第58話 涙

――アリシアが出て行ってから数十分後


 俺は宿の一室でただ一人座っていると、ガチャリとドアが開く。


「レオンッ!?」


 戻ってきたのは彼一人だけだった。

 そして、レオンの全身には切り傷があり、顔には赤い跡があった。


「まぁ……結論から言うと、取り合ってもらえなかった」


 レオンは数日前から意識を失っていたが、怪我は見た目より重症なうえに、何故か俺の治療が全く効かない。

 そこから更にアリシアに攻撃されたとなると……。

 レオンは努めて平静を装っているが、肉体的にも精神的にもかなり苦しいのかもしれない。


「ごめん……レオン……」


「何故オマエが謝る?」


「何度もアリシアにお願いしたんだよね……」


「ああ、そうだ。最終的に殴ってでもあの女を連れ戻そうかと思ったが、あっけなく返り討ちにあった」


「そんなことが……」


 やっぱり想像通り、レオンは彼女とひと悶着あったらしい。


 俺がそう呟くと、レオンはドカッと椅子に座り始める。


「それで……オマエはさっき剣聖に言われたことをまだ気にしているのか?」


「あ、ああ……。ちょっと驚いただけだよ……」


「フン。誰がどう見ても『驚いただけ』ってツラには見えないが……」


「……」


「オマエの嘘が下手なのは相変わらずだな」


 アリシアの件で落ち込んでいないよう咄嗟に取り繕ったつもりだが、レオンには簡単に看破されていた。


 俺は初めてアリシアと意見が衝突してしまっている。

 だけど……。

 俺は自身の主張を撤回しようとは思えなかった。


「さっきの剣聖の発言は……まあ、気にしなくてもいいと思うぞ」


「そう……かな……」


 レオンは恐らく俺とアリシアがぶつかった原因を彼自身によるものだと思っているからだろう。

 だけど、レオンはそんなことをわざわざ口には出さない。


 彼は次に何をするべきか知っているため、余計な会話をしたくないのだろう。


「それで……腹はくくったか?」


「だけど……」


「悪いが、アイツは俺の手に負えない」


 レオンの言っていることは間違っていない。

 この件は他の誰でもなく、パーティのリーダーである俺しか解決できないからだ。


 そして、今回の一件の問題は俺にリーダーである自覚が足りなかったからなのかもしれない。

 もしそれがあれば、レオンはアリシアに攻撃されることが無かっただろう。

 俺は彼を怪我をさせてしまったことを深く後悔し、ようやく覚悟を決める。

 ここで迷いがあれば、また同じことを繰り返すだけからだ。


 俺はその場から立ち上がり、今自分がしなければいけないことをレオンに話す。


「分かったよ、レオン。アリシアのところに行こう」


「悪いな……。世話をかける」


 短く感謝を述べるレオン。

 そして、俺は彼の後について行き、アリシアの元へと向かった。




 等間隔に設置されている魔導具の明かりが無ければ宿に引き返すことは不可能だろう。

 俺とレオンは街の近くにある大きな橋へと移動していた。

 しんしんと雪が降る中、時折ときおり風が大きくうなり、服がはためく。

 静寂に包まれたそこにはアリシアが一人で立っていた。


「アリシア……」


「アルス……様」


 俺とレオンの存在に気付くと、彼女は橋の手すりをそっと撫で、俺達に体を向ける。


「もう……私には何もかもが分かりません……」


 アリシアの言う通りだ。

 彼女は勇者パーティ結成前の孤児院でのレオンを知らない。

 寧ろ、過ちを犯してきたレオンしか知らないのだ。


 そんな彼のパーティ加入をあろうことか皆が賛成した。

 これに混乱しないわけがない。


 だけど……。

 それでも……。

 俺は彼女を説得しないといけない。


「アリシア。レオン無しでどうやって『忘らるる大陸』に行くのかな?」


「それは……。私が何とか探します! コイツの助け無しであそこに行けることを必ず証明しますっ!」


「言っておくが、俺無しには何年経ってもあそこに行けないぞ」


 レオンがそう説明した瞬間、アリシアはギリッと彼を睨み付け、橋の手すりを渾身の力で殴打する。


 ドゴオォォッッ!


「慎重に言葉を選びなさいゴミ勇者ッ! 今度は本当に殺しますよっ!」


「それで気が済むならやれ。ただ、剣聖。今の世界はこんな俺とすら協力しないといけない状況なんだぞ」


「それでも私は誇りをもって戦うだけです!」


 誇りか……。

 それが、彼女がレオンを拒絶する理由だったのか……。

 なら、アリシアの説得は本当に難しいものになるのかもしれない。

 だけど、俺は彼女にひるむわけにはいかない。


「アリシア。具体的な代案も無しに一方的にレオンを否定するのはおかしくないかい?」


「……ッ! ですが、今更コイツと行動を共にするなんて出来るわけありません!」


「違うよ。アリシア。レオンには悪いけど、これはもう義務だと思うんだ」


「義務……?」


 アリシアがそう呟き、俺はレオンの顔を見る。


 俺はレオンがある話をする合図を送ったのだ。


 俺とレオンは事前に彼が話さなければならないことを一緒に考えていた。

 どうすればアリシアがレオンのことを理解してくれるかだ。


 俺の合図に気付いたレオンは一度コクリと頷き、決心したように口を開ける。


「俺は犯した罪を正しい行いで償うしか選択肢が無い。魔王を倒し、この大陸に平和を取り戻すんだ。それが俺にできる唯一の贖罪しょくざいだ」


「お前が平和を語るなっ!」


「……ッ! オイ、剣聖! 俺はオマエに許してくれと言える立場じゃない。だが、俺はまだ投獄されるわけにはいかないんだ!」


「罪を償いたいならアルス村の怒りを消し、『神獣の里』で死んだ獣人を生き返らせてくださいよ! それが出来ないならもう死んでくださいっ!」


 「無刀流」で剣を抜いた彼女はレオンにゆらりゆらりと迫る。

 ……ッ!アリシア!


 もうどうしていいのか分からない……?

 どうすれば……どうすれば彼女に分かってもらえるんだ?


「アリシ……」


「アルス様! もう話は終わりです!」


 俺の言葉を遮り、尋常じゃない殺気を放つアリシア。


 もしかしてアリシア!?

 本当にレオンを……!?


 もう今の彼女は誰の言葉も聞く耳を持たない。


「今、ここで死んで償えッッ!」


 アリシアの剣がレオンに振り下ろされ、俺は咄嗟に身体強化を発動する。

 レオンを庇い、代わりに俺がアリシアの一撃を受けるためだ。


 ザシュッッッッ!!


「ぐっ……」


 生まれて初めて受けたアリシアの剣に、俺は思わずその場で倒れてしまう。


 だが……。

 これが剣聖アリシアの一撃……なのか?

 違和感を覚えていた俺だが、そんな思考を遮るように、ありえない声量の悲鳴がアリシアから放たれる。


「ア、アルス様アアアァァッッ!!」


 アリシアは剣を握る余裕すら無くなったのか、彼女の透明な剣はカランと床に落ちる。


 ひどく取り乱したアリシアだが、冷静さを欠いたのは彼女だけじゃない。

 俺の傍にいたレオンから発せられたのは怒声だった。


「オイ、アルスッッ! 馬鹿かテメェは!」


 みるみるうちに血が広がっていく俺の体。

 アリシアは怪我の手当をするため、俺の傍でひざまずき傷薬を振りかけようとする。

 しかし彼女の手は震え過ぎた為、瓶は手から滑り落ち、パリンと割れていた。


 胸からどくどくと血を流していた俺だが、半分目を閉じてアリシアに笑う。

 アリシアが俺を回復させようとしている間、何となく彼女の考えていることが分かったからだ。


「ねぇ、アリシア……。本当は迷っているんだよね……。剣から分かるよ」


「……ッッ!!」


 俺がそう彼女に告げた瞬間、一瞬手が止まるアリシア。

 どうやら図星だったようだ。


「オイ、アルス! もう喋るなっ!」


 レオンが怒気を込めた声をあげるが、俺はアリシアに話を続ける。

 今じゃなきゃもう駄目だからだ。


「俺は今のレオンを信じたいんだ。駄目……かな……アリシア……」


 額から汗が出て、視界が滲む。

 しかし……。

 俺はアリシアの異変にはっきりと気づいた。

 彼女は途端にボロボロと涙を流し始めたからだ。


「本当は……本当は分かってるんです、アルス様……。こんなことが無意味なことぐらい……」


「アリシア……」


 今の俺の耳には彼女の嗚咽しか聞こえてこない。

 そんな状況で、苦しそうに言葉を紡ごうとするアリシア。

 しかし、彼女は想定外の言葉を発する。


「アルス様……こんな私でごめんなさい……。私はアルス様に取り返しのつかないことをしてしまいました。もう私がこのパーティを抜けます……」


 彼女がそう宣言した瞬間、俺はアリシアを鋭い眼で捉えていた。

 初めてアリシアに怒りの感情が湧いたからだ。

 俺は声に冷たさを潜ませ、彼女を責める。


「駄目だよ、アリシア。俺はアリシアの力を借りて前に進みたいんだ。パーティから抜けるなんて絶対に許さないよ」


 瞬間、口端をひくつかせるアリシア。

 俺の気持ちが伝わったのか、彼女は更に嗚咽を爆発させる。


「アルス様……。リーダー失格は言い過ぎました……。本当にごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 さっきの宿で俺に言った一言を言っているのだろう。

 彼女は頭を地につけ、何度も謝罪する。


「本当だよアリシア。流石にびっくりしたよ……」


 そう言って、俺はよろけながらも橋の手すりを掴み立ち上がる。

 アリシアの回復アイテムが効いてきたのだ。


 そして……。

 涙で顔がぐしゃぐしゃになったアリシアも立ち上がり、彼女は顔をレオンに向ける。


「ゴミ勇者……。裏切れば、私が必ず貴方を斬りますから……」


「それで構わない」


「貴方を信用したわけではありません。貴方を信用したアルス様に従うだけです」


「それでいい」


 レオンの返答を確認したところで、大きく息を吸うアリシア。

 決意を固めたのだろう。


「アルス様。私はコイツのパーティ加入を認めます」


 ようやくレオンの魔王討伐参加を認めたアリシア。

 俺はようやく安堵し、ふと空を見上げる。


 透き通った満点の星空だ。

 それは……。

 俺がこれまで見た中でも最も美しい夜空だった。




最終章【勇者】レオン編 第一部完

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