出会い、ゴミ山から出でて③
整理しよう。喫茶アウリンの店内、暴走して店を破壊し始めたAIが一機。腰をかがめつつ、それに対処せんと会話する白衣白髪の少女と初老の店長。ちょうど今、数年前「感情を本当に揺さぶってしまうサブリミナル・シグナル」として話題になった
「兵器~!? 勘弁してよ、またお店が壊れちゃってるし!」
「アレ飲まさへんかったらこうはなっとらんわい!」
「……ごめん」
店長はもろもろ考慮して、非を認めて謝罪ができる大人だった。本当は喫茶店に兵器を持ち込んでいるエリの方にも問題があるのだが、そういう責任の押し付け合いの不毛さを知っているのは年の功。とにかく、とすぐに切り替えられるのは長年の付き合いの賜物だった。
「で、あの暴走ロボをどうするかなんやけどな」
「あの
今もなお破壊される店内はもう破壊されるままにするとして、二人は状況の確認を選んだ。カウンターの陰、暴走するサラの死角でエリが店長に伝えるのは、彼女に情動機関の失敗作が入っているということ、店長が飲ませたのがエリの新発明だということ、そのせいで軍用義体ボディが活性化しているということ。
「国軍仕様かぁ……企業製と違って硬くて嫌なんだよね……」
「なんか役に立ちそうなこと知らんか」
「あの破壊ルーチンには見覚えがあるよ。自己防衛モードに移行した旧時代の
「ほな、
様々な理論や仕組みは抜きにして、やるべきことはシンプルだ。指示系統、つまり頭を身体から切り離せば、暴走は止まる。ちゃっちゃと潰してまお。どこか焦った様子で――いや、目の前で破壊行動が行われているのに焦るのは当然なのだが、エリはこの程度で取り乱す少女ではないのだ――言うエリに、店長は、
「壊さなきゃ駄目かい」
「なっ、今それ言うんけ!?」
自分の店が破壊されているという一大事にも関わらず落ち着き払った店長に、エリが面食らって返す。店長はいたって真面目な顔で、
「僕は構わないよ。AI兵士は企業戦争でいくらでも壊したし。けど、あの子は、君が大切そうにしてたからさ。なんというか、無理しているように見える」
「機械相手にかける情は『正しく仕事を全うしているか』だけや。暴走した兵器に容赦なぞするかい」
「なら、シートをかけたり、椅子に座らせたりしなくていいじゃないか。機械だって切り捨てるんなら」
「それは――」
「……情動機関」
ドキリ。という顔をエリはしていた。「君を預かってからどれだけ経ったと思ってるの」という店長の言葉に、
「ナノマシンのスペック補完による人格誕生――何億分の一の奇跡の話をしよるねん」
「でも、あり得ないとは言わないじゃない」
「ただでさえムカつく技術なんや。それを、完成させた――産まれさせてしまったかもしれんのやぞ! どう、責任を取りゃあええんじゃ!」
情動機関。心を、命を生み出してしまう技術。何かを感じる主体を生み出すという傲慢と責任。中身のある実態を演算させることの罪。様々な偶然が重なってできたこの状況に、エリの内で芽生えていたのは恐怖だった。
ナノマシンによるスペック補完など、ほんの些細なきっかけでしかない。情動機関という不透明な存在に関わったことに対する決着を、どうつければよいのかエリには分からなかった。
エリは幼い頃、この街に、店長に預けられた。理由も定かではない親との離別への漠然とした怒りから、彼女は『産み出したものに対する責任』に人一倍敏感だった。言外に店長はそれを理解していて、だから静かに、
「これは経験則だけどね」
破壊の音が響き渡る店内。エリの肩に両の手を置いて、店長が言い聞かせるように言った。
「それが命かもしれないのなら、奪うより、救った方が後悔は少ないよ。それにね」
低く、掠れているのに力強い声だった。肩に置かれた手は、右手が温かく、左手は冷たかった。
「一人で責任を負う必要なんてない。その為に
真剣なまなざしがエリを貫いた。店長の口ひげの下、唇の端が震えていた。それが覚悟を決めた時の、ジョセフ・フルムーンという年長者の癖だということを、エリは知っていた。彼が時にとてつもなく頑固で、いつも彼女のことを第一に考えているのだということも。
だから、エリは溜息を吐いて、
「頼むで、ジョセフのおっちゃん」
「うん。精一杯やろう」
二人が顔を見合わせて微笑む。サラが音声チャンネルから混濁したノイズを鳴らしながら、いつもエリが作業をしている席を叩き壊した。「はよせんかったら冗談抜きで店に穴ァ開いてまうわ」と、ナノマシンで強化された軍用ボディの出力に戦慄してエリが言う。
「マスター、あいつは首の接合部がどえらくボロい。狙い撃てるか」
「おそらくは、ね。あんまり銃は使いたくなかったけど。あと、店長って呼んでね」
エリの質問に、店長が腰の銃を引き抜きながら返す。黒光りする四角い板にグリップがついてシリンダーが埋め込まれたようなデザインの6連装回転式汎用50口径。銃口の部分だけが少し凹んでいるのは至近距離でぶっ放して機械腕を撃ち千切るためだ。
見るからに凶悪な銃だったが、本人の技量もあってその精度は高い。店長は企業兵士として現役の時代、この銃でボトルキャップチャレンジを五回連続で成功させたこともある。
「わっしが走って近づいて滑り込むから、こっちに気ィ取られた隙に首のワイヤーを撃って。切り離された頭はこっちで確保するわ」
「
かくして、暴走するサラを止める手はずは整った。エリの改造万能スニーカー『俊足くん』が青白く光り、スプリントの為のチャージを始める。サラの方はちょうどカウンター越しにバリスタ君2号を破壊した瞬間だった。店長が銃を持って準備を完了する。エリもオン・ユア・マークだ。
「いくどォ!」
エリの声と共に全てが動き出す。エリを捕捉したサラが何やら呻き、エリの方に向き直って立ちふさがる。エリは走りながら姿勢を低く、狭い店内、一瞬で距離を詰め、スライディングの態勢へ。店長はサラが気を取られた瞬間に飛び出して、銃を勢いよくサラに向ける。
ここで店長の話をする。彼はかつて企業戦争の英雄として各所で語り継がれた伝説的な兵士である。が、あるきっかけから企業兵士を辞めてスタァライト・シティに落ち着き、現在年齢は五十代前半であった。
銃さばきは衰えることなく、視力も眼鏡を加味すれば現役と遜色ない。しかし、老化というものは誰にでも等しく訪れ、何かしらの不調を身体にもたらすものである。
たとえば、彼の場合、それは腰であった。
「んなああっ!!!???」
「店長ォ!?」
スライディング開始、取り返しのつかない状況になってから聞こえた悲鳴だった。思わず顔を後ろに向けると、腰を押さえ崩れ落ちる五十代の男性がおり、それは唖然とするのに十分な光景であった。
なんというか、格好がつかない。先ほどまでのやりとりは一体なんだったのか――。
が、エリの推進と運動エネルギーは紛れもない事実だった。
「まずった――」
店長に気を取られ、態勢が崩れた。加速していたエリの身体は身をよじって不安定になっていたサラの身体に激突し、そのままタックルのような形で店内を転がる。そこらじゅうの物品が散乱し、ガラガラガッシャン、嘘みたいな騒音が響き渡った。
・・・
エリは転がった後、目をつむって考えていた。とりあえず静かになった店内。暴れている存在の気配はない。あのタイミングで腰を言わす店長はどうかと思う。が、それよりなにより、決して無視できない感触を両手に覚えている。
温かく、つるりとしているかと思えば毛が生えていて、覚えがある重さ。
だいたいの未来は予想がついた。うっすら目を開ける。ちょっと確認して、また目を閉じる。自分が抱えているのは、間違いなく、あのゴミ捨て場よろしくサラの生首だった。よかったよかった、とりあえず、なにはともあれ、目的は達成できたのだ。これで万事解決だ。
「あのう」
だから、これ以上の展開は望んでいない。
「目、合いましたよね……?」
だから目を閉じたのだ。すぐそこに少女の顔面があったから。完全に目が合ったから。不安げな表情――そう、表情というものを湛えて、自分を見上げる生首があったから。それは、今朝のAIの仕草とはまるで違っていて、
「誰じゃあ、おどれ……」
思わず、そう、訊いてしまうほどに雰囲気が違うこと自体が、何が起こったのかを雄弁に物語っていた。
「そんなことより、大変です、早くわたしを身体に戻してくださいっ!」
そんなことより、と言った。だから、真に、彼女だ。
「ちょい待て、今なんちゅーた……?」
「だから、わたしを戻さないと危ないんですっ! さっきまでずっと主導権の取り合いしてて、もうすぐで暴走も止められそうだったのに……!」
悪い予感がした瞬間、むくり、と起き上がる人影。そこに頭はなく、人型の兵器として研ぎ澄まされた機能美だけが顕現していた。どちらを向いているのかもわからない。が、先ほどまで店内で暴れていた存在よりもっと禍々しい空気をまとって、ゆっくりと起動しているのが感じ取れた。
「おい、なんであれだけで動いとる」
「自己防衛プログラムは身体部だけで稼働してたんですぅ! わたしはそれを止めるのに必死で――」
ベギャアッ、と聞いたことのない音。見れば、機械の女体がカウンターを蹴って、信じがたいことに脚で突き刺していた。いったいどれだけの力で踏み抜けばそうなるのだ。考えもまとまらないうちに、首無し人形がカウンターを越え、喫茶店の従業員側の壁に到達すると、嘘みたいな腕力で殴りつけ、ぽっかりと穴を開けた。2発、3発、それは掘削機のごとく、金属の拳が壁に打ち付けられる度に外の景色が見え始め、昼の空気が店内に流れ込む。
超現実的暴力に目を逸らすと、床で倒れ込んでいる店長と目が合った。店長も同じタイミングで目を逸らしたからに違いなかった。
そうして、筋骨隆々のサイボーグ・ボディが街に解き放たれる。それが去ったアウリン店内は嵐が過ぎたかのような有様で、事実、災害級に危険なシロモノだ。
さて、責任を取らねばならない。
油断すれば涙が出てきそうだった。
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