第127話

 指し手が震えていた。

 太陽は次局の相手、千堂五段の棋譜を並べていた。切れ味鋭い居飛車党で、華やかな空中戦が得意だった。

 そして、勝ちまくっていた。

 各棋戦で活躍し、強豪も倒していた。勝ち方も強かった。

 間違いなく、今までで最強の相手だった。

 注目もされている。「四割・八分・九厘を引き当てた青年」「アマ界最強」など、こそばゆいことも言われている。

 太陽はまだ、頂点には立っていない。その自覚はあった。

 自分より強いアマはまだたくさんいる。この前は、たまたまプロに勝てただけだ。

 大きなプレッシャーに襲われていた。惨敗をしてしまったらどうしよう、と不安になった。不安を打ち消すために、太陽はネットで対局をした。不安なときは負けもかさんだ。どんどんと気分が暗くなっていった。



「八つ橋とは思わなかった」

 目の前には大きなかき氷が二つと、腕を組んだ鈴里の姿があった。

「大阪土産なら、お父さんに頼めるかと思って」

「うーん、言われてみれば。でも、纐纈君が何買ってくるか興味あったけどなあ」

 真っ赤なシロップのかかった氷の横に置かれていたゼリーを、鈴里は口の中に放り込んだ。

「今度は大阪で探すよ。あ、でも次は東京なんだ」

「そっか。勝ったからまたあるんだ」

「うん」

 太陽もかき氷を一口食べてみた。冷たくてサクサクで、とても甘かった。小さい頃、一度だけ夏まつりに連れて行ってもらったことがある。そこで食べたかき氷とはかなり違う、と太陽は思った。

「どう、おいしいでしょ」

「そうだね」

「一度来たかったんだ」

「おしゃれなお店だよね」

「そうね。……あのさ、纐纈君はさ、大学どうするの?」

「急に、なに」

「気になって。あんだけ成績いいんだから、目指さなきゃもったいないと思って」

「……行きたいとは思ってる。やっぱり、推薦取れたらだけど」

「そっか」

 太陽は、シャリシャリとかき氷に穴を開けた。

「百合草さんは?」

「私は、地元の大学かな。家から出るのはなんか、考えられない」

 太陽は鈴里の顔を見た。

「家族が好きだから?」

「まあ、うん。そうかな。そうね」

「うーん、僕はどこに行けばいいのかなあ」

 太陽には、家や土地へのこだわりがない。かと言って、行きたいところがあるわけでもなかった。将棋で推薦のある大学は限られるので、そのうちのどこかを目指すことにはなるだろう。

「ここには残らないの?」

「多分。ちゃんと調べたわけじゃないけど、行けるところないから」

「そっか」

 鈴里は、水を飲んだ。視線を落とし、しばらく黙っていた。

 二人はしばらく、かき氷を食べていた。太陽も、何か言わなければならない空気は感じていた。ただ、適切な言葉が見つからなかった。

「あっ」

「どうしたの?」

「頭痛い……」

「がっつきすぎじゃない?」

 鈴里は、口を押えて笑った。

「今度はさ、温かいもの食べようよ」

「そうね、そうしましょう」

 何かがうやむやになったのはわかっていた。ただ、太陽はそちらの方がいいような気がしていた。

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