第13話 k
学校から出て、行きにジュールとともに来た道を反対方向に進む。俺の隣に並んで歩く男は、教室を出てからずっと黙ったきりだった。話しかけようにも彼の冷たい雰囲気のせいで話しかけづらい。力学区を離れて少し経ってから、俺は思い切って彼に声をかけた。
「なあ、あんたは……」
そう切り出すと男が俺のことを見た。
「私の名前は質量。あなたと同じ、学校の教師です」
俺の質問を聞き終える前にそう答える。彼の名前を聞いて俺は納得した。確かに、力学においては質量は必須の概念だ。彼が他の概念を纏めている教師であるのは納得がいくことだろう。
俺を見ながら質量が再び口を開く。
「あなたはこのままお城へ向かわれるのですか?」
彼に尋ねられ頷く。
「ああ。力学区の公式は全部取り戻したし、明日には違う区域に行くことになるだろうからな。今日はゆっくり休んでおこうと思って」
手元にある書物の束を整えながら答える。質量はじっと俺の手元を見た。
「……そうですか」
その視線を受けながら俺はまた口を開く。
「なあ、力学区には学校しかないのか?」
そう尋ねると質量が顔を上げた。
「ええ、そうですが……。それが何か?」
「いや、今朝ジュールに今までは各地区に公式が保管されていたって話を聞いてな。力学区ではどこで公式が保管されていたんだろうと不思議に思ったんだ。この地区には学校しかないのなら、あんたたち教師が公式を保管していたのか?」
俺の質問に「ええ」と質量が頷く。
「ですがある日、朝いつものように出勤したら公式の書かれた紙が全て破られていたので驚きましたよ。その時は慌ててボルト様に連絡したものです。そうしたら、他の地区でも同じようなことが起きていると聞いて……」
彼の言葉に「なるほどな」と俺は相づちをうった。
「犯人は学校にわざわざ忍び込んで公式を破壊したってことか。誰か犯人を見たやつはいなかったのか?」
俺の言葉に質量がまたもや頷く。
「ええ。どうやら犯人が忍び込んだのはかなり早朝のことだったようなので……その時は誰も教師がいなかったのです」
なるほどと納得しつつも俺は首をひねる。この学校には監視カメラなどはついていなかったのだろうか。
そのことを聞こうとして顔を上げると、既に電磁気学区に入っていたようで見覚えのある風景になっていた。お城も遠くにだが見ることが出来る。
俺が何かを言うよりも先に質量が口を開いた。
「救世主様、大変申し訳ないのですがこの辺でお見送りをやめさせていただいてもよろしいでしょうか?」
質量に尋ねられ頷く。自分も教師だからわかるが、教師という仕事は結構忙しい。彼にもまだやるべき仕事が残っているはずだ。早く解放してやらねば気の毒だ。
幸いここから先は昨日ジュールを追いかけるときに通った場所だ。おぼろげながら行き方は覚えているから、一人で帰ることができる。
「ああ。ここまでありがとな」
そうお礼を言うと、質量は頭を軽く下げてから回れ右をして去っていった。
質量と別れお城へ向かう。小さくしか見えなかったお城が次第に大きくなってきて、背の高い門が見えてきた。
無事にここまで来られたことに安堵し、手元に目を落とす。取り戻した公式は一枚も欠けることなく手の中にあった。
(よし、今日はこれでいいな)
門へ向かって小走りで歩みを進めていると、門の前で抵抗とコンデンサが何かを話しているのが見えてきた。
(なんの話をしてるんだ?)
俺は首をひねり、遠巻きからそっと耳を澄ます。
「コンデンサ、今度良かったらどこかに遊びに行かない?二人でさ」
そう抵抗がコンデンサに声をかける。照れくさそうに後頭部を掻いているところを見ると、どうやらデートのお誘いらしい。
「遊びに?」とコンデンサが小首を傾げる。
「ああ。昼間は生物地方の『エデン』に行って動物たちに癒やされて、夜には地学地方で星やオーロラを見る、っていうプランなんだけど……どうかな?」
様子を伺うように言うとコンデンサが微笑んだ。
「素敵ね。是非行きたいわ」
好感触だったことに抵抗が少し嬉しそうな顔をする。
「そうだろ?じゃあ、日にちを……」
意気揚々としてデートの約束をこぎつけようとする抵抗の言葉をコンデンサが遮った。
「そうだ、コイルたちも誘いましょう。きっと皆、日頃の疲れが溜まっているはずだからリフレッシュしてもらいたいの」
そう言って思いついたように手を叩くコンデンサに、抵抗が目を丸くする。
「え?……いや、俺は君と二人で……」
そう否定するように言うとコンデンサが寂しげに眉を下げた。
「駄目かしら?」
それを見て抵抗が黙り込む。最初こそ渋っていた彼だが、しょんぼりしたコンデンサに耐えかねたように口を開いた。
「……分かった。じゃあ、コイルたちも誘おうか」
不本意ではなさそうだがそう言って笑ってみせる。その言葉にコンデンサがぱっと顔を輝かせた。
「本当?ありがとう、抵抗!じゃあ、早速誘ってくるわね」
コンデンサは抵抗と二言三言交わしたあと、城の方に軽い足取りで歩いていった。
門の前で一人取り残された抵抗がどこか寂しげに肩を落とす。俺は静かに彼の背後から近づくと、声をかけた。
「よう、残念だったな」
俺の言葉に抵抗が顔を上げ、こちらを振り向いた。そして罰が悪そうに笑う。
「なんだ、救世主さんに見られてたのか」
そう言って頬を掻く。俺の視線を受けながら彼が口を開いた。
「コンデンサはとても気が回るし、誰にでも優しいんだ。そこが彼女の素敵なところでね」
そう言いながらも抵抗はなんだか不服そうだ。(物理地方の奴らにも色々な事情があるんだな)と思いながら俺は相づちをうった。
「まあ、あまり落ち込むなよ。いつかコンデンサも振り向いてくれるさ」
そう慰めの言葉をかけると「どうもありがとう」と抵抗がかすかに笑みを作った。
「そういえば、公式を取り戻してきてくれたんだね」
俺の手元にある紙を見て、抵抗が口を開く。
「ああ。これからボルトのところに持っていく。あいつは城の中にいるか?」
そう尋ねると抵抗が頷いた。
「大広間にいらっしゃるはずだよ」
俺は抵抗にお礼を言ったあと、彼を励ますように背中を軽く叩いてから城の方に向かった。
城内に入ると玄関のそばに立っていたオームが俺を見つけて顔を明るくした。
「救世主様!おかえりなさいませ」
俺の方に近寄って来ると、手元にある紙に目を落とす。
「おお!流石は救世主様!力学区の公式をすっかり元通りにしてくださったんてすな!」
「ああ、まあな」
嬉しそうな顔をするオームに頷いてみせる。
「いやはや、今頃犯人共は口惜しく思っていることでしょう。いやあ、せいせいしました」
そう言ってオームが満足げな顔をする。
「救世主様、この調子でこれからもよろしくお願いしますぞ!」
勢いづくオームに適当に相づちをうちながら俺はその場をあとにした。
大広間につくと王座に座っていたボルトが満足そうな顔をして俺を見た。
「いやー、さすが救世主様。仕事が早いね」
「まあな」と頭を掻く俺を、近くで控えているコンデンサが見つめる。
「じゃあ早速、取り戻してもらった公式を渡してもらおうか?」
ボルトがそう言うと、コンデンサが一礼し俺に近づいた。そして紙を受け取ろうと手を伸ばす。
彼女に紙の束を手渡そうとして、その手を止めた。コンデンサが不思議そうに俺の顔を見る。
「……なあ、ボルト。公式の紙を一枚だけ持っていてもいいか?」
そう尋ねるとボルトが首を傾げた。
「いいけど……どうして?」
「王妃様が公式がなくなったことを心配して倒れているからな。ちゃんと取り戻してきたって、これを見せて安心させてやりたいんだよ」
そう言うとコンデンサが確認をとるようにボルトの方に振り返った。その視線を受けて彼が頷く。
「なんだ、そういうことか。勿論いいよ。それを見せてアンペアを安心させてあげてくれ」
そう言ってボルトがけろりと笑った。彼の言葉を確認したあと、俺は一番上にある慣性の公式だけを手元に残し、全てコンデンサに手渡した。
「ありがとうございます」
コンデンサは恭しくそれを受け取ると積み重なった紙の束を整えながら元の場所に戻った。それを見ながら俺は口を開く。
「そういや、ジュールにこれ以降公式の書物はここで管理することになったと聞いたが、この場所は本当に安全なのか?」
そう尋ねるとボルトがあっけらかんと笑う。
「もちろん。ここは理科の国の王である俺の城だよ?どこよりも警備が堅いところだ」
そう言ってボルトが胸を張る。
「これらは君に集めてきてもらった大事な公式だ。今までに輪をかけて厳重に保管させてもらうよ」
それならいいが、と俺は頭を掻く。犯人が誰かわからない今、どこに敵がいるか分からない。相当警戒しなければならないだろう。
しかし、適当そうに見えてもボルトは理科の国の王だ。それなりにやるときはやるのだろう。
俺はコンデンサがボルトに公式の紙を手渡すのを見届けたあと、王広間を後にした。
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