殺し屋は独り、ディナーを食べる
一仕事を終えた私は、予約していた店にフランス料理を食べに行く。
格式高い料理店の入り口で、雨でずぶ濡れになってしまった傘を預けた。その際、長年に渡って十分に教育を受けたであろう老店員からタオルを渡された。
ありがとう、気が利くねと礼を言った。
「いえいえ。末永様、いつもご来店ありがとうございます」
にこやかな笑みで応じる年老いた店員。恩着せがましいことを一切言わないのは、プロの証である。
コースメニューが書かれた紙を読みながら、いつもより機嫌の良さそうな老店員の説明を聞く。
「最初に海老とアボカドのオードブル。次にソラマメのスープ、魚料理はスズキのポワレ――」
途中から聞くのをやめた。
この店の味は信用している。無駄というわけではないが、慣れてしまったがゆえの省略と言えよう。
私は聞き流しながら、先ほど殺した親子のことを思い出していた。
標的は三十五歳の主婦と九才の女の子。名前はそれぞれ美香とかなめだった。名字は確か、真田だった。
どうして平凡な主婦と子どもを殺さなければならなかったのか。理由は彼女たちの男、つまり真田家の主に問題があった。
よくある話で、不正を働いた会社を告発しようとしているのだった。それを事前に察知した会社の会長が私に依頼してきたのだ。
それならば、真田某を殺せばいいと思ったが、殺す前に苦しませようとでも思ったらしい。あるいはまだ殺せない理由があるのかもしれない。どっちにしろ、妻と子どもを殺すように依頼された私は、今日実行した。何故なら、娘の誕生日だったからだ。
海老とアボカドのオードブルはなかなかの出来だった。アボカド特有の生臭さは無く、程よい食感を楽しめた。海老の身も弾力があり、二つが合わさることで至高に達する。
ソラマメのスープの濃厚な味は舌を喜ばせてくれた。そんなとき、私は親子の様子を思い出した。
『どうか! どうか、この子だけは、殺さないでください!』
誕生日用に飾り付けられた部屋。
泣き喚く娘を抱きしめながら、母親は必死になって私に命乞いをした。
彼女はもう立てない。私が足を撃ったからだ。撃った理由は抵抗と逃亡を防ぐためだった。
私は首を横に振った。
母親の顔は青を通り越して真っ白になった。ちょうどソラマメのスープと同じように。
魚料理のスズキのポワレは絶品だった。カリッとした表面にふんわりとした中身。塩と胡椒で簡単に味付けしているのに、何層も広がるような味わい。
口直しのソルベはゆずのシャーベットだった。氷が柔らかくて口解け爽やかだった。
『お母さん! お母さん! いや、いやあああああ!』
九才の娘は死の恐怖で真っ青になっていた。シャーベットのようにぐったりと冷たくなっていく母親を何度も、何度も揺さぶる。
もう無駄だと分かっているのに。
『人殺し! なんで、なんで!』
恐怖から怒りに転化したらしく、私を睨みつける。
私には懇切丁寧に理由を述べる義務はなかった。
だから銃口を娘に向けて――撃った。
銃弾は娘の頭を貫いて床に突き刺さった。
頭から血が吹き出て、溢れ出した――
肉料理もまた美味しかった。牛肉のマスタードソース添えは噛むごとに肉汁が吹き出て溢れ出した。
デザートとコーヒーを堪能した後、私は老店員に帰る旨を伝えた。
そういえば、いつもより機嫌が良さそうな店員にどうしてなのか訊ねる。
「ああ。私事ですが、孫の誕生日でして。これから娘夫婦のところに向かうのです」
私はそうですか。良かったですねと笑顔で言って店を後にした。
デザートやコーヒーのように後味が良いとは限らない。
すっかり雨が上がってしまった空を見上げつつ、この下で幾つもの死が訪れているのだろうかと考えた。
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