第15話 G

(さて、これからどうするかな……)

アンペアの部屋の前で立ち止まり首をひねる。外はもう薄暗いし、中庭を散歩するような時間帯でもない。それに、またスイッチに暇人だと罵られるのはごめんである。

(研究所に行きたいけど、電子が見張ってるだろうしな)

そうは思いつつも、一応研究所の様子を見に行ってみることにした。


「あれ?」

階段の下を覗き込んで、思わず俺はきょとんとする。

さっきまで研究所へと続く階段の前を陣取っていた電子が、今は姿を消していたのだ。

(よく分かんねえけどラッキー)

そう思いヒュウと口笛を吹く。そして例のごとく誰か周りにいないか確認してから階段を降りていった。

階段の中腹辺りまで来てふと(待てよ)と思い足を止めた。

昨日、笛が鳴った際に電子たちが皆同じ方向に走っていったのを思い出す。あの笛は恐らくスイッチが鳴らしたものだったのだろう。あの笛の音が『電源ON』の合図だったから、電子たちは"流れ"出したのだ。

スイッチは笛で電子を操ることができる。ということは、スイッチが昨日のように訓練をしている間はこの城内に電子はいなくなるということだろう。

(なるほど、そういうことか)

我ながらいいところに気づいたものだ。俺はすっきりした気持ちで再び階段を降りていった。


研究所にあるほとんどの研究室は電気が消えていたが、昨日俺が忍び込んだ場所だけは明かりがついていた。そっと近づき、扉の隙間から中を覗き込む。

コイルとコンデンサが二人きりで何かを話しているのが見えた。部屋がかなり広いせいか、二人だけしかいないとなんだか寂しく感じられる。

(ふーん、こんなところで二人きりでいるとはやけに仲が良いみたいだな。何を話してるんだ?)

自分の覗き見根性がくすぐられるのが分かった。俺は僅かな隙間に顔を近づけると、耳をそばだて彼らの会話を盗み聞いた。

「……それで、せっかくだからコイルたちも誘おうと思ったの。どうかしら?」

コンデンサが尋ねるとフォルダを熱心に見つめていたコイルが顔を上げ、首を振った。

「いや、私は遠慮しておく。私のことは気にせず皆で遊びに行ってくるといい」

そう言うとコンデンサが「そう……」と呟きがっかりと肩を落とした。どうやら、先程抵抗に誘われたお出かけの話をしているらしい。それにしても、コイルは抵抗と違って女と二人きりになっても口説くようなことはしない硬派な男のようだ。

またフォルダに目を落としたコイルにコンデンサが話しかける。

「コイル。研究に打ち込むことは大事だけれど、たまには息抜きをしなければ体を壊してしまうわ」

コンデンサが説得するように言うが、コイルの心は揺るぎそうにない。

「コンデンサ、君が私のことを気遣ってくれているのはよく分かる。けれど、もっと研究をしなければ、この国は良くならない。……今も化学地方の人々は苦しんでいる。その人たちを出来るだけ早く救わなければ」

そう言って苦しそうな顔をする彼に寄り添うように、コンデンサがコイルの手に自分の手を添える。

「あなたの気持ちはよく分かるわ。けれど、あなたはもう十分頑張っているはずよ。少しは自分を休ませてあげないと」

コンデンサの言うことは最もだと思うがコイルは未だ難しい顔をしている。

俺は二人の今までの会話を頭の中で反芻する。

(化学地方がなんとかと言っていたな……)

公式を消している犯人からの脅迫状にも化学地方のことが書いてあった。一体、化学地方の何が物理地方と関係があるというのだろうか?

もう少し聞いていようとも思ったが、二人は黙り込んでしまい、これ以上何かを話すようには見えなかった。

仕方がないので、頃合いを見て研究室の中に入る。堂々と入ってくる俺を見て二人が目を丸くした。

「よう、邪魔するぜ」

そう言ってにっと笑うとコイルが信じられないというような表情をした。

「あなた、入口には電子がいたというのに、何故研究所内に入って来られたのですか?」

「電子?そんな奴いなかったが?」

そう言って笑うとコイルが考え込んだあと、理由を思いついたようで顔をしかめた。

悔しそうな顔をしているコイルを見ながら、俺はコンデンサの隣に並ぶ。

「よう」と声をかけるとコンデンサがぺこりとお辞儀をした。

「救世主様。何か私にご用ですか?」

そう丁寧に尋ねられ、俺は首を振る。

「いや、なんでもないよ。物理地方の優秀な所長さんとその研究所を見に来ただけさ」

そう言ってコイルの方をちらりと見る。コイルは腕を組み、俺の視線をものともしない凛とした顔をしていた。ジュールと違ってこちらはあまりからかいがいがない。俺はつまらなく思いながら先程彼らが話していたことについてさりげなく聞いてみることにした。

「そういや、今日力学区に行ってきて全部の公式を取り戻してきたんだよ」

そう言うとコイルがぴくりと反応した。そして俺のことをちらりと見る。

「ま、まだまだなくなった公式はいくらでもあるだろうが、それらも明日以降全部取り戻してやるよ。……それにしても全く、公式を消すなんて迷惑な話だよなあ。化学地方の扱いを改善したいからって、物理地方を巻き込むなんて」

そう言うとコイルが目を見開いた。そしてキッと俺を睨む。

「あなた、一体どこでその話を……!」

中々面白い反応が返ってきて俺は内心笑みを作る。

「ジュールに聞いたんだよ。犯人からの脅迫状に『化学地方の扱いを改善すれば公式を消すようなことはしない』って書いてあったってな」

そう言うとコイルが悔しげに顔をしかめる。

「ジュール様、こんな余所者にそんなことを……」

どうやら、コイルは余所者である俺のことをかなり警戒しているらしい。ピリピリし出した俺とコイルのことをコンデンサが心配そうに見比べる。

俺は真面目な顔をしてコイルを見る。

「なあ、一体化学地方と何があったんだ?どうして化学のやつらが物理に絡んでくるんだよ?」

そう尋ねるとコイルが顔を上げぴしゃりと言った。

「それはあなたには関係のないことです。あなたはボルト様に頼まれたとおり、ただ公式を取り戻していればいい」

「そんなこと言うなよ。俺が何かの役に立てるかもしれないだろ?これ以上公式が消えたらあんたも困るだろうし、大体このままじゃ公式を取り戻したってまたすぐに消されるかもしれないぞ」

そう説得するがコイルは聞き入れてくれそうになかった。

「私はあなたのような余所者にこの国の事情に首を突っ込まれたくないのです。ただでさえあなたがこの国に来たことが私にとっては不本意であるというのに……」

コイルが俺に厳しい視線を送って続ける。

「あなたの存在はこの国に悪い変化を引き起こすでしょう。それだけはなんとしてでも止めなければならない」

折れる見込みのない彼の様子に俺は肩を落とした。

「さすが『コイル』だな。変化を嫌うわけだ」

「……」

コイルが黙って俺のことを見つめる。その険しい顔を見ながら俺はため息をついた。

「分かったよ。悪かったな」

「そう思っているのならさっさとここを出ていってください」

コイルに冷たく言われ、俺は大人しく引き下がることにした。ちらりと奥の机を見れば、盗られた真空放電管がちゃんとその場にあるのが見えた。それに安堵しながら俺はコイルに押し出されるよう外に出た。


「救世主様、部屋までお送りします」

そう言うコンデンサに俺は首を振る。断ろうと口を開いたのと同時にコイルが

「私が送ります。途中まで彼と同じ方向に行くつもりですから」と言った。

それを聞いて俺は驚く。まさかコイルがそんなことを言うとは思いもしなかったからだ。

コンデンサは少し戸惑ったような顔をしたが、コイルの顔を見ると頷いた。

「分かったわ。コイル、よろしくね」

コイルが頷き俺の隣に立つ。

「では、行きましょうか」

「……おう」

妙にピリピリとする緊張感を持って俺は頷いた。

コイルと共にゆっくりと廊下を歩く。中庭へと続く扉の近くを通りかかったとき、俺はコイルに話しかけた。

「今まで、俺みたいに物理地方に入ってきた人間はいなかったのか?」

コイルが少し考えてから口を開く。

「いえ、数年に一度ほどの頻度ではありますが、侵入者はちらほらいましたね。そのたびにボルト様が彼らを元の世界に送り返していましたが。ここに滞在することになった人間はあなたが初めてです」

コイルの言葉に「ふうん」と俺は頷いた。

「どういうやつがここには入り込むんだ?俺みたいな教師か?」

「ええ。ですが、そうでない人間もいました。ただ、一つ言えるのは皆物理に従事している人間だということです」

彼の言葉に俺はなるほどと頷いた。そんな俺を見て今度はコイルが尋ねた。

「あなたは自分のことを教師だとおっしゃいました。ということは、あなたは学校にいらっしゃるんですよね?あなたの他にも教師はいるのですか?」

俺はその問いに頷く。

「ああ、まあな。うちの教師はどいつもこいつも一癖ある面倒な奴らばかりだ。まあ、特に仲がいいわけでもないが悪いわけでもない」

そう言って同学年を受け持つ教師たちの顔を思い浮かべる。しかし、なんだかんだ言いながらも彼らの顔を見ると安心するのだから、俺は意外とあの学校に染まっているのだと思って、そんな自分が可笑しくなった。

「……まあ、でも、もしものときは助け合える仲間だと俺は思っている」

そう照れくさそうに付け加えるとコイルが黙り込んだ。

難しそうな顔をして考え込んでいる彼をちらりと見てから、俺は独り言のように呟いた。

「まあ、あんたもさ、あんまり一人で抱え込むなよ。信頼して頼ることのできる仲間があんたの周りにもいるみたいだからさ」

そう言うとコイルは少しばかり黙ったあと

「……そうですね」と頷いた。

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