今日もほげふが

@Maruru

ほげ1:物書きになりたかった

 電車に揺られてる通勤時間。いつも同じ時間に同じ車両に乗って、同じような景色を眺めている。そんな時、不意に「私、何しているんだろう?」と感じる時がある。ただ揺れている、つり革に掴まって揺れているだけ。このまま同じような日常を繰り返して、少しずつ年老いていく。自分の人生は本当にこれでいいのか、と自問自答してみたり、根拠なくそんなものかと思ってみたり。結局、その日もいつもと変わらないように出勤し、帰宅する。


 私のいままでの人生は、意識するまでもなく「普通」を選んで生きてきた。10代を過ごした街は、電車が1時間に1本もないような田舎。中学受験には無縁で、高校も選ぶほどもない。当時の私には、真剣に望む職業もなく将来もボヤッとしか描けていなかった。そのため、高校を選ぶ基準になったのは、大学へ進学ができそうな普通科高校であることと通学方法が楽なこと、だった。学力は問題なく、私は希望通りの高校へと進学を果たした。勉強がそこまで好きではなかった私は、プライドが許す限りのほどほどの成績をキープし卒業。この時になっても相変わらず、とくになりたい職業や強く興味のある分野がなかった。そのため、大学選びの基準にも「エンジニアになりたい」だとか「プログラミングが大好き」というような、前向きな理由はなかった。父親も理系だったとか、暗記が少ない数学が得意だとか、実家に一人一台のパソコンがあったからよく触っていたからIT関係とか、そんな理由で学科を選んだ。負けず嫌いの性格が功を奏して、あまり怠けずにきちんと4年で卒業した。卒業後は、周りと同じように就職活動を行い内定を得ていたIT企業に就職。同じ学科の生徒が多数選ぶ道である。いつも、周りと同じような無難な道を進んできたように思う。自分が会社員以外の仕事をしているイメージを持ったことがないし、今でも想像もできない。なんとなく「普通すぎる」と感じたり、「流されてきた」と感じたりしても、これが私の選んだ道なのだ。真剣に道の先を想像したり、困難に立ち向かったりしなかった。できるだけ心労を減らして、楽な道を選ぶ人生も悪くはない。しかし、ときおり自信がなくなるのだ。今まで歩いてきた人生は本当に「私」が選んだ道なのか、この先にある人生を本当に私が望んでいるのだろうかと。


 10代の女の子は恋バナに花を咲かせる。私も例に漏れず、恋バナが大好きだった。隣のクラスの子が好きだという話から始まり、いつまでに結婚したいだとか、子供は何人欲しいだとか、なんでも話していた。当時の私は25歳で第1子、30歳までにもう一人欲しい、と思っていたことを今でもしっかりと覚えている。私は若い母親に憧れを持っていたのだ。自分の親よりも若く子供を産みたい、そう考えていた。結婚に憧れがあるとか、そんなことは考えたこともないくらい当たり前に。ステレオタイプな人生を無意識にあてはめていたのではないだろうか。そもそも結婚する以外の選択肢を想像し、検討したこともないのだ。選択肢をしっかり検討して、慎重になりすぎる必要はないと思う。しかし、選択肢を知ろうともせず、想像もしないのは勿体ないのではないか。「私は結婚願望が強い。寂しがり屋だから、結婚しないなんて考えられない」とよく言っていたが、本当は違ったのではないか。結婚願望が強いと思っていたのは、「大人になったら結婚して、子供を産んで育てる」というイメージが染み付いていたことが原因に思える。もちろん、結婚しない人を否定するつもりはない。ただ、私は想像していた大人になりたかったし、それが1番だと思っていた。そんな凝り固まった考え方で、他の選択肢を潰していたのだ。


 私は読書が好きだ。自分以外の人生を覗いて体験したような気分になれる。自分にはなかった考え方に触れて、自分がどんどん自分じゃなくなって、新しくアップデートされる。今まで私が体験してきたこと、感じたことも知らない誰かにとっては「普通」ではないのかもしれない。私の考えや経験、日常を覗き見ることで誰かの「自分」をアップデートできたら嬉しい。そんな文章を書ける人間になろうと決意した今日を境に、私は変われるのだろう。

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