第三話

「――え! 志輝ってば許可したの?」


 饅頭を齧りながら白哉は驚きの声をあげる。白哉の傍で、必死に政務と格闘している翔珂も、筆を持つ手を一瞬止めた。

 そして二人揃って、志輝に向かって疑うような視線を向けてきた。


「……なんですか、その目」


 志輝は翔珂から回された書簡を確認しながら、不機嫌そうに二人を横目で見た。

 翔珂はすぐに逃げるように書簡に視線を落としたが、白哉は饅頭を頬張りながら志輝を指さす。

 

「いや、だってさあ。小豆並みに狭量な志輝が、雪花ちゃんの国外行きを認めるなんてねえ。ほら、陛下もそう思うでしょ? 分かるよその気持ち。小豆が大豆になったような僅かな変化だけど、なんとなしに喜びがあるよね」 

「お、俺は一言も何も言ってない、勝手に代弁するな! そんで俺の机に座るな! 尻も向けるな! 俺は今、仕事中だ!!」

「俺は今休憩中ー」


 吠える翔珂を揶揄う白哉は相変わらずである。

 志輝は嘆息して、二人を無視して書簡に目を通す。小豆が大豆になった程度で悪かったな、と思いつつ。

 けれども、志輝なりに譲歩したつもりだ。口では反対だと言ったが、結局なところ雪花を縛ることはできない。彼女は大人しく家におさまる女ではない。

 そのことは、風牙をはじめ黎春燕や妓楼で働く人間達に言われている。

 身の回りの世話は自分でしてきた彼女だ。一人で生きていく術も持ち合わせている。

 縛り、制限すれば彼女は彼女らしさを失っていくだろう。……まあ、おとなしく言うことを聞く雪花でもないが。


(それに、最近では妙にぎくしゃくとしている……)


 嫁入りが決まってからというもの、妙に他人行儀な時があるのだ。

 視線を逸らすというか、合わせようとしないというか、今までの憎まれ口も減ったような気がする。

 不満というより不安なのだが、それを口にしてようやく縮まった距離を開けたくない。

 一人悶々と悩む志輝に、帰国準備をしていた珠華が何を勘違いしたのか「我慢だよ。一年は我慢だから。どうしても無理って言うなら、色んな国のお助け商品を詰め合わせで送ってあげるから」と志輝の肩を不憫そうに叩いた。

 一体どんな商いをしているんだと、志輝が胡乱な目を返したのは言うまでもない。

 怒って理由を一から説明すれば、珠華は「なーんだ、そういうことか。気にしすぎなんじゃない? 志輝、細かいからさ。慣れるまで待ってあげなよ。懐の大きさ少しは見せなきゃ、雪花さんも息が詰まるよ」と言って去っていった。

 妙に的を射ている助言だったので、念頭に置いているのだが中々難しい。

 志輝は知らずのうちに、深い溜め息をついていた。

 するとそのことに気づいた翔珂が、煩い白哉を押し退けて口を開いた。


「志輝、本当に良かったのか? 溜め息が出てるぞ」

「本音は良くないですよ。……でも、自由を制限したいわけじゃないですし。それに雪花が最近、妙にぎくしゃくしていると言いますか」

「え、これ以上嫌われることってあるの?」

「おまっ、本当に黙れよな!」


 翔珂は白哉の口に、残りの饅頭を押し込んで黙らせた。そして両腕を組んで、翔珂は志輝を見る。


「あいつは多分、今まで恋愛やら結婚なんて考えることもなかったんだろ。……ぎくしゃくしてるって言うなら、あいつなりに、前に進もうとして色々考えているんだと思う。……何て言うか、苦手分野に戸惑ってるだけだろ」

「……苦手、分野」

「いや、志輝じゃないって! なんでそこで落ちるんだ!」

「あはは! だからさ、元々嫌われてるところから始まったんだから、今更じゃんか。気にすることないって!」


 饅頭をいつの間にか食べ終わった白哉が、核心を突きながら楽し気に笑い声を上げるので、今度こそ志輝はおどろおどろしい空気を纏って白哉を睨んだ。


「……これ以上要らないをことを言うなら、逍遥様と星煉に色々と告げ口しますがいいですか」

「やっぱり志輝、小豆のままじゃん!」


 白哉に対しては小豆のままで十分だ。

 志輝は再び騒ぐ白哉を冷たい目で一瞥した後、手にしている書簡に記された名に、気難しい表情を浮かべた。

 黎静――一度会ったことのある、謎の男の名がそこにはあった。




「せーつかっ。準備はできた?」

「……うん」


 妙にご機嫌な風牙に、雪花は冷めた目を向けて頷いた。


「何よ、ご機嫌斜めじゃないの」

「…………」


 そりゃあんたはご機嫌でいいよな、と雪花は内心で毒づく。

 最近もっぱら、風牙は母親である黎春燕にこき使われている。一時とはいえ、ここから逃げれることが嬉しいのだろう。

 それに、玻璃は風牙にとったら相性の良い国だ。恋愛に関しては非常に情熱的である。


(もしや、このまま逃亡するつもりじゃないだろうな)


 やけに気合いの入っている風牙に、雪花は訝しむような視線を向ける。


「何よ」

「……別に」

「可愛くないわねっ!」


 いい年して頬を膨らます風牙を無視して、雪花はすたすたと歩いて妓楼の外へと出る。

 すると紫水楼の前には、同行するグレンと予想外の人物が立っていた。

 グレンの兄――シグレである。


「やあやあ、久しぶりだねえ雪花に風牙。今回同行してくれてありがとう。兄として礼を言いに来たよ」


 げ、と雪花と風牙は顔を顰めた。

 目の前でひらひらと手を振る男――シグレは苦手だ。そして珍しく、風牙も苦手としている。

 理由は簡単。この男は人畜無害な顔をしておいて、腹の内では何を考えているか読めないから。そして、誰よりも残忍だからだ。雪花が今まで見てきた人間の中で、この男が一番得体が知れない。

 身構える雪花に、シグレはにこりと笑った。


「相変わらず物騒な目をしてるね、君は」

「あなた様に言われたくはありませんよ」

「やだなあ、傷つくよ」


 両肩を竦めてみせるシグレだが、相変わらず何かが変だ。

 感情があるようで、ないような感覚。中身が空ではない。でも、何かが人と決定的に違う。

 うまく言葉で説明できないが、言葉に感情が伴っていないというべきか……。

 雪花は睨むようにして、彼を見た。


「一体、今回は何を企んでいるんですか」

「さて、特に何も? そろそろ正式に即位式をしろって周りが言うから、ついでに恩赦を出すことにしただけさ」


 血の如く赤い目の中に真意を探ろうとするが、そこにあるのは凪のような静けさだけだ。

 そう、いつも彼はこの目だ。空高く飛ぶ鳥が下界を見下ろす様に、この男は人を、物事をいつも俯瞰的に見つめている。どんな時も。


「恩赦、ね……。ミアにとったら、帰国は恩赦どころか針のむしろにもなるだろ」


 あらかたの事情を雪花から聞いていた風牙は、雪花と共にシグレを睨む。


「針のむしろかどうかを決めるのは、彼女自身だ。俺はただ、選択を提示するだけさ。この先をどう生きるか、何を選ぶかは彼女次第だよ。――雪花、君と同じようにね」


 シグレは雪花を見て、意味深に笑みを深めた。

 本当に食えない野郎だ。雪花は小さく舌打ちした。


「そんで、あんたも一緒に行くのか?」


 風牙が落ち着け、と雪花の頭に手を置きながらシグレに問いかける。

 

「いや、悪いけど俺は急ぎの用があるから、先に海路で帰らせてもらうよ。色々とやることがあってね。――あ。ついでだから、楼主殿にもご挨拶させてもらっておくよ。君たちを借りる礼をしておかないと」


 そう言って中に入ろうにするシグレの腕を、風牙は掴んだ。そして声を低く潜ませる。


「釘を刺さなくても、あいつはどこにも戻るつもりはねえよ。もう、この国に根を張ってんだ」

「……そうかな。アイシャは、中でも特別だからね」


 シグレは風牙の手を解くと、妓楼の中へと入っていった。

 二人の会話を聞き取れなかった雪花は首を傾げ、風牙の不機嫌そうな表情を見上げる。


「風牙?」

「……なんでもねえ。行くぞ」

「うん……」


 雪花はちらりと紫水楼を振り返ってから、グレンの元へと足を進めた。

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