第四話

ミアが働いているという妓楼は、流苑から馬で約一日半――玻璃との国境が目と鼻の先にある峨硝がしょうという街にあった。長い防御壁が築かれ一昔前まで争いが絶えなかった場所は、今では交易拠点の一つだ。異国の人々が行き交い、人だけでなく様々なものが集まってくる活気のある街。

 市場には、玻璃の工芸品である硝子でできた美しい火屋や、細やかな幾何学模様が浮かぶ豪華な絨毯をはじめ、刺激の強そうな香辛料まで並んでいる。


「なんだか本当に久しぶりねえー。まだ玻璃の手前だけど」

「うん」

「二人はあれから一度も玻璃にきてないのか?」


 夜でも明るい市場を雪花とグレン、風牙は三人揃って歩いていた。


「そうねえ。あの後は確か江瑠紗に渡って、それから澄に戻ったから」

「戻って早々、妓楼に売られた」

「っだからぁ! あれは借金もあったけど、雪花をちゃんとした場所に預けたくってえ、借金はあくまで建前っていうかぁ」


 どんな建前だよ、と雪花とグレンは二人揃って冷めた目を向けておいた。


「風牙ってさ、肝心なところが馬鹿だよな」

「そうなんだよね。天才と馬鹿は紙一重なのかも」

「なによ雪花! その言い方は!」

「あ、その角を右だ」

「わかった」

「ちょっとあんたたち、人の話聞いてる!?」

 

 煩い風牙を無視しつつ、グレンの案内で雪花達は妓楼が集まる歓楽街に足を踏み入れた。

 グレンは顔を頭巾で隠しているため声をかけられないが、風牙を目にした妓女たちの黄色い声が上がる。相変わらず何処にいても目立つ男である。

 すると風牙が突然足を止め、小刻みに体を震わせた。


「久しぶりだわ、この感覚……!」


 そしてカッと目を大きく見開いたと思ったら、風牙はほろりと涙を零した。


「流苑にいたら、みんなわたしを踏んだり蹴ったりと扱いがひどすぎるのよっ。最近じゃ恐ろしい鬼婆にこき使われるし」

「あのさ風牙。本当にそのうち殺されるからね」


 黎春燕の怖さを少し知っている雪花は、口元を引きつらせた。

 鬼婆などと言ったが最後、頬が真っ赤に膨れあがる程の平手打ちが飛んでくるだろう。


「大丈夫よ! 目の前には異国の地……! わたしを待っているのは、自由と情熱的な恋よっ」 


 風牙は満面の笑みを浮かべ、ご機嫌な様子で妓女たちに手を振り返していた。


(やっぱり逃げる気だな)


 捕まえて帰ったほうがいいのか、それとも放っておくべきか。まあ、今考えても仕方がないのでその時に考えることにする。

 奉仕精神旺盛な風牙を無理やり引きずりながら、 グレンと雪花はとある妓楼の門をくぐった。

 紫水楼とは違って小さな妓楼だ。中は薄暗いが、美しく輝く硝子の火屋が異国情緒溢れる空気を作り上げている。青い硝子で作り上げられた幾何学模様は美しく、流苑の赤い光とは違って澄んだ印象を与えている。

 そして、空間を満たす甘い香りは月花香だろうか。蜜を求める男たちを引き寄せるような官能的な香りだ。


「いらっしゃいませ」


 出てきた女は、臍を大胆に露わにした煌びやかな衣装を身にまとっていた。

 

「先ぶれを出していた者だ。これは残金だ。ミアはいるか」


 グレンは名を名乗らなかった。代わりに、女の手にずっしりとした巾着を手渡す。おそらく中身は金だろう。

 女は笑みを消し、巾着の中身を確かめてからグレンたちを一瞥した。


「ご案内しましょう」

「ミアには何も言ってないだろうな」

「もちろん。下手なことを言って、逃げられたら困るのはこちらも同じですよ」


 女は両肩を竦めて赤い唇で艶やかに笑うと、雪花たちを妓楼の奥へと案内した。

 

「――ミア、追加の客人だよ」


 中からの返答はなかった。女が扉を開けると、そこには裸の男の上に跨がる女がいた。

 小麦色の肌に張り付く栗色の髪、豊満な胸、すらりと伸びる足。翡翠色の目が、気だるそうにこちらに向けられた。そして僅かに見開かれたが、すぐにどうでもいいようなつまらなさそうなものへ変化した。

 雪花たちを案内した女は顔を顰め、そこらにあった男の服を二人に向かって放り投げる。


「時間がとうに過ぎてる。時間は守れって言ったわよね」

「……この人がもう一回っていうから」

「別料金ですよ、お客様」

「す、すまん!」


 ミアはゆったりとした動きで男の腹の上から退くと、男は急いで服を纏い、雪花たちを連れてきた女に連れ出されていった。

 寝台の上に裸で腰かける女――彼女がミアだ。

 ミアは服を纏うこともせず、億劫気に肌に張り付いた髪を掻き上げた。


「……なに、いきなりやってきて。四人でやりたいわけ? わたしは何でも構わないけど」


 風牙は嘆息すると、床に落ちていたミアの服を彼女の頭に被せた。


「悪いが俺らにそんな趣味はない。さっさと服着ろ、餓鬼」


 ミアは無言のまま睨む様に風牙を見上げたが、顔色が変わらない風牙に嘆息し、体を清めてから服を着た。身に纏っているのはゆったりとした寝衣だ。

 

「堕ちたわたしを笑いにきたの?」


 水差しの水を一口飲んで、ミアはそう切り出した。

 グレンは頭巾を外し、皮肉を浮かべて笑うミアに視線を合わせた。


「おまえを連れ戻しにやってきた」

「……はぁ?」


 ミアは顔を顰めて眉根を寄せた。


「馬鹿じゃないの? わたしは、あんたたちから国外追放を受けた身よ。まさか忘れたの? わたしがあんたの命を奪おうとしたこと。あんたたちが、カイトを殺したことを……!」


 翡翠の目に黒い炎が宿る。その目は、次に雪花へと向けられた。


「ねえ雪花。覚えてるわよね。あんたは、わたしの一族を殺した。ひどく残忍だったわよね。容赦なく、助けを乞う人間にまでその刀を振るった」


 雪花は何も否定もしなかった。――それが真実だからだ。

 何も言い返さない雪花とグレンに、ミアは唇を噛んだ。何かを言いかけたが堪えるように拳を握り、弱弱しく頭を振る。


「……違うわね。悪いのは、わたしなのに。まだ、人のせいにしようとするなんて」


 ミアは自身の両掌に顔を埋めて口を閉ざした。

 重苦しい沈黙が支配する中、グレンがミアの前に足を進めた。

 グレンはミアを見下ろしながら静かな声で告げる。


「兄上が、正式に即位式を行う。今回はその恩赦だ。‟ミアに選択を与える”――それだけ、おまえに伝えろと言われた」


 ミアの肩が小さく揺れた。

 どういう意味なのか雪花には分からない。おそらくグレンも本当のところは分かっていないだろう。ただ、グレンは自身が媒介としての役割を担っていることは理解している。


「来るか、来ないかはミアが決めればいい。身請け金は既に払ってある。戻る気持ちがあるなら、明日、俺たちが泊まっている宿に来てくれ。嫌ならどこへなりとも行けばいい。もう、ミアは自由だ」


 グレンは宿の名前をミアに告げると、戻ろうと雪花たちに目配せした。

 雪花が扉に手をかけたところで、ミアがのろのろと面を上げて、グレンに向かって呟いた。

 

「――ねえ。あんたは、わたしが憎くないの? 殺したくないの?」


 グレンは足を止めて銀色の睫毛を伏せた。そして、ミアを振り返る。

 

「殺されて、殺し返して。それで何か生まれるのか? 俺はもう、嫌だよ」


 物悲しく、今にも消えてしまいそうな寂しい声色だった。

 雪花は瞼を伏せた。いつかの昔、グレンの口から同じ言葉を聞いたことがある。

 グレンはそれだけ答えると、雪花たちと共に部屋の外へと消えた。

 軋んだ音を立てて、木の扉は閉じられた。

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