変化を受け入れ、かつ不変である事への応援コメント
うわぁ、この落語家さん、カッコいい♩
作者からの返信
どもですー。
だいぶ前に雑誌掲載のインタビューだったかで見かけただけなんですが、ずっと印象に残っておりましてw
【ただ鴛鴦を羨みて】あとがきへの応援コメント
こんにちは。
先日「ただ鴛鴦を羨みて」にコメントをさせていただきました。
今日、図書館で「中国の恋のうた 『詩経』から李商隠まで」という本を見つけてパラパラとめくっていると蔡琰の名前があったので、借りてきてしまいました。
蔡琰については、ここで水城さんがおっしゃっていることくらいしか書かれていなかったのですが、無学のわたしにも読みやすい面白い本でした。
こちらの作品を読んでいなければ手に取ることもなかったと思うので、あらためて感謝を伝えたくてコメントさせていただきました。
ほんとうに、ありがとうございました!
作者からの返信
いやほんと、興味を持っていただけ、そのお役に立てたのなら、これ以上の喜びはありません。
最大限の賛辞に何て答えたらいいか分からず、脳内でインド映画並みのミュージカルが始まってしまって語彙力がががw
こちらこそモチベーション注入に感謝したいぐらいです!
ありがとうございます!
自作品の根底テーマについてへの応援コメント
「歩みを終えても、この世は続いていく」というフレーズに共感しました。
私の場合は、「新・映像の世紀」という二十世紀の歴史を扱った番組のラストで、あのウサマ・ビンラディンの若き日の姿が画面に映された時の衝撃が、創作の根底にあるように思います。
「これは終わりではない。終わりの始まりですらない。始まりの終わりである」
作者からの返信
歴史ってのはバトンリレーで、どんな人物でも、良きにしろ悪しきにしろ、必ず前の時代からの影響を受けているモンですからなぁ。
個人に限らず、国家や民族もそうですし、歴史と言う枠を超えて規模を伸ばしていけば人類が滅んでも地球上にはほかの生物がいますし、地球が亡くなっても他の惑星が、銀河系も同様。
何ならこの宇宙が最終的に巨大化したブラックホールに呑まれて終焉しても(全宇宙の質量が一か所の点に集まった状態なので)次のビッグバンが起こるでしょうからなぁw
作者自身が書いてて楽しい物を書こうへの応援コメント
ゼロを1が一番重要ですよね……いまやってるのは1を2か3に、ですが、これはある意味で楽……楽とは言えないものは用意しなきゃいけないわけですけど。
とりあえず、楽しいで動かないと心が死ぬんじゃないかとは、常々思います。
作者からの返信
「切り分け」作業やってる方々にゃ、毎度頭が下がりますわホント…。
あと割りと重要だと思ってるのが、創作活動で出来上がる作品って、それが文章にしろ絵にしろ芝居にしろ、作り手が楽しんでやってるかどうかって、受け手側も自然と感じ取れちゃいますからなぁ。
「この人、ホント楽しんでんなww」って感じると、それだけで魅力的に映るもんですw
【ただ鴛鴦を羨みて】あとがきへの応援コメント
そうだ、劉豹も、蔡文姫も、曹操も、みんな揃って美化美化のピカピカだ!
そうか、「偶然出会った漢人の旅人に助言を貰った」のが『西涼女侠伝』のあの主人公一行だったのか …
作者からの返信
あとがき文中で書いたように、あちらで左賢王・多羅克の思い出話として入れようとも思ったんですが、時系列的には南匈奴の入朝があれよりも後になるから別れた所までしか書けないし、脱線になると思ってしまいまして、こうして分けたのですよね。
『西涼女侠伝』では、重鎮感を出す為に、曹操の名前は何度も出るけど、本人はシーンに登場しないのを徹底してたのと同時に、蔡文姫(蔡昭姫)の名前も全く出さずにおく事にしましたw
「創作の三大要素」についての私見への応援コメント
行き当たりばったりで書くと大変ですよ!
劉裕とか! 劉裕とか!!
……よく40万文字まで届かせたもんだと自分に拍手を送りたいです。
ただ、おっしゃる「「コイツ登場する必要あった?」という物。」がめっちゃ多いので、完結までたどり着いてから物語として成り立つための最大限の間引きをぶち決めたい次第。その前にあれやこれ……!
作者からの返信
まぁ、「史実人物の事績」という大雑把なプロットがあるのでセフセフ!
何なら第一稿をオープンソースでやってると思えばw
その意味では拙作の『楽園を探して』も、だいぶこう…、主人公コンビ以外は章ごとにリセットする、旅先で出会う人々(主に有名人)との一期一会を描いたロードムービーなので、「章ごとに考えればいいや!」と見切り発車した感が強くww
作者自身が書いてて楽しい物を書こうへの応援コメント
企画にご参加いただきありがとうございます。
ざっと創作論全般編だけ拝読しましたが、どれも非常に理路整然としていて、納得の行くお話ばかりだと感じました。
ついでに感じる事があるとすれば、意見のきちんとしている方の文章は、言葉選びの巧みさもさる事ながら、そもそもその体裁が綺麗で、崩れている事が少ないように思います。
非常に読みやすいんですね。
もしかしたら単に、自分と意見の似通う方の文章がそのように見える、というだけかも知れませんが(
自分もいろいろ精進が必要だなあと感じさせられました。
作者からの返信
ご感想ありがとうございますー。
ガッツリとした連載創作論ではなく、ホントに思い立った時にだけ書く、文字通りの雑記で申し訳ないですが、そう言っていただけると励みになります。
自分としても自戒としての書き止めが多く、日々精進ですなぁw
作者自身が書いてて楽しい物を書こうへの応援コメント
中には人気のない作品を打ち止めにしてそのまま削除してしまう方針の作者様もいらっしゃいますからね……削除はせずとも放置して、新しい作品で人気が出るかどうか見定める作者様もいるみたいです。いずれにせよ「リセマラ」と呼ばれていて残念に思う人は残念に思うみたいですね。
自分がその作品を書くのが苦痛になった、飽きてきたという事で打ち切ったりするのはまだしもなんですけどね。いや、これもあんまりあってはいけないんですが。
特に趣味で書いている場合でしたら、自分が書いていて楽しい! という物を書いていく方が精神衛生上良いのでしょうね。
追記:複数本作品を展示していたら、作者自身が推すメイン連載よりもノリで書いた短編とかサブ連載の方が評価されてしまう事もままありますね(笑)
作者からの返信
>リセマラ
冒頭だけ書いた話を数本上げて、一番伸びた奴の続きを書くって奴ですな……。それの話を聞く度に思うのは「剪定されて捨てられる話が可哀想」っていうか「お前それに未練は無いんか!?」とか「そこに愛はあるんか!?(※某CM)」っていう気持ちしか出ないですわw
ただそういう人でも割り切りというか何を捨てているか分かっている人もいるようで「少なくとも切りの良い所までは書いて完結させておくのもあり。そっちのが作者フォローは増えやすい」って発言してるのを見かけましたね。
むしろどう考えても作者フォローがメインの常連客商売やってるコッチとしては住む世界が違うわと思いますがw
【西涼女侠伝】あとがきに代えてへの応援コメント
無いから書こう、というのは激しく同意します。
外国、という時点でグッと無くなりますからね、作品数。
十字軍の話を書いた時も、なんかアレでしたし^^;
そんな中、中国史は水城さんのおかげで、ガイドができて、渉猟しやすくなったと思います。
ではではノシ
作者からの返信
ありがとうございますー。
実際、ああいうの(時代別本棚+時代解説)があったら「これを流し見しとくといいよ」で済むので、その意味で欲しかったのもありますなw
誰か同じような形式で他の文化圏も、例えば欧州通史(ギリシャ・ローマから世界大戦まで!)とか、もっと軽率にやって欲しいですわw
【屍山血河の国】あとがきへの応援コメント
大変興味深く拝読させていただきました。
いつの時代も、あるんですよね。
悲しいな、どうしてみんな平和になれないんだろうと思いながら、過去の人々の魂にも祈る気持ちで読み終わりました。
ご縁をいただき、ありがとうございました!
作者からの返信
ご感想ありがとうございますー。
そしてまとめての返信失礼しますー。
歴史を紐解くと、儒教倫理の華夷秩序(漢人が上、異民族は下)のもとに、ずっと漢人に奴隷扱いされてた胡人(異民族)という構図が数百年続いたんですよね。
その後、逆に胡人が政権を取るようになった五胡十六国の時代になり、冉閔の前の政権である後趙で最後の皇帝になった石虎は、漢人の村を見つけると気分で「人間狩り」を楽しむような事が十数年あって、その後に出てきた冉閔が多くの漢人の支持を得て権力を握り、作中に出たような胡人の民族浄化を起こすという、因果応報のシーソーゲームなんですよねぇ……。
なので同調圧力を恐れて何も言わなかった漢人も当然いたのと同時に、率先して胡人を狩り立てた漢人もまた大勢いたと容易に想像されるんですよねぇ。
欧州の魔女狩りもそうですが、権力者による独走ってだけでなく、それを支持し率先して"流れ"を作る民衆の熱狂っていうのも不可欠だと思うんですよね。だから怖い(一般市民も加害と無関係ではないって意味で)。そして悲しい事に、だからこそ容易に乗り越えられない……。
こちらこそ覗いていただき、改めてありがとうございましたー。
歴史小説の主人公についてへの応援コメント
こんにちは。初めまして。
先日は、ユーザーフォローをありがとうございました。
金庸先生、おお、なつかしい…。昔々、テレビの多チャンネル放送を契約した時、金庸原作の中国ドラマを次々と放映していまして、わくわくしながらみたものです。どういう人なのかと調べてみると、中国の吉川英治だとか。それはない、吉川英治が日本の金庸だと思ったことです。(笑) いまはあの古いドラマは、再放送でもみることは出来ないと思います。ほんと、おもしろかった。
作者からの返信
わざわざご挨拶ありがとうございますー。
衛星でってなると、2000年代前半の張紀中(プロデューサー)版の連ドラですかね。あの辺りなら、放送はさすがにやってる所は無さそうですが、レンタルでも観られますからねぇ。自分もいくつかのシリーズは手元に置いてあります。
まぁ、武侠小説を日本の特に高齢の方に説明する時に「中国の立川文庫」って言う言い回しがありますから、金庸=吉川英治もそこそこ妥当かもですけどね。そう考えると「アジアのトールキン」って肩書きが一番広いのかもですなw
なぜ歴史ジャンルを書くのかへの応援コメント
二次創作、激しく同感です。
最初は何も考えずに歴史ものに手を出してみたんですが、いざ書いてみると、wikiとかがネタ本と化すんですよね。
で、史実に矛盾せずに、あるいは矛盾してでもやりたい「ネタ」を思いつくのです。
おっしゃるとおり、得た知識は教養としても通じますから、お得ですね(笑)
ではではノシ
作者からの返信
関連項目を辿ってwikiをサーフィンしてるだけで平然と数時間が過ぎてしまう事もしばしばですが、それもまたアイデアの為の引き出しになりますからなw
歴史小説の主人公についてへの応援コメント
マイナーがイイっすみたいなノリで、いつもマイナーな人をメインに据えている(つもり)で書いています。
やっぱり自分でカスタムできるというか、「こういう風にしたら面白いんじゃないか」がかなえられるのは大きいと思います。
誰も書いていない、あるいは書いていても少ない方が、「早い者勝ち」みたいに、その人についてカスタムできちゃうと思うのです。
でも、やっぱり教科書に載っている人物を表に出した方が注目が集まるみたいなんで、なるべくそういう人を抱き合わせで出すようにしています^^;
ではではノシ
作者からの返信
有名な人物は、それだけ表立って大局に影響を与えるダイナミックさが売りですけども、それだけに制約も多くなっちゃうのが難点ですからねぇw
その制約を全て満たしつつ、虚構部分も見事に編み込んじゃう名人芸とかは素直にスゲーと思っちゃうんですが、毎回それやるのは辛そうという感想も同時に来ちゃいますし。
その意味では「有名人のスポット参戦」だと、使いやすい事この上ないですからねw
なぜ歴史ジャンルを書くのかへの応援コメント
歴史小説は、死んだ人と会話できるのが素晴らしいこととだ考えています。しかも、キャラが立っている人物と、ひとりブツクサ会話するのは、ハタから見て気味の悪いものですが、本人にとっては楽しい時間なのですから、ほとんどビョーキですよね。
作者からの返信
史書記述(wikiでも可)の文章と、肖像画だけの状態では生きてないんですけど、「こんな人物だったのではないか」と想像を深めていくと、ある瞬間にキャラクターとして命が吹き込まれるんですよねぇ。
そしてそうなったら、後は勝手に喋って動いてくれるので、何とかそこまでに持っていく事が命題ですな。
この辺も創作しない人からすると、割りとビョーキっぽいですがw
「創作の三大要素」についての私見への応援コメント
イキアタリバッタリで書いても、力量があるのだから、大丈夫だと思いますよ。第一稿を書き上げて、それから何度でも推敲して、辻褄が合わない箇所はあとで補正して、きれいなアスファルト道路に仕上げましょう。
作者からの返信
連載中の長編である『西涼女侠伝』が、割りと見切り発車気味だったので、正にそんな作業を連載しながらやっちゃってて軽く後悔してますw
「冒頭部分とラストシーンだけは決めて、中身の骨格は史実事件を追うだけだから…」という軽い気持ちで書き始めたら、何だかんだで途中で骨組みを何度も組み換え、肉付け部分も何度も加筆修正する羽目になっておりますw
歴史小説の主人公についてへの応援コメント
有名人物を題材にしても、加藤廣さんの「信長の棺」や「秀吉の枷」なんかは面白いですよね。筆者様なら、そんな人物をとりあげても、独自のアングルから定説を覆すような小説を執筆できると思います。いずれ、時節到来の折には、チャレンジしてみてください。そのときが来るのを楽しみにしております。
作者からの返信
いずれ書く事にはなるかと思います。
今はまだ「スポット出演で有名人が登場する」って事が多いので、他の作品で描かれたその人の人物像をそのまま借用している事が多いですねw
登場人物の美形アピールについて思う事への応援コメント
小説で美形とかの表現を鬱陶しく思う気持ち、私も解ります。
私の場合ですとただでさえ内面描写とか情景描写とか色々溢れてくるのをどうにか抑えつつ書いているんで、外見描写はまぁ殆どどうでも良いと思ってます。
※そりゃあもちろん、人だと思っていたら猫だったみたいな事故があるのは問題ですけれど。
ぶっちゃけどんだけ美女だろうと、「気に入らない部下の首が飛ぶ(物理)」みたいな恐ろしいお方の場合、美女だとか色っぽいとかいう情報は十万億土の彼方に吹っ飛んでしまうのです(笑)
作者からの返信
結局は内面で補正されちゃうんですよねぇ。
リアルで考えたら腐れ外道な性格な人物を、カッコいい二枚目と描写される例のパターンも同様で…(それこそサクラレビューの比喩そのもの…w)
登場人物の美形アピールについて思う事への応援コメント
作者の頭の中で、人物のモデルがアニメ絵になってしまっているケースが多いのでは、と思いますね。
狙いがあるのなら一概に否定するものでもないかも知れませんが、知ってて書かれたものと、知らずに書かれたものの差は、やはり“品”と言う形で出ると思います。
ほっといてもメディアミックスの時には順当に美形に書かれるだろう、と言う点も同感です。
作者からの返信
いやはや全く。
「作者自身の脳内イメージがアニメ絵」という点は別によくある事というか、ラノベ指向であるならばむしろ主流だと思うので、全く批判するようなものではないんですが、それを描写する方法が下品極まりない人が散見される事がネックなんですよねぇ。
ラノベ指向だけれども、描写の面で"そういう事"をしてない人にとっては(一括りにされるケースもあるでしょうし)いい迷惑ではないかなとw
主人公の成長要素への応援コメント
斑猫です。
こちらにははじめてお邪魔します。
現在創作論の裏で連載しているメイン長編がまさしく「主人公が成長する物語」ですので、再び拝読させていただきました。
最近のテンプレもので気になるのは「成長」「努力」を標榜しつつも開始数話で早速最強チートになってしまう「タイトル詐欺もの」ですね。恐らくは本文中にありますような「魅力がないのに成長要素もない」かつてのチート主人公への批判より派生した内容ではないかと邪推しておりまして……
ちなみに拙作(九尾の狐の子孫が登場する妖怪ものですね)はタイトルに「最強を目指す」とありますが、開始時点で(そして現在も)最強には至っておらず成長中なので純然たるタイトル詐欺ではありません。
あと手前味噌になりますが、主人公は欲望に忠実(モテたい! チヤホヤされたい!!)な若者なのですが、熱心なフォロワーの方からは「可愛い」と案外好評価なので驚きです。
※主人公を「可愛い」と評してくれる方は複数いらっしゃいます。
ではまた。
作者からの返信
再読どうもですー。
「努力」と書いていながら、初手から「苦労せず入手したスキル発動!」みたいな奴ですなw
読者に全く共感されないような悪人が主人公であっても、クライムサスペンスなどのジャンルでは希にありますし、まぁ、結局の所、どんな設定であろうと、面白く追いかけさせてくれればいいんですよね。
これは持論なんですが「あなたの話(キャラでも可)が好きだよと言ってくれる人が一人でもいるなら、充分に書いた意味はあった」って思うんですよね。
その意味では批判されがちな、いわゆるテンプレ系も、好きだという人がいる以上は存在価値はあるんだと思いますし(批判すべきは、そういう物ばかりピックアップする出版社の方かなと…w)
なぜ歴史ジャンルを書くのかへの応援コメント
こんにちは。こちらでは初コメントさせて頂きます。
書きたいものの比重が人物にあるのか、物語にあるのか、世界観設定にあるのかは大事だと思います。
当たり前かもしれませんが、ついつい忘れてしまいがちとも思います。
全く書かない事は不可能ですが「書きたいもの・書くべきものが人物や世界観設定に無い」場合、そこに足止めを食らう必要もないと思います。
むしろ、一から構築したハイファンタジー世界などは、何故その形を選んだのか相応に考えた方が良い場合もあると思います。
その点、歴史小説の他にクトゥルフ神話系の、不特定多数の間で設定が共有されている話も実に機能的なものだと思います。
作者からの返信
コメントどうもですー。
自分の場合は物語や人物に注力していて、世界そのものを構築したいという欲求は低めなのかもですね。
史書にしてもクトゥルフ神話にしても、既存資料を読んでいて話を思いつくタイプなので。
まず架空言語の辞典から作り始めたトールキンなんかは、完全にそこの指向(思考・嗜好)が真逆すぎて「真似できないし、真似したくない」になってますw
まぁ、結局大事なのは「書きたい物を書け、読みたい物を読め」、コレに尽きるんですよねぇ。
歴史小説の主人公についてへの応援コメント
実在したんだけど全然有名じゃない人の物語というのも面白いですよね。
わたしも以前、三国志の「向寵(しょうちょう)」を主人公にしたことがあります。
「出師の表」と蜀書・向朗伝の末尾に少しだけ出てくる武将ですけど、この人が出て来る小説を読んだことがなかったので、だったら自分で書くか…と。
資料が残っていないということは、どんな設定でも有りですから、好きなように書けました。…もちろん、ある程度は史実に沿ってですけど。(笑)
作者からの返信
歴史小説って、史実というベースに対して「作者の考える可能性」が見え隠れするのが、書いてても読んでても楽しい部分ですからね。
史書の記述に対して「全ての辻褄が合う」って事で、0%ではなくなり、例え1%未満であっても「可能性」になりますし。
(これが学術研究だったら100%にするべく他の説を潰さないといけないかもですが、創作なら1%でいいわけで)
「創作なんだからいいじゃん!」という態度で0%のままをぶっこむのは、書く上では下品だし、読んでても冷めるし…、せめてそこは確保しよう?
って自戒も込めて注意している部分だったりするんですが、まぁ有名人だとその確保の難易度がメタクソに高くなるんですよねw
自作品の根底テーマについてへの応援コメント
とても良い詩ですね。
日本語版を作曲したくなりました!
作者からの返信
毎回振り返って泣きそうになるんですよねぇ。
日本語版は今まで作られてないから良いですねぇ。
版権的にどうなのかはアレですけどもw
【西涼女侠伝】馬超の生い立ちについての考察への応援コメント
「伯」「仲」「孟」にそういう意味合いがあるのですね。
勉強になりました。
作者からの返信
コメントどもですー。
「実力伯仲」みたいな熟語で使われる「伯仲」は「一番目と二番目」の意味で、転じて「トップ争い」の意味で使われるんですな。
本文中にあるように、人名で使う場合は「太郎・次郎」のように長男・次男を指していて、「叔」なら三男(三男以下)で、「季」は末っ子みたいに、ちょいちょい文字に意味があるので、そこから推測したり出来るわけです。
日本人でも「〇三郎」って名前だったら、兄弟の名前が残ってなくても「恐らく三男だったんだろうな」って推測できる感じでw