こうも饒舌になると俺の方にのめり込んでくる習性があるんだ。

 すぐに橋本は元の体勢に戻った。そして左手に持っていた紙を俺に差し出してきた。


「ひとまずはこれを。後で確認入れてもらったら、先生に頼んでコピーしてもらうの。でも急いで作ったからもしかしたらミスばっかりかもしれない……。だから架谷君にはちょっと手直しというか、確認をお願いしてもかな?」

「わかった。誤字や抜けてるところがあれば、言えばいいんだな」

「そゆこと。できれば昼休み、遅くとも放課後までにお願いね」

「あいよ。なるべく早めに済ませておくよ」


 ちょうどアンケート用紙の下書きを受け取ったところで、いつもと変わらず元気のある松山先生が教室に入ってくる。


「おはよう! このクラスとなってもうはや二週間。そろそろクラスにも馴染めてきただろうか。今日の朝、橋本君から相談を受けてな。クラスがよりひとつになれるようにと、親睦会を開きたいという提案を受けた!」


 それを聞いてクラス内がザワザワし始めた。反応は実に様々だが、好意的な反応が多い。


「橋本君のその計らいに、先生は猛烈に感動した! だからこのクラスを預かる担任として、先生もバックアップをしていこうと思う。微々たるものではあるが、先生も資金援助させてもらおう」


 それを聞くと、クラス内のテンションはさらに上がる。「先生太っ腹!」とか、「松山先生男前!」とか女子が言い出した。


「親睦会を開くにあたって、幹事役の方も既に決まっていると聞いている。提案してくれた橋本くんと、それに先立って彼女の話を聞いてくれたという架谷君に頼もうと思っている。皆が楽しめる会になるように、ガンガン意見を彼らにぶつけてやってくれ! それにしても最近の若者って言うのは、何故だか選挙に行きたがらない! そんなことだから年寄り寄りな政治になるというのに……」


 ここで、「なんで今そういう話になるんだよ」って顔をしているやつが、この教室内に九割はいるだろう。もちろん俺はそこに含まれる。

 この先生の悪い癖だ、関連性がありそうでない話に突如として脱線し、気づけば最初の話とはまるで関係ない話になることが多々ある。夢中になって話しているから、本人は気づいていないんだ。


「だから君たちも、十八歳になって選挙権を貰ったら、いやいや言わずに必ず投票に行きなさい! 君たちのその一票が、未来の日本を作ることになるんだ! 決してちっぽけな一票だと思うな! 大事なことは意思表示だ! その意思は小さい形になろうとも必ずや日本の役に立つだろう!」


 俺は最前列の座席だから、だれがどんな顔してこの話をしているのか知ったもんじゃない。でも「だからそれが何なんだというんだ」って考えてるやつは多いだろうってことは何となくわかる。左隣に座っている富永はまさにそういう顔をしている。

 一方で黒羽は無表情であった。興味のかけらさえ感じていないのか、むしろ呆れているのか。その胸の内が分かるのは本人だけだろう。


 しかしそうは考えない例外もいるわけで。凜がまさにそうだ。松山先生の熱弁を真珠のような輝いた眼をして聞いていた。後ろにいるからわかんないけど、きっと橋本も凜と同じような顔をしていそうだ。

 きっと純粋なんだろうな。こっちで知らないことも多いから、聞いたこと全てを真に受けそうだ。余計なこととか間違ったことを信じないように気を配る必要がありそうだ。


「まぁ話がそれてしまったが。親睦会にあたって何かあれば遠慮なく二人を頼ってくれ。よいものになるように先生期待しているぞ!」


 先生はそういうと、足早に教室を出ていくのであった。てか話そらしてるって自覚あったんですね、先生。

 てか選挙のほうに話が流れて行ってしまったせいで最初は何とも思わなかったけど、俺が手伝いをするってことはもう先生も容認しているのね。まぁ素行が悪いわけじゃないから、よっぽどのことがない限りは先生は何も気にすることはないのだろう。

 とりあえずは。一限目の数Aが始まるまでの数分間を利用して、橋本からもらった下書き用紙に目を通すことにしようか。

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