しゃべりすぎた政治家

 カトリック系の教会には懺悔室というものがある。それは自らの罪を告白するために設けられた部屋だ。

 

 人は秘密、というよりは罪をいつまでも隠していられない。かの有名な殺人鬼、切り裂きジャックが警察に手紙を出したのは捕まりたいわけではなく、露悪的な性癖でもなく、単に隠していることができなくなってしまったからだ。


 東京のとある小さなカトリック系の教会にも懺悔室はあった。そこに着任している若林はとても優秀であり熱心な神父だった。神学校を卒業した彼はイタリアへ留学したほどのエリートで、二十代半ばでありながら周りの信者やそうではない近所の人々からも絶大な信頼を得ていた。


 しかし――彼は懺悔室で相談を受けたことは一度もなかった。留学中は修行の身で人の懺悔を聞くなどおこがましいと思ったし、この教会に着任しても利用するものは居なかった。


 この教会では懺悔室に入ったものは呼び鈴を押すことになっている。それを聞いたら向かい側の部屋に入り、話を聞くという仕組みになっていた。だがその呼び鈴が鳴ることはなく、若林は半ば忘れ去っていた。


 着任してから一年半。あと半年をすればもっと大きな教会へと招かれる時期。


 ――その呼び鈴は鳴った。


 若林は初めて聞く音に戸惑いつつ、いつもは開いているはずの懺悔室の扉が閉まっていることに気づき、慌てて反対側の部屋に入った。


「えっと、何のお悩みですか?」


 若林は一体どんな告白だろうと好奇心と不安に入り混じった思いで相手の言葉を待った。


「神父様。これから話すことは誰にも言いませんか?」


 中年の男性の震えた声。若林は相手を安心させるために力強く言った。


「安心してください。私たち神父は告白された事柄は決して言えぬように教義で決められているのです」

「……分かりました。それでは話させていただきます」


 そこで若林はもしも殺人や盗みの告白だったらどうしようと思い至りましたが、男性は既に告白を始めた。


「私はとある政党の総裁をしています。つまり政治家をしている者です――」






 私の生涯は最初からつまずいていました。物心つくまえに父親は亡くなり、母親は私に暴力を振るっていました。いわゆる児童虐待ですね。当時は児童相談所に行く勇気すらありませんでした。

母親は私を愛していませんでした。私も母を愛していません。今でもそうです。


そんな日々が続き、五才になったときです。

私はいつものように公園で一人、砂場で遊んでいました。虐待のせいか人と関わることが嫌になった私には友達は一人も居ませんでした。

お城を作っていると声をかけられたのです。


坊や。一人で淋しくないのかい?


 顔をあげるとそこには『魔女』が居ました。


 ええ。そうです。魔女としか形容できない老婆が立っていました。黒ずくめの出で立ちに鉤鼻。ぎょろりとした大きな目。


 普通の子どもなら恐れ慄くでしょうが、心身ともに壊れかけていた私には怖くありませんでした。


 私はその魔女といろいろ話しました。母親に虐待されていることも話してしまいました。今から思うと心を操られていたのかもしれません。


 ふうん。なろほどね。だったら坊やに魔法をかけてあげるよ。


 魔女は何やらぶつぶつ呟いて、私に手をかざしました。すると信じられないことに手のひらから緑色の光のようなものが降り注いできたのです。


 その瞬間、私は魔法がかかったことを自覚しました。


 坊や。お前さんは喋った相手を操れる力を得た。それでこれから『一人でも』生きていけるようになるよ。


 最後に不気味な笑い声を残して魔女は去っていきました。

 一人残された私は急に怖くなり、家へと帰りました。


 その晩のことです。いつものように虐待を受けていた私は魔法を試してみることにしました。


 ひとしきり殴り終えて疲れた母親に向かって、私は一言言いました。


 お願いだからもう殴るのをやめて。


 すると母親は笑って言いました。


 嫌だね。あんたはあたしの奴隷なんだ。


 私は頭に血が上りました。そして万感の思いを込めて言いました。


 死んでしまえ! このくそ女!


 それを聞いた母親は急に虚ろな表情になって、ふらふらと部屋から出て行き、家から出てしまいました。そして二度と戻ってこなかったのです。


 母親は自殺しました。ビルから飛び降りて。


 初めは私のせいだと思いました。罪深く感じました。しかしそのおかげで虐待されることは無くなりました。私は幸せになったのです。


 それから私は溺れるように力を使いました。気に入らない人間を排除し、欲しいものは譲ってもらう。私に逆らえる人間は居ませんでした。


 今の政治家の地位もこの力で手に入れました。演説を行なえば誰もが賛同してくれる。支持者になってくれる。こんな素晴らしい力はありません。


 しかし私は虚しさを感じるようになりました。力を使えば使うほど、人の心が離れていくのを感じます。喋れば喋るほど話し相手は居なくなるのです。


 世間では私のことを先生と尊敬してくれますが、実際はそのような器の人間ではないのです。


 私は妻も子どももこの忌まわしい力で手に入れました。それがどんなに虚しくて悲しいことか分かりますか? 安らげる家族や友人がまったく居ないのです。


 そしてようやくこの歳になって気づいたのです。魔女の言葉の真意を。


 もう私にはどうしていいのか分からないのです。





 政治家はそこまで一息で言うと若林に訊ねた。


「神父様。私を信じてくれますか?」


 すると若林はすぐさま答えた。


「ええ。信じますとも」


 政治家は嬉しそうな表情をした。しかし次の言葉で曇ってしまう。


「神を信じるように、あなたを信じますよ」


 政治家はうな垂れて「……ありがとうございました」と言って懺悔室から出てしまう。

 若林はぼうっとして「あなたを信じます」と繰り返し言い続けた。

 まるで熱に浮かされたように。


 翌朝。朝刊の一面に大きな記事が載った。

 それはとある政治家の自殺を報じたものだった。

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