第二話

「よ、雪花」


 外套を羽織ったグレンが雪花を待ち構えていた。目立つ銀色の髪を隠すように、頭巾を被っている。

 

「どうしたんだ?」


 確か、四か国会談を終えたら国に帰ると聞いていたが。もしや、その挨拶にきたのだろうか。

 グレンはじっと雪花の目を見つめてから、「あー……」と、どこか言いにくそうに口を開いた。


「そのさ」

「うん」

「近々国に帰るんだけど」

「そっか。気をつけて」


 そう言えば、グレンは不機嫌そうに目を据わらせた。

  

「おまえ、本当にそっけない奴だな」

「今更だろ」

「まあ、そうだけど。……実は、おまえに頼みがあるんだよ」

「頼み?」


 雪花は目を細めた。

 グレンは頷き、海を思わせる双眸を真っすぐに雪花に向けた。


「護衛してほしい」

「は?」

「兄上の命令で、ミアを連れて戻ることになった」


 ――ミア。

 その名に、雪花は琥珀色の目を大きく見開いた。

 頬を撫でる乾いた風に、黄金の如く輝く砂。高原に咲き乱れる赤い鬱金香。

 荘厳な白亜の墓廟、金色と孔雀青が織りなす美しい装飾壁。

 そして――己を睨む、暗く淀んだ女の双眸。流れ落ちた涙、血に染まった頬。

 一瞬にして思い出す。玻璃での、あの出来事を。

 唾を飲み込み、雪花は言葉を探すのにしばらくの時間を要した。


「……この国に、いたのか?」

「ああ。この街ではないが、妓女として働いている」

「なんで、連れ戻す」

「恩赦がでた。これは兄上からの命令だが、俺の意志でもある」


 グレンの兄……。あの得体のしれない、シグレという男か。

 グレンは僅かに目を伏せ、左腕に嵌めている、縹色の石でつくられた腕輪を握りしめた。


「……カイトを殺したのは、俺たちだ」

「……うん」


 雪花は重い頷きと共に、自身のつま先に視線を落とした。


「本当なら、もうおまえは関係ないけれど。でも、信用できる奴が他にいないからさ」

「……本当にまだ、従者を決めてないんだな。グレン」

「ああ」


 玻璃の王族は、幼いころから従者を持つことが慣例だ。だがグレンは、亡くなったカイト以外、誰一人従者を選んでいない。――過去を引きずったままだからだ。

 雪花は深く溜め息をつくと、面をあげた。


「グレンはまだ、紅家に滞在してるんだよね」

「ああ」

「なら、明日返事をしにいく。それでいいか」

「分かった」


 赤い灯が照らす路をグレンは引き返していった。遠ざかっていくグレンの背中を見つめながら、雪花は前髪をくしゃりと握る。


(玻璃、ね……)


 雪花は過去に想いを馳せる。

 あの地で起きた出来事は、雪花にとって、思い出したくないこともある。


『何で……。あんな奴、死んで当然じゃない』

 

 血に飢えた獣のように、人の命を一方的に奪った過去。

 分かってる。自分の中には、感情のままに動こうとする獣がまだいることを。

 美桜が死んだ時も、獣を押さえつけていた鎖が解けた。……寸前で、風牙が自ら鎖となってくれたけれど。


(こういうのを、因果応報っていうんだろうな……)


 グレンが人混みの中に消えていった後も、しばらくの間、ぼんやりと夜の街を眺めていた。



 そして翌日、雪花は仮眠をとった後、紅家の屋敷を訪れた。


「こんにちは」

「あら、志輝様はまだお戻りじゃないわよ。もう少しで戻られると思うけれど」


 雪花を出迎えてくれたのは、相変わらず元気そうな杏樹である。

 

「いや、今日はグレンに用があって」

「あら、堂々と浮気かしら」

「杏樹……」


 ものすごく厭な顔をすれば、杏樹は面白そうに笑った。


「ふふ、冗談よ。グレン様から聞いているわ」


 冗談でもないことを言わないで頂きたい。

 年長者に揶揄われながら、雪花は屋敷の中に案内された。


「グレン様、雪花がいらしましたよ」

「お、来たか」

「ああ、来てやったよ」

「あら雪花、気を付けると言っていた言葉遣いは?」


 杏樹に迫力のある笑顔を向けられ、雪花はたじろいだ。

 一年後に嫁入りを控えた雪花は、時間がある時に杏樹から礼儀作法を教わっているのだが……。これがまた、本当に怖いのだ。


「いいんだよ。こいつが変な言葉遣いする方が気持ち悪いから。今だけは許してやってよ」

「…………」


 グレンは可笑しそうに笑って言うが、擁護しているのか、貶しているのか。

 どうして自分の周りはそんな奴ばかりなのだ。


「で、返事は?」


 グレンは、雪花が回りくどいことが嫌いなことをよく知っている。席に着くなり、本題を投げかけてきた。


「……行くよ」


 雪花は両腕を組んで、一言答えた。

 

「本当にいいのか?」

「帰蝶には話を通してきた。金を寄越すなら許可するってさ。もちろん、わたしにも報酬はあるよね」

「……二人揃ってがめついな」


 グレンが横を向いてぼそりと呟いたので、雪花は目を細めて睨みをきかす。


「そんな目で見るなって。そりゃ、おまえにも色々と弾むつもりだよ」

「なら構わない。……そもそも、わたしにも関係ある話だ」


 雪花は杏樹が淹れてくれたお茶を一口飲み、嘆息した。


「……となれば、残る問題は志輝殿だけだな」

「うん……」


 グレンと雪花は、目を見合わせて深い溜め息をついた。

 黙ったまま国を出ても構わないが、この屋敷の主を無視すれば、後々ややこしいことになるのは明白だ。

 同席している杏樹は、話が見えないようで首を傾げている。

 すると部屋の扉が叩かれ、問題の志輝が姿を現した。


「あら、お帰りなさいませ」

「ええ」


 雪花の姿をみとめた志輝は、僅かだが目元を綻ばせた。

 最近では意地の悪い笑顔でなく、柔らかい表情が多くなったと思う。


「お久しぶりですね、雪花」

「えー、あーはい……」


 こっ恥ずかしい騒動以来、志輝との距離感をいまいち測りかねている雪花は、顔を直視できずに曖昧に頷いておいた。

 なんかこう……今まで気にしなかったのに妙に緊張するのだ。

  

「あのー。雪花は今回、俺に用事があったんですけど」

「お変わりないですか?」

「え、ちょっと。俺のこと無視?」


 グレンの存在を無視して椅子に腰かける志輝に、雪花は苦笑と共に「大丈夫です」と短く答えた。

 だが志輝がこうして、意地の悪い態度をグレンに見せているところをみると、グレンに対して少しは心を許しているのかもしれない。

 雪花は逸らしていた視線をグレンに向け、さっさと話をしろと念を送った。

 するとグレンは、おまえが言ってくれと視線を返してきた。

 雪花は意味が分からないと顔を顰め、グレンが持ってきた話だろと訴える。

 一方グレンは、無理無理殺されると身振り手振りしてくるので、そんなのこっちも同じだよと雪花は歯をむき出しにした。

 二人の無言のやり取りに、志輝が気づかないはずがない。

 

「……お二方、何をこそこそしていらっしゃるので?」


 杏樹と同じく、妙に迫力のある笑顔を張り付けて志輝が首を傾げた。


「え、あー……その、なぁ……」

「ちょっと、相談があると言いますか、報告があると言いますか……」


 グレンは雪花と顔を見合わせたあと、意を決した様に表情を引き締め、志輝に向かって勢いよく頭を下げた。


「少しの間、雪花を借りたいんだ!」

「…………どういう意味でしょうか」


 返された言葉は、予想した以上に、ひんやりとした氷のような声色だった。


「その、玻璃への道中、雪花に護衛をしてもらいたく」

「そんなもの誰でも雇えばよいでしょう。どうして雪花を、他の男と二人きりにしなければならないので?」

「いや、もう一人の女性がいまして、そちらが本題と言いますか……」

「駄目です」


 志輝は笑顔を消し去り、鋭い目つきをして言い放った。

 落ちる気まずい沈黙に、雪花はこの場から逃げ出したくなったがそうもいかない。

 この男を頷かせないと、後々監禁でもされそうなので突破するしかないのだ。

 正直、今だって紫水楼にいることを快く思っていないのだから。

 輿入れはすぐにと、あの黎春燕に食ってかかったくらいだ。説得させるのにも骨が折れたというのに。


「……雪花。あなたは了承したのですか」


 ほら、お鉢が回ってきた。

 雪花は恐る恐る顔を上げた。


「その、わたしにも関りのある話なので、受けないわけには……」

「関わりとは?」

「それ、は……」


 正直に玻璃での出来事を話してしまえば、幻滅されるかもしれない。

 けれども、正直に伝えなければこの男は納得しないだろう。

 喉奥にへばりついた言葉を、ちゃんと伝えなければ。

 大体幻滅なんて今更だろう。このまま黙っていれば先日の二の舞だ。

 自分は自分のままであればいいと、ネイサンは言った。

 彼の言葉に勇気をもらい、雪花は覚悟を決めて志輝の顔を真正面から見つめれば、彼は雪花からの言葉を大人しく待ってくれていた。

 問い詰めるような空気を少しだけ抑えて込んで、雪花に歩調を合わせるように。


「……玻璃で、関わった人なんです。もう一人の女性というのは」


 沈黙を破り、雪花はようやく口を開いた。


「グレン殿の護衛をしていた時ですか?」

「はい。わたしは……わたしとグレンは、一人の少年の命を犠牲にして、今こうして生きています。……それだけじゃない。わたしは玻璃で、自分を見失って、奪わなくてもいい命を奪ってしまいました」


 罪の告白ともとれる言葉に、志輝は目を見開いた。

 雪花は自身の掌を見下ろす。

 この手で奪った命は、もう二度と返っては来ない。

 もちろん、奪わなければ生き残れない場面は幾多もあった。

 けれど、あれは違うんだ――。自分は、護衛としての一線を越えてしまった。

 決して言い訳はできない。現にそれを知っているグレンは黙ったままだ。

 雪花は開いていた掌をぐっと握りしめた。掌に刻まれた、罪の感触を思い出す様に。

 

「もう一人の女性、というのはその少年の姉でして。……グレンを殺そうとして、国を追放された人です」

「なぜ、そんな人間を今更――」

「……恩赦だ」


 グレンは呟いた。


「兄上は、表に出てこれなくなった父上の代わりに王座についた。今まで国内の色んなが必要で、即位式すらやってる余裕はなかったけど。今回ようやく、一息つけることもあって兄上が決めた。詳しくは聞かされていないが、彼女を玻璃の要所まで連れ戻せとの命令だ。兄上はよく分からない人だけど、無意味なことを人にやらせたりはしない。……きっと、何か理由がある」

「自らを害そうとした人間を、数日とはいえ傍に置いておけるのですか」

「そこで殺されるなら、俺はそこまでの人間ってことだよ。……まあ、みすみす殺されるつもりもないし、過去から目を背けるつもりもない。雪花、おまえもそうなんだろ」

「……うん」


 強い青の双眸を受け止め、雪花は頷いた。そして、ふと思う。グレンはあの頃と変わらない真っすぐな目をしていると。何色にも染まらない、透明な光を目に宿したままだ。


「わたしもグレンと同じです。過去から目を逸らしたくありません。……お願いです、同行を許して下さい」


 雪花はグレンと共に頭を下げた。

 志輝は眉間に皺を寄せて、二人を見つめる。

 そして一向に頭を上げようとしない二人に、志輝は根負けしたように長い溜め息をついた。

 

「……本当にずるいですよね、あなた方は」


 そう言って志輝は、グレンと雪花の前に片膝をついた。


「殿下。あなたは仮にも一国の王族です。そう簡単に頭を下げてはなりません」

「……王族の前に、俺は一人の人間なんだよ。大切な友人一人守れなかった、愚かな人間なんだ」


 グレンの言葉に志輝は目を瞠った。

 己を愚かだと言う人間を、志輝はよく知っているからだ。

 それは雪花にとって乳兄弟であり、志輝にとっては友人であり、家族であり、守るべき主。

 志輝は観念したような笑みを唇に浮かべ、雪花たち二人を見遣った。


「類は友を呼ぶと言いますが、は似ていますね。正直で、真っすぐで……。きっと、わたしが止めたところで行くのでしょう」


 雪花とグレンは目を見合わせ、志輝の顔をまじまじと見つめた。


「じゃあ、許してくれるんですか……!?」

「雪花、渋々ですよ。それに条件があります。わたしは国を離れるわけにはいきませんので、風牙殿にも同行してもらってください」

「風牙……?」


 雪花は首を傾げ、グレンは少しだけ嫌そうな顔をした。

 志輝はにっこりと笑う。


「彼なら、殿下が雪花に手を出そうとしても全力で邪魔をするでしょうから」

「俺をなんだと思ってるんだ! さすがの俺でも、志輝殿のお手付きになった女に手を出さないっての」


 心外だと言わんばかりのグレンに、雪花は横目で睨みをきかせる。

 

「ちょっとグレン、変な言い方しないでくれる」

「八割お手付きだろ」

「違う!」

「八割……?」

「ちょ、杏樹。誤解です、本当に違いますから」


 部屋の隅に控えていた杏樹が、志輝に対して笑顔で圧力をかけてくる。

 やはりこの屋敷で一番の強者は、杏樹に違いない。


(……なんとか行けそうだな)


 雪花はほっと胸を撫で降ろし、杏樹に小言をちくちく言われている志輝を眺める。

 正直なところ、志輝との距離をどう保っていればいいのか分からないのだ。

 一年後に嫁入りといっても実感がないし、恋人としてどう過ごすべきなのか。

 志輝は今まで通りでいいと言ってくれるが、その今まで通りが分からなくなっている。

 要するに、雪花は今まで考えてこなかった“恋愛”について行き詰まっていた。


(少し離れた方が、どう接すればいいのか分かるかも……)


 そんなことを考えつつ、雪花は冷めた茶を啜るのであった。



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