第3話 奇妙な生活が始まる

 悩んでいたうちに気づいてみれば、凛は最初に見た人間の容姿に戻っていた。いつ戻ったとのかと気になってしまう。


「まぁ本来はこんな長々しいことをせぬとも瞬時に変われるもんじゃ。今回はわかりやすくという意味での」

「は、はぁ……」


 色々あって混乱しそうだが、一つだけわかった。彼女らは俺らの知らない世界から来たということか。信じ難いことではあるが、こうも目の前で見せられては、信じるなという方が無理な話だ。


「それでのぉー」


 出雲様は今度、まるで友人らと話しているかのようなそぶりで俺に話しかけ、話を再開しようとする。随分とフランクなもんだと逆に感心してしまう。


「まぁ儂らは霊魂や怪異に関して色々しとるわけでの。時折こっちに使いを送ったりもするのじゃ。それで今回は凛をこっちに送ろうと……」


 出雲様が言い切る直前で凛が割り込んで来た。


「でも出雲様ぁぁ、申されていた所と場所が違うじゃないですかぁぁぁ……」


 今にも泣きそうな口調で凛がそう言った。なんとも可愛らしい。


「いったい何があったかのぉ。お主、何か変わった事はなかったかの?」

「(いや知らねぇよ‼)」


 そう叫びたくなった。俺が知ってりゃ苦労はねぇよって。

 でもそうしそうになったところで、さっきの御札のようなモノのことを思い出した。机の上に置かれたままのようなので、立ち上がって取りに行く。


「そういやさっき、こんな御札みたいなもんが部屋に入ってき……」


 俺が言い切る前に出雲様が手を叩き、それだといわんばかりに少々笑いながら言う。


「おぉ、ならそれかもしれん。元々貼っつけてあったとこから飛ばされおったな。はっはっは」

「もぉー出雲様ぁぁ……。笑い事じゃないんですよぉぉ……」


 確かにそうだ。大抵のやつはそう思うはずだ。そして俺もそのひとりだ。

 この不始末については、特にこのあと言及されることも無く流された。風に流された原因なんぞを考えていても、仕方ないのだろう。

 それから出雲様は再び真剣な眼差しになって、俺の方を見て言った。


「それで悠真殿。この際ちょうど良い。一つ頼みがあってのう」

「な、何でしょうか……」


 何言われるんだ俺は。あんだけ言っといてこのことは忘れろってか。それも不思議でない。


「しばらく凛をこっちに置いておこうと思ってのぉ。それでだな……」


 何を言われるかわかったもんでないので俺は凄い緊張していた。今までにないくらいに。そしてこう言われたのだ。



「お主の元で、凛を置いては貰えんかの?」


 この一言こそが、俺の日常が変化していく全ての始まりとなったのだ。


「あぁそういうことですか……。って、えぇぇぇぇぇぇ‼」


 流れで納得しそうになってしまったが、いやいや待て待て待ってくれ。


「いや、突然言われても困りますよ‼ こんな事故みたいなことってのもありますしそれに……」


 だって突然現れた人……ではないか狐か。まぁそれはそれとして。

 いきなりこの娘を家に置いてくれって。とんでもないこと頼まれてないか俺。

 それに俺の領分で決めていいことでもないだろ! ここには俺の母さんと妹の那菜も住んでいるわけで、二人にも説明しなければいけないことが山ほどあって、でもそれだけでもなくてそれで――――


「まぁ急に言ってすまんのぉ。安心せい、お主の身内のもんには儂が手を打っておこう」

「いえ、そういうことでは……」


 考え見透かして出雲様はそうあっさりと言うけど、そんな簡単な問題じゃあないと思いますけど!?


「ほな、よろしゅう頼むわ」

「え。や、待ってください‼」


 俺が反論を言う前に出雲様は姿を眩ませてしまった。あまりにいい加減すぎるもんで、俺の部屋には呆然とする俺と凛が残された。



「その……すみません。突然こんな事頼んでしまって」

「いや、そっちが謝ることじゃないと思う……から」

「でも勘違いしないで欲しいんです! 突然のことですけど、出雲様に色々お考えあってのことでそれで……」

「いいよいいよ。母さんと妹いるけど、二人には何とか説明入れとくから」

「すみません……」


 何度もぺこぺこと謝っていた。この時、彼女が本当に律儀な子だと思った。この時の俺にとって、それだけでもどれだけありがたかったことか。


「えっと……はさやゆうま、さんでしたね。貴方のこと、なんとお呼びすればいいでしょうか?」


 上目遣いでこう聞かれた。夜のこんな状況とはいえ、内心ではテンション上がりまくりだ。俺の命令しだいで俺の思うように呼んでもらえる。でも俺には彼女にご主人様とか呼ばせるようなそんな趣味もなければ、下心も無い。とにかくそういうのはナシだ。


「そんなに堅苦しいものでなければ、呼びやすいように呼んでくれていいよ」

「わかりました。では、祐真さんと呼ばせて頂きますね」

「じゃあ……わかった。よろしく、お願いします……」

「はい! これから宜しくお願いします」


 そう言って凛は俺の手を握っていた。俺は頭の中が真っ白になりつつあった。

 ただ一つだけ現実であって欲しいと思うことでもあった。この御時世で初めて家族以外の女性に手を握られていた。柔らかくて暖かくて、俺の手に比べて一回り小さい手が、俺の手を握ってくれている。こればかしは麗らかな体験であった。


「あの。それじゃあ私これから色々とやることがあるので。その……失礼します」

「わかった。あと出来れば、そんなにおどおどしないでくれ。こっちもなんか話しかけづらいから……」

「そうですね。わかりました‼」



 俺の言葉に彼女は笑顔で答えてくれる。この満面の笑みがなんとも神々しい。

 ちなみにあの御札らしき紙は、凛が持っていきました。


 彼女が部屋を出ていったあと。俺は何をするか決めた。

 アニメ見てる場合じゃない。寝よう。

 取り敢えず寝てしまって、この状況を整理したかったのだ。ベットに倒れ込み、俺は目を閉じた。もしかしたらこれは夢に違いない。まだそう思い続ける自分がいたからだ。




 翌朝。時計の短針は八よりやや左に通り過ぎていた。考え事で寝付けなかった。と言うよりは、起きたり寝たりを繰り返した。という感じであった。お陰で寝た気があまりしなくて頭がボーッとしている。

 まずは母さんと那菜に、昨日のことを説明しなくては。その為に一階に降りてリビングに向かうと――――


「おはようございます。祐真さん」

「お兄ちゃん遅い。休みだからって寝坊はよくないよ」

「あ、あぁ。悪ぃな……」


 台所では母さんが鼻歌を歌いながら料理をしていて、テーブルでは、妹の那菜の向かいの席で朝食を食べる凜がいました。


「てかどうしたの? さっきから目をぱちくりさせて。なんか変なものでもついてる?」


 那菜にそう聞かれて、入り口で突っ立っていた俺は、自分の頬を思い切り叩く。



「いや、そうじゃない。まだ眠気が抜けてなかっただけだ。頬叩いたら目ぇ覚めたよ。」

「あっそ」


 そっけなく返される。それっきりだ。凛がもう溶け込んでしまっている。母さんと那菜はこの状況を特に不審には思っていないようだ。なんか説明しようって気すら失せてしまう。

 あぁもう。わけわかんねぇよ。でも聞いたところで却って混乱を招きそうだ。細かいことは後で凛に聞くとして、今は大人しく席について朝食を食べることにしよう。

 味噌汁を一口啜ったあと、玉子焼きに箸を伸ばした。今日のは白身の部分がなくて絵の具のような黄色一色だ。母さんいつの間に腕を上げたんだろうか。そう思いつつも口に入れた瞬間、眠気も完全に覚めるような電流が走った。


「(めっちゃ美味い?! ふんわりしてて、甘さも絶妙だ!?)」


 生まれてこの方、玉子焼きでここまで感動するなんて思いもしなかった。


「その玉子焼き、凛さんが作ったんだって」

「マジで?!」


 那菜に言われて、隣に座る凛の方を見ていた。


「はい。この家でお世話になるので、何かお手伝いできればと思ったのですが……どうでしょうか?」

「すっごい美味しい!! こんなに美味い玉子焼き、俺初めて食べた!」

「お口に合って良かったです」


 あぁ。もう昨日のこととかどうでもよく思えてきた。これから訪れる俺の日常は、俺が望むものとは違う、普通とは言えないものになるかもしれない。

 しかし、可愛い女の子が作る美味しい料理が食べられるのなら、それは悪いことではないと思った。

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