第14話 M
王広間を出たあと、俺は自分の部屋に立ち寄ることなくアンペアの部屋へ向かっていた。昨日と同じように突き当たりに行き階段を上る。そのついでにちらりと研究所のほうを見れば、電子が階段の前に立って見張りをしているのが見えた。
(コイルのやつ、俺が忍び込まないように策をねったな)
残念ながら今は研究所に行けそうにない。俺は電子を横目で見ながら階段を上った。
昨日ダイオードとトランジスタに案内してもらった部屋の前にたどり着く。
(えーっと、たしかここがアンペアの部屋……だったよな?)
確認したかったが扉に名前が彫ってあるわけでもない。おぼろげな昨日の記憶を原動力に、俺はその扉を叩いた。
少し経って扉がゆっくりと開く。しかしその扉の向こうには誰もいない。
(あれ?)
不思議に思って視線を下にずらせば、トランジスタがこちらを見上げていた。俺と目が合うとびくりと小さい体を震わせる。どうやら背が低いせいで視界に入らなかったようだ。
「よう、トランジスタ。王妃様はいるか?」
そう尋ねるとこくりとトランジスタが頷く。場所が合っていたことに安心する俺を見ながら、彼女がおどおどと扉を開けた。
中に入るとベッドに腰かけていたアンペアがこちらを見て微笑んだ。それにお辞儀を返し、視線を巡らせる。そしてアンペアと向かい合うように立っていた"意外な人物"に声をかけた。
「なんだ、お前も王妃様のお見舞いに来てたのか。案外親孝行なんだな」
そうからかうように言うと、すっかり王子の格好に戻ったジュールが顔をしかめた。普段の鋭い瞳がさらに険しくなる。
「そんなんじゃない。親父におふくろの様子を見てこいって言われたから来ただけだ」
視線をそらし言い訳をするジュールがなんだかからかいがいがあって、俺はにやにやと笑う。
「別に照れなくてもいいだろ」
そう言って近づくとジュールが鬱陶しそうに俺を睨んだ。それを俺は面白いものを見るような顔で見る。そんな俺たちを見てアンペアがくすりと微笑んだ。
「ふふ、ジュールはとても優しい子なんですよ。口では色々言いながら、なんだかんだ私のことを心配してくれているんです。以前も、私が外出するとき自ら護衛をかってでて、私のことを守ってくれたんですよ」
そう言ってアンペアが立ち上がり、ジュールに近づくと優しく彼の頭を撫でた。思いがけないことをされたために、ジュールが目を見開き、照れくささから顔を赤くした。
少し身動ぎしながらも特にその手を払いのけることもなくおとなしく頭を撫でられているジュールを見て、俺はさらに笑みを強くする。
「へー……」
これはジュールの意外な姿を見られたものだ。
俺の視線に耐えられなくなったのか、ジュールがついに身を翻した。その拍子にアンペアの手が彼の頭から離れる。
「っ……。おふくろ、俺はもう帰るぞ」
そう言って大股で扉の方へ歩いていく。その後ろ姿をアンペアが見つめた。
「分かったわ。今日は来てくれてありがとう。……ジュール、また来てくれるかしら?」
そう控えめに尋ねるとジュールが足を止めた。
「……気が向いたらな」
振り返ることなく発せられた言葉をきいて、アンペアが嬉しそうな顔をした。
「ふふ、ありがとう。待ってるわ」
その言葉にジュールの耳までが赤くなるのが分かった。案外分かりやすいやつだ、と俺はそれを眺める。
トランジスタが遠慮がちに扉を開けるのを見てから、ジュールがちらりと視線だけを俺に向けた。
「人間、明日は波動区に行く。朝食を食べ終えたら今日と同じように門のところに来い。いいな?」
「ああ、わかったよ」
俺が頷くのを見届けるとジュールはさっさと外に出て行ってしまった。
トランジスタが扉を閉めると部屋内が静かになった。
(波動か……)
そう思いながらアンペアの方に向き直ると彼女が小首を傾げた。
「そういえば救世主様、私になにかご用ですか?」
そう尋ねれてここに来た理由を思い出す。
「ああ、そうだ。今日、力学区に行って全部の公式を取り戻してきたんだよ。ほら、見てくれ」
そう言って公式の書かれた紙を見せると彼女がほっとした顔をした。
「まあ、本当……。これで力学区は救われましたわ。ありがとうございます、救世主様」
そう言って深々と頭を下げる。俺はなんだか照れくさくなって頭を掻いた。
「結構楽しかったから、手間かけさせて悪いとか思わなくてもいい。中々興味深いことをさせてもらっているしな、俺もあんたたちに感謝しているくらいなんだ」
そう言うとアンペアが柔らかく微笑んだ。
「そう言ってくださると嬉しいです」
そう言う彼女は少しばかり昨日より顔色が良くなったように見えた。
(まあ、この調子で公式を取り戻していけば、こいつも元気になるだろうな)
そう思いながら手元の紙を丸けた。そして、ふと背後を振り返る。
トランジスタが床に座り込んで、昨日も持っていた三人のお人形でままごと遊びをしているのが見えた。見た目の通り彼女はかなり幼いらしい。
仕事柄高校生とはよく話すが、小学生くらいの子供と触れ合うことなんてあまりない。元々口と目つきが悪い俺だ。子供を怖がらせてしまうことのほうが多い。しかし、そんな風では後々苦労しそうだ。
(こういう幼い子供とも話せるようにしておくか)
そう思い、しゃがみ込みむとトランジスタに視線を合わせた。子供と話すとき、上から話すよりは目線を合わせたほうがいいという話を中学校の家庭科の授業で聞いたような気がしたからである。
「その人形、昨日も持ってたな。お気に入りなのか?」
そう声をかけると、赤色の服を着た人形を動かしていたトランジスタが驚いたように顔を上げた。どうやら俺に気づかないくらいままごとに夢中だったらしい。
質問に答えず、トランジスタが困ったような顔をして助けを求めるようにアンペアを見る。
「ほら、トランジスタ。答えて差しあげて」
そう優しい声で促されて、トランジスタはもじもじしたあと口を開いた。
「……はい。大事なお友だち、なんです」
ダイオードと同じく、こんなに幼くてもしっかり敬語は使えるらしい。全く、うちの生徒や教師にも見習ってほしいものだ。
(まあ、俺もか)
そんなことをぼんやりと思いながら俺は再び尋ねる。
「そうか。そいつらに名前はあるのか?」
そう尋ねるとこくりと頷く。
「はい。この子がエミッタでこの子がコレクタ。……それで、この子がベースです」
そう言って次々にお人形を持ち上げ俺に紹介してくれた。
(なるほど、電子部品のトランジスタの三本足の名前と同じなんだな)
「そうか。どれも可愛いな」
柄にもないことを言うと、トランジスタが嬉しそうな顔をした。そしてまたもじもじする。
「……ありがとうございます」
きちんとお礼も言えるあたり、侍従としてきっちりとした教育を受けているらしい。今朝食堂で会った生意気なスイッチとは大違いだ。
そんなことを思いながら視線を感じて振り返れば、アンペアがベッドに腰かけて俺たちのことを温かい目で眺めていた。
なんだか柄にもなく優しくしてしまったことに気づいて今更ながら恥ずかしくなる。
俺は気恥ずかしさからさっと立ち上がるとアンペアの方を振り向いた。
「じゃあ、俺ももう行くぜ。邪魔したな」
そう言うとアンペアが首を振った。
「いえ。わざわざ来て下さりありがとうございました」
そう言って頭を下げるアンペアにつられてトランジスタも慌てて頭を下げる。俺は彼女たちに向かってひらひらと手を振ると、その場をあとにした。
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