第17話 P

「よし、じゃあさっそく作るか」

「はい!……と言いたいところなのですが」

やる気満々だったオブザーバーが突然うなだれた。俺は首をひねる。

「どうした?」

彼が俺を見て、困ったような顔をした。

「実は、ソースが今日に限って喉を壊してしまっていて。先程試しに音を出してもらったのですが、たいそう不快な音しかならないのですよ」

オブザーバーの言葉にさっき聞こえた騒音がソースのものだったと知る。あんな音をずっと聞き続けていたら気が狂ってしまうだろう。

「なるほどな……まあ、音さえ出れば公式は作れるだろうが、あんまり長くは聞きたくないな」

「はい」とオブザーバーとリフレクションが頷く。

「じゃ、ソースには公式を作る瞬間だけ音を出してもらうことにするか」

そう言うとソースが「はーい」と歌うように答えた。普段なら綺麗なのだろうその声は、今はガラガラ声のせいでひどい雑音に聞こえた。

「音を出すのは作る瞬間だけでいいっての!」

耳を押さえてそう言うとソースがしょぼんと肩を落とした。


「よし、まずどの式から作るか……」

腕を組んで物理の授業のことを思い出す。ドップラー効果の単元でいつも最初に教えるのは、音源、つまりソースが動くのをオブザーバーが止まって聞く状態のときについてだ。

(まあ、俺が慣れている順番で行くか)

「よし、じゃあソースとオブザーバー、こっちに来てくれ。リフレクションはそこで見学していてくれ」

そう言うとリフレクションが頷き、その場で体操座りをした。(重心が高そうなのに器用なやつだな)と俺は感心して彼を見る。

「救世主様!用意が出来ましたよ!」

オブザーバーが手を振る。俺は頷くとソースに声をかけた。

「よし、じゃあソース!オブザーバーの方に向かって音を出しながらゆっくり近づいてきてくれ」

ソースが頷き、声を出そうと口を開いた。それと同時に式を書こうとして、公式を作る準備を何もしていなかったことに気づく。俺は慌ててソースを手で制した。

「あ、待て!先に公式を書く紙を用意するから!」

ソースには悪いが、出来るだけ今の彼の声は聞きたくない。俺はソースが残念そうに口を閉じたのを確認してから紙を取り出した。コンデンサに大量に用意してもらった紙だ。それ以外に公式を書きやすくするためのクリップボードもある。

(さすがコンデンサ、よく気が回るな)

そんなことを思いながら紙をクリップボードに挟み、ソースとオブザーバーの方を見た。

「よし、じゃあオブザーバー、お前はそこで止まっていてくれ。ソースはゆっくりオブザーバーの方に近づいてくるように」

そう言うとソースがガラガラ声を上げてオブザーバーの方に近づいていった。俺は利き手とは逆の手で耳を塞ぎ、顔をしかめながら式を素早く書く。

書き終えると昨日のように式が青く光り、宙に浮かび上がった。それが紙面に着地し公式として登録されたことを確認してから、ソースに声をかける。

「おい、ソース!もういいぞ!」

しかし、俺の声が聞こえていないのか、ソースはまだ音を出し続けていた。よく聞けば気持ち良さそうに歌を歌っているようだ。

「おい!もう静かにしてくれよ!」

そう叫ぶが、騒音にかき消されてソースの耳には届いていないようだった。仕方なく俺はオブザーバーに向かって叫ぶ。

「オブザーバー!ソースに静かにしてくれって伝えてくれ!」

そう言うとオブザーバーがぴしっと敬礼をし、ソースに走りよると支柱の部分を数回叩いた。ソースが我に返ったようにはっとして、口を閉じた。

やっと辺りが静かになり、俺はため息をつく。まだ頭の中でソースの声がわんわんとこだましていて、かすかにめまいがするのを感じながら口を開いた。

「よし、一つ公式は出来たぞ」

その紙を見せてオブザーバーが嬉しそうな顔をした。

「ソース、音を出してくれるのは嬉しいが、ちゃんと俺の声は聞いていてくれよ」

そう言うとソースがきまり悪そうな顔をした。

「ソースは歌うのが大好きなんですよ。普段なら誰もが聞き惚れてしまうような綺麗な歌声なのですが……。今は救世主様にお聞かせできないのがなんとも残念です」

オブザーバーが言葉通り残念そうにいう。

俺は腰に手を当てるとソースに向かって尋ねた。

「大体なんで喉を壊したんだよ?あんた機械だろ?そもそも壊しようがないじゃねえか」

そう言うとソースがうつむいた。そして、何か言おうか言わないか逡巡している。

(なんだ?)

怪訝に思ってソースを見るが、彼の口は重く、何も言わない。困っているソースを見てから俺はオブザーバーとリフレクションを見た。この二人が何か知っていて代わりに教えてくれるかもしれない。

俺の視線を受けてオブザーバーが困ったような顔をした。

「申し訳ないのですが、私もよく分からないのです。昨日までは本調子だったのに、今日いきなり……」

オブザーバーの言葉を聞いて俺は首をひねった。

(まさか電池がないというわけじゃないだろうな)

腕を組んでスピーカーの音が狂う要因を考えているとき、リフレクションがよたよたとこっちにやってきた。たった二つの足で長い体を支えているから歩くのが大変そうだ。

俺の近くでリフレクションがぴょんぴょん飛んでいる。どうやら彼はオブザーバーやソースと違って何も喋れないようだった。手もないから身振り手振りも出来ず、俺はきょとんとして妙な動きをするそいつを見つめる。そんな俺とリフレクションを見比べてオブザーバーが口を開いた。

「リフレクションが『もしかしたら光グループのせいかも』と言っております」

オブザーバーが俺を見て少し遠慮がちに言う。

「光グループ?」

そう聞き返すとオブザーバーがコクリと頷いた。

「はい。ここ、波動区には二つのグループがあり、そのうちの一つが光グループでもう一つが我々が属する音グループなのです。光グループの彼らは光より遅い音を取り扱っている私たちのことをバカにしているのです。『動きが鈍い奴ら』だと……」

オブザーバーの言葉に俺は腕をくんだ。

「特に光グループの中でも凸レンズと凹レンズの二人組はいたずら好きで、しょっちゅう我々をからかっては遊んでいます。もしかしたらまたあの二人が……」

オブザーバーがそこまで言うと「そうだよ」とどこからか声が聞こえてきた。

声のした方に振り返れば銀髪で奇妙な髪型をした二人の少年が立っていた。こちらを見ていたずらっぽい笑みを浮かべている。彼らの頬には凸と凹のマークがついていた。

「救世主様!あの二人が凸レンズと凹レンズです!」とオブザーバーが彼らを指さして叫んだ。

(あいつらが……)

よく見れば凸レンズの方が右手で何かを弄んでいる。なんだろうと目を凝らして、隣にいたオブザーバーが声を上げた。

「あっ!あいつら、ソースがよく使っている喉スプレーを持ってます!あの喉スプレーがとられてしまったから、ソースの喉の調子が悪くなってしまったんですよ!」

オブザーバーの言葉に俺は呆れる。

「喉スプレーって……」

スプレーがないと喉を壊すなんて歌手みたいなやつだ。

「こら!その喉スプレーを返せ!それがないと公式が作りにくいんだ!」

そう言ってオブザーバーが怒る。とはいえども声は高いし姿形がマスコットキャラクターに似ているし全然怖くない。少しも悪びれることもなくレンズ二人組が笑った。

「そんなこと知ったこっちゃないね。返してほしいんだったら、『音』に勝負に参加して『光』様に勝つよう伝えろよ」

そう言って凸レンズが笑う。それを聞いてオブザーバーが驚いたような顔をした。その顔を見ながらレンズ二人組が意地悪く笑った。

「じゃあライトステーションで待ってるからな。逃げずに来いよ!」

そう言い残して、二人はこちらに背を向け走り出した。オブザーバーが追いかけようとしたが、圧倒的にレンズたちのほうが足が早い。レンズたちが消えた茂みの側まで走っていったが、彼らの姿を見失ったようで足を止め、ため息をついた。

「ああ、なんてことだ……」

そう落胆するオブザーバーに近づいていき、俺は話しかける。

「なあ、一体なんの話なんだ?詳しく説明してくれ」

そう言うとオブザーバーが俺の方を見て口を開いた。

「先程も言いましたが、彼らは光グループの一員で、波動区内に存在するライトステーションという地域に住んでいます。光グループのトップ『光』様は我々音グループのトップ『音』様を馬鹿にして、よくかけっこ勝負を挑んで来るのです」

かけっこ勝負、という単語を聞いて俺は体の力が抜けた。なんだか随分と平和な話だ。

「なんだ、だったらかけっこで光に勝てばいいんじゃないか」

そう言うとオブザーバーが「とんでもない!」と首を振った。

「音様が光様に勝てるはずがありませんよ!速さが違いすぎるんですから!」

そう言われなるほどと俺は頷く。確かに実際の音と光では速度に差がありすぎてそもそも勝負にならないだろう。

「つまり、光グループの奴らは音グループのお前らが絶対に勝てないことを知った上で勝負を仕掛けてきているわけだな」

俺の言葉にオブザーバーたちがうんうんと頷いた。

「かけっこ以外の別の勝負にはしてもらえないのか?」

そう尋ねるとオブザーバーがうなだれながら頷いた。

「ええ、何度も別の勝負にするよう頼んでみたのですが、全く聞き入れてもらえなくて」

彼の言葉に俺は腕を組んだ。とにかくかけっこで勝負しなければならないらしい。

「彼らに勝てなければソースの大切な喉スプレーが返ってきません。そうしたらソースの声は一生このままで、公式を作るのが難しくなるかもしれません」

そう言ってオブザーバーが項垂れた。どうしたもんかと俺は腕を組む。

「……順番はどうであれ、光グループの方にも公式を作りに行かなきゃいけないしな。でも、あの様子じゃ素直に手伝ってはくれなさそうだ」

「そうですね」とオブザーバーが頷く。

「仕方ねえ、音にかけっこで勝ってもらって、光グループの奴らに言うことを聞かせるしかないな」

「それができたら苦労しませんよ……」とオブザーバーが落胆したように言った。

「ま、とにかくまずは音に会いに行こう。オブザーバー、案内してくれ」

そう言うとオブザーバーが困ったような顔をして、

「いいですけど、多分勝負に出てもらえないと思いますよ……」と言った。

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