ファイル11 テキサスキング
それは少し前の冬の出来事だ。
「ほほぅ!ファンタスティックグレープがリニューアル⁉」
私は棚のリサイクルボトルのジュースを補充しながら、件のジュースのラベルを見ていた。
ーーーーよしよし。アレは入っているな。
私はラベルの内容をしっかり読むと、作業の続きに戻った。
そして、時間が来て仕事をあがった後、
私は、ファンタスティックグレープを数本購入した。
雪がちらつく街角で人を待っていた。
「サーたん。おまた」
「サーたん。遅くなってごめん」
私と年齢は変わらない女性が二人声かけてきた。
大学時代のゼミ仲間である。
(大学によって研究室と言うところが大半だが
私達の研究はフィールドワークをメインとしていたので
ゼミと言う形態になっていた)
「あかりん、つぐみん。お久し〜」
「今日はどうしたの?ステーキ食べようなんて言ってきて」
「そうだよ。珍しい〜」
「実はさ、こないだ、これをゲットしちゃったんだ」
私は店長からもらった休日研修手当てを二人に見せた。
テキサスキングのお食事券だ!!
「おおっ!!?」
「すごいじゃん!!」
「でしょ〜」
私は自慢げに笑う。
ーーーー実をいうと既に一回、食べに行ったんだけどね。
でもせっかくだし、この美味しさを共有したいじゃないか!!
私達は意気揚々と店に向かい、その中に入った。
何頼もうか、メニュー見ながら考える。
ステーキの種類はもちろんのこと、焼き方もそうだ。
そして、ステーキに合わせてワインにすべきか
ここは軽くサワーにすべきか悩みどこだ。
「あっ!!サーたん。お酒見てる〜」
「どうした?別にいいだろう。問題はない」
まさかお酒を見ているところを覗かれるとは思わなかった。
「いいなぁ。サーたん」
つぐみんはそう呟くと、二人は私を羨ましそうに見つめた。
「なんだ?」
『だって・・・・』
二人は声を揃えて言った。
『いつ呼び出されるかわからないだもん』
ーーーーあぁ、そういうことか。
私は納得した。
マイスタンダードヘルスケアアドバイザー契約、
通称マイスター契約。
個人単位に行うことができ、仮に契約者に緊急事態が
あれば病院に呼び出されることもある。
何かしらの不安があれば個人的にコーリングされることも
よくあるらしい。
場合によって個人の裏事情も知らされる事もあるらしいが
今のところ、私の周りでそういうのは聞いたことない。
おそらく二人は何人かとマイスター契約を結んでおり、
いつ呼び出されるかドキドキしているのだ。
「実を言えば私は今のところ一人だから問題ない」
「え!?サーたんもしてたの!?」
「前会った時はマイスター契約は絶対しないと言ってたのに!!?」
二人は驚きの声を上げた。
「いきなり日本にやってきた右も左もわからない
女の子のお母さんからお願いされたんだから仕方ないよ」
私はハハハっと笑った。
「じゃぁ、サーたんも呼び出される可能性あるんじゃ?」
「はははっ。だからここは特権を利用したよ。
仕事が終わる前は今日は、暖かくして早く寝るように
指導してきたから大丈夫」
私はニヤっと笑って言葉を返した。
マイスター契約している場合、不定期に医療従事者側からも
コンタクトを取って体調変化を確認することができる。
個人的に用事があるとわかっている場合、事前に契約者の状況を確認したり、注意を促したりすることもできる。
ーーーーあまり良くはないかもしれないが。
二人は顔を合わせ、呆然とした。
「それに一杯でやめるから大丈夫。
明日は昼から仕事なので」
私は笑顔で返した。
「・・・サーたんらしい」
あかりんは呆れた声で応えた。
「さてとそれはとにかく、頼むもの決めるぞ」
私は再度メニューを開いた。
次の瞬間。
ーーーーガシャン!!!!
何かが割れた音が響いた。
「なんだろ?」
「今の音・・・・」
「何かが割れた音だ」
私は冷静に状況を判断していると
どっかで見た少年が店内を見回りながら走っていた。
そして、私の顔を見ると探しものを見つけた顔で
こっちに駆け寄って来た。
少年は言い放った。
「すみません。人が倒れたんです。
あなた達は医療従事者のようなので来てもらえますか?」
いきなりのことで驚いた。
私たちは、倒れた人のところに向かった。
看護師や医師ほどではないがなんらかのことはできるはずだ。
少年に案内されて来てみると白髪の男性が倒れてた。
「・・・・・うう。苦しい・・・・」
男性は冷や汗をかいており、震えていた。
ーーーーこれは、低血糖の典型症状だ!!
「大丈夫ですか?」
つぐみんが男性に声かける。
「・・・・・」
男性は苦しそうに何かを訴えてた。
「・・・・デュオグリス!?」
あかりんのこれは不味いという声が聞こえてきた。
ーーーーこれは困ったぞ。
デュオグリスは糖尿病で使われる配合剤だ。
血糖値を下げるインスリンを分泌を促す薬物フルクグリニドと
食後の血糖濃度の上昇を穏やかにするベグルボースの配合剤だ。
低血糖になった場合、普通の飴やジュースを飲むと解決することが多い。
「えーと、二人共ブドウ糖持ってない!!?」
つぐみんは振り向いた。
困ったことに、ベグルボースはアルファグルコシダーゼ阻害剤だ。
わかりやすく言えば砂糖をブドウ糖と果糖に分解する酵素を一時的に阻害する薬だ。
低血糖を普通のの飴やジュースでなんとかできるわけではない。このときはブドウ糖が必要になる。
「あいにく、持ってない」
私は応えた。ブドウ糖を持ち歩く用事は今のところない。
「サーたんは持ってないか。あかりんは?」
つぐみんが声をかけるとあかりんは目を丸くして固まっていた。
「どうした?」
私は声かけた。
「さっき、豪快なおじさんがテキサースとかサマーボーイとか言いながら男の子を連れて行っちゃった」
ーーーーほんとだ。周りを見回すと私達を案内した男の子は姿を消していた。
「あかりん、男の子は後にして先にこっちをなんとかしよう」「そ、そうだね」
あかりんは我に返り、言葉を返した。
おそらく三人共ブドウ糖は持ってない。
ーーーーそうだ。私はブドウ糖は持ってないが・・・・・。
思い立つと私はバッグの中からファンタスティックグレープを取り出し、ゆっくり空のグラスに注いだ。
「大丈夫ですか?ゆっくり飲んでください」
私は男性に飲むように促した。
それを見た二人から抗議の声がした。
「何やってるの!!?」
「サーたん、ここお店の中だよ!!」
「流石に緊急事態だから許してくれるだろ。
それにだ、ここを見て」
私はファンタスティックグレープのラベルを二人に見せた。
入っている成分が書かれている欄だ。
そこにはブドウ糖の文字があった。
「え?」
「ここにブドウ糖って書いてある」
二人は唖然とした顔で私を見た。
「昔、習っただろ?市販のジュースの中にブドウ糖が入っている場合があるって」
「・・・・よく覚えていたね、そういうの」
「たまたまだ」
ーーーー実は今日この事を話題にしようと思ってこれを買ったのはここだけの話にしよう。
見た感じ、男性の低血糖は落ち着いたみたいだ。
「すみません。ありがとうございます」
初老の男性は頭を下げた。
どこかの会社の偉い人なのだろう。
きっちりとしたスーツに身を包み、足元にはそこそこ大きなカバンが置かれている。
ーーーーそのカバン、下手な健康食品より値段張りそうだな。
「いえいえ。大丈夫です」
「当然のことをしたわけですから」
つぐみんとあかりんはそれぞれ言葉を返す。
私も何か言おうと思ったが、男性の胸元と言えばいいのだろうか。鎖骨があるところの下に何か銀色のものが見えた。
スーツのカッターシャツの下だ。肌着は着ているかもしれないが、皮膚の上に何かがくっついているのだ。
ーーーーなんだろうか?
「そうですよ。気にしないでください。しかし、何故あのお薬を飲まれていたんですか?」
私は純粋な疑問をぶつけた。
「すまない。実を言えば私は糖尿病で、甘いお饅頭が大好きなもので・・・」
男性は笑いながら応えた。
そして、名刺を私達に渡してきた。
「やはり職業柄というかなんというか、とにかく
こういうことはしっかりしないといけないなぁと思ってちゃんとしていたんだ」
この男性は食事療法も運動療法もちゃんとしている上で薬を飲んでいるだろう。
「血液検査はいつもされてます?」
「こいつがあるから、それはやってないよ」
男性はカッターシャツの襟の影に隠れている銀色の何かを指さしながら笑った。
ーーーーなんだろうか?それ。
私が考えていると、
「サーたん、サーたん」
つぐみんが耳打ちしてきた。
「それ、生体IDだよ」
ーーーー生体ID?何年か前、実験的につけている人がいるっていう話を聞いたことあるな。
「なんでも、こいつを付けていれば血液検査や血圧を測る必要がないって言われて・・・・・」
いくら生体IDにデータが蓄積されるとは言え、データを見てなければ適切な処方はできないと言える。
ーーーーもしかして、糖尿病の診断した医師はそういうデータを見てないのではないだろうか?
「あのぅ、お願いがあるんですけどいいですか?」
私たちは男性の生体IDのデータと健康管理ファイルのアクセスする権利をお願いした。
ちなみにつぐみんが生体IDにアクセスできる資格を持っていたので彼女のデバイスからデータを回してもらうことになる。
「わかった。君達は命の恩人だ。構わないよ」
男性はあっさり了承した。
私たちは生体IDのデータを見せてもらい、今までもらったお薬の内容を確認した。
案の定、長い事血糖に関する血液データは測ってなかったらしく、薬は変わってなかった。
生体IDにはここ数ヶ月の血糖値や糖化ヘモグロビン、糖化アルブミンの数字が記録されている。
もちろん、血圧やコレステロールなどの値もだ。
血圧やコレステロールはとにかくだ。
今回、問題になるのは、糖化ヘモグロビンや糖化アルブミンの数字だ。
糖化アルブミンや糖化ヘモグロビンは週単位、月単位の日々における血糖値の推移の目安になる。
この数字を見たところかなり低い値をキープしている。正直言うと薬飲まなくてもいいくらいだ。
私たち三人は話し合いの結果、健康管理ファイルに医師に対する提言を記入することにした。
記入する内容は次の通りだ。
まず、この男性が食事前に飲む薬で低血糖を起こしたこと。
生体IDのデータを確認したところ、日々の血糖コントロールはかなり良好なので
今飲んでいる薬は中止する様に説明した事。
(ただ、本人は薬を飲みたがっていたので飲む場合は量を半分にして飲む様に説明したことも記入した)
次の診察の際は血糖コントロールが良好である事を本人に説明した上で薬の処方を検討してほしい事。
これらの提言を私を筆頭に三人の連名で記入した。
健康管理ファイルに記入し終わった後、私たちより少し年上の男性が彼を迎えに来た。
ーーーーおそらく息子さんだろうか。
初老の男性は残念そうに渋々店を出た。
私たちは落ち着いたので、改めてメニューを見ることにした。
「ちょっと!大変だよ。サーたん」
あかりんが驚いた声を上げた。
「どうした?」
「あの人、大手の和菓子メーカーの会長さんだよ!」
私は貰った名刺を確認した。
確かにうちの店でちょこちょこ納品されるおまんじゅうやお煎餅の袋でよく見る名前の会社が書かれてある。
私は思考が一瞬止まった。
・・・・・・ちょっとなんで!!大手企業の会長さんがこんなところにいるの!!?
私は叫びたい気持ちをぐっと堪えた。
ーーーー店の中で叫んだら迷惑になる。
と言う以前に当たり前の話だが思考が追いついてない。
「それにさっきの男の子、サマーボーイとか呼ばれていたんだけど」
そして、あかりんが私に追い打ちをかけた。
「男の子を連れて行ったおじさん、テキサスキングの社長」
『・・・・・・』
私とつぐみんは黙った。
ーーーーこの店は一体どうなってんだ!?
私は、叫びたい気持ちをひたすら抑えた。
この後、会長さんのお薬は一日一回の薬に変更になった。おそらく本人が飲みたいと希望したためだろう。
あかりんの話によると、インスリンの分解を阻害するDDP4阻害薬のビオース(一般名オリゴグリプチン)に変更になっていたそうだ。
しばらくの間、私たち三人は会長さんのお礼攻撃に悩む事になった。
ーーーー私個人はサマーボーイと呼ばれた少年の事も気にかかるが。
・・・まさかな。まぁ、有り得る話ではあるけれど。
夏がつく名前の人物が頭に浮かんだ。
夏木華苗(なつき かなえ)。私の従姉妹だ。
・・・・そう言えば、かな姉、元気だろうか?ずっと会えていないけど。
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