主人公の成長要素

 最近よく見かける「主人公最強」に対して、成長要素の必要性に対して言及している物がちらほらと見受けられますな。確かに主人公が色んな経験を経て成長していく姿を追っていく作品は多いですし、物語としての起伏も付けやすいです。




 ではここで、かの名作映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出してみましょう。

 (さも当然のように読者が観てる前提ですが…)


 三部作通して観ても、主人公マーティ自身は(経験を経て多少の変化はあれど)実はそこまで大きく成長するわけではないのです。1作目の冒頭と3作目の最後で、人間的に大きく変わったかと言えばそこまで違わない。


 あれはあくまで


パート1=父・ジョージの成長物語

パート2=宿敵・ビフの栄枯盛衰物語

パート3=ドクの時を超えた恋愛物語


 強いて言うならコレが各パートの主題であって、マーティはその語り部というか見届け人という立ち位置なのです。主人公マーティの成長自体は主題ではないから、それを描く必然性がほとんど無かったという事ですね。




 要は書きたいテーマが「主人公の成長」じゃなかった場合は別に必須じゃないって事なんですな。


 しかしここで大事なのは「成長する主人公」を描く場合は、色んな経験によって人間的に魅力が上がっていく主人公へと読者(観客)が感情移入するっていう流れに対し、「成長を描かない主人公」の場合、主人公を担う上で長短含め最低限は「最初から魅力的な人間」としてある程度完成されているって事が大事だと思うのです。


 上記のマーティなどは、物語を通しての成長要素は僅かながら、1作目の時点から既に愛されるキャラクターだったわけですよ。


 またコメディ的な物語で「コイツ成長しねぇなw」とオチが付くような主人公の場合でも、そうした短所を含めて愛されている前提があってこそなのです。


 つまり批判理由として「成長しない」と言われる主人公と言うのは、「今現在、主人公としての魅力を感じないのに、成長する気配がない」と言い換える事が出来るわけですね。


 まぁ「成長要素が無い」という前提にも関わらず、登場の時点で魅力的に描けないなら、成長要素を捏ね繰り回したとしても魅力的になる気はしませんが…。




 ちなみに自分の場合、連載中の『西涼女侠伝』を例に挙げると、主人公の戦闘能力はかなり高めに設定してあります。ただ登場する強敵(敵国の猛将レベル等)とは、おおよそ互角くらいで、世界観の中で飛び抜けて最強ではないレベルですが。

 (Koeiの『三國志』シリーズで例えると武力90前後という脳内メモがありますが、その辺は作中には出ませんし重要でないので置いとくとして…)


 そこで描きたいテーマは何かと言えば


「個としての武力では、救える人間の数も限界がある」


「例えどんなに個の武力が優れていても、相手が国家だったり、時代の流れその物だったりすれば、容易に抗いきれる物ではない」


 という個としての限界や壁が立ち塞がり、その中でどう生き、どう戦うかって部分に主眼を置いているんですね。だから個人の戦闘能力自体に成長要素を設定する必要があまりないのです。

 むしろ最初からある程度高い方が、読者にも主人公の「明確な強み」が提示でき、それでもなお容易に打ち破れない壁の存在が、より浮き彫りになるまであります。

 或いは武力の代わりに知力などに置き換えても全く同様です。




 まぁ、結局の所は「主人公が最初から強い」「成長要素が無い」という、それ自体は全く悪い事ではないって事です。

 大事なのは、どんな設定であろうとその要素によって「魅力的なキャラクター」や「面白い物語」に転化できているかどうかだと思うのです。





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