1.2人目の友人

第8話 父親からの手紙

 仮面の集団の襲撃事件があった夜のこと。

 コンコンと木製の扉をソフィーが叩く。

 その向こうからは低い男性の声で「入れ」と短く返ってきた。

「失礼します」

 包帯を頭に巻いたままの彼女が、ゆっくりと扉を開いた。

「全く……貴様たちは問題を起こさないと気が済まないのか?」

 飴色になった机に肘をついて手を組んだ男性教師が言う。

 魔法学校の教師の証である、灰色のローブを羽織った男。

 その左胸には、杖を象ったバッチがつけられていた。

「ラクルム先生……お言葉ですが、私が好きで問題を起こしているとおっしゃりたいのでしょうか?」

「それ以外に何がある。まだ入学して半年も経っていない新入生が、2つもの事件の関係者になるなんて聞いたことがない。我が校始まって以来の問題だ」

 『ベシク・ラクルム』という名の男性教師は、ソフィーたちの魔法実技を担当している。

 銀色に近い髪色の短髪に、切れ長の瞳。

 長身でありながら、その体はがっしりとした細マッチョ。

 一部の生徒からは絶大な人気を誇っていた。


 そして、クラスメイト溺死未遂事件で、ソフィーを糾弾しようとした教師でもある。

「あの仮面の集団が、貴様たちを襲った理由も分かっていないんだ。尋問しても口を割る気配もなく、貴様たちも知らないのだろう?」

 頬杖をついたラクルムは、疲れたようにため息を吐いた。

「知らないものは知りようがありません。文句を言うために私をお呼びになったのですか?」

 つんと澄ましたソフィーに、ラクルムは引き出しから一通の封筒を取り出した。

「これが何か分かるか」

「その紋章はまさか……お父様!?」

 目を見開いたソフィーは、その場を動けなかった。


 封筒を弄んでいるラクルムに、ソフィーがおずおずと尋ねた。

「どうしてお父様からの手紙を先生が……」

「渡す前に言っておきたいことがあったからな」

 机の上に封筒を置き、ソフィーに向かって差し出したラクルムが真剣な表情で言う。

「この先も魔法学校で学びたいというのなら、身の振り方には気を付けろ。貴様の父上ならば、いつでも自由を奪うことは可能だ」

「お父様が学校に圧力を……?」

 青白い顔で呟くソフィーに、ラクルムは重い息を吐き出した。

 びくりと震えた彼女に、年長者らしい面もちで言う。

「貴様のような生徒が、学校のことを気にする必要はない。学びたい思いがあるのなら、全力で学べ。生徒である以上、私は貴様たちを導く義務がある」

「先生……」

「話は以上だ」

 顔を反らしたラクルムは、それ以上口を開くことはなかった。


 いつもはぴんと伸びている背筋が心なしか曲がっている気がするソフィーは、ふらふらと廊下を歩いていた。

「大丈夫……?」

 顔を覗き込むと、青白い表情のまま頭を上げる。

「この状態がそう見える?」

「……見えないね」

 はあとため息を吐いて、手の中にある封筒を見た。

「お父様からの手紙だなんて……よくないことが書かれているに違いないわ」

「自由を奪えるって先生は言ってたけど、そんなことをするようなお父さんなの?」

 この世界に来て数週間。

 魔法学校へは自宅の屋敷から通っているソフィーにくっついているわたしでも、父親の姿を見たことがなかった。

「そうね……現実主義者で、頭が固くて、娘のことを放って置いたくせに、問題を起こしたと知ったら圧力をかけてくるような父親よ」

 そう言ったソフィーによって封筒がくしゃくしゃに握り潰される。

 その様子から、よく思っていないことは容易に想像できた。


◇◇◇◇◇


 その日から、ソフィーはずっと封筒を睨み付けていた。

 自宅に帰っても、封筒を眺めてはため息を吐くという生活を続けている。

 包帯が取れて、傷もすっかり治ったのは3日後のことだった。

 なにを悩んでいるのか大体の想像はできるが、それ以上にわたしはもどかしい気持ちを抱えていた。

「見なくてもいいんじゃない?」

「……そうもいかないわ」

 授業の合間の休み時間。

 さざ波のような喧騒が流れている教室の中で、ソフィーはようやく封を解いたのだった。


 中には便箋が一枚だけ入っていた。

 わたしは、この世界の言葉は日本語に変換されて分かるが、文字に関しての知識は全くない。

 独自の文字が発達しているようで、わたしには理解できなかった。

「……で、なんて書いてあるの?」

「あの頑固者……!」

 ソフィーが両手を便箋に添えたかと思ったら、止める間もなく縦に引き裂く。

 半分になった便箋の欠片を細かく破いて、やっと彼女は落ち着いたのだった。


「跡形もない……」

 ソフィーの机の上は、びりびりに引き裂かれた便箋の欠片で白くなっていた。

「ふんっ!こんな手紙を寄越さなくても、直接言いに来ればいいのよ!」

 鼻息を荒くしている彼女を宥めながら欠片を見つめる。

 やはり、何を書かれているのかは分からない。

「学校をやめろって書いてあったの?」

「それくらいならまだマシな方よ。『さっさと魔法学校をやめて花嫁修行をしろ。異論は認めない』ですって?父親が娘の人生を決めるんじゃないわ!」

 膨れ上がった怒気は、ソフィーがそれだけ腹に据えかねているということに他ならない。


 そこで、ある疑問がわたしの頭をよぎった。

「ちょっと聞いてもいい?」

「なに」

 まだ怒りが収まらないのか、イライラとしながら言われて体を疎ませる。

 どうにか気持ちを落ち着かせて、切り出した。

「ソフィーは侯爵の位を持つ貴族だよね。わたしの知識では、貴族は政略結婚や血筋を残すための結婚をたくさんしていたと覚えているのだけど……」

「間違ってはいないわ。お父様とお母様も政略結婚だったもの。そういうものだと理解はしている。でもね」

 言葉を切ったソフィーは、胸に手を当てて言う。

「私が誰かの奥様になるなんて、想像ができないの。そうなるための勉強をしていてもやる気なんて湧いてこないし、意味がないとすら思ってしまう。そう言ったらお父様と喧嘩になったのよ」

「そうなんだ……」

 本来のストーリーの悪役ソフィーは『結婚』ということにとても前向きだった。

 わたしが改変したため、いまだヒーローとの目立った接点はまだない。

 でも、運命を変えるための重要なポイントになるだろうという予感があった。


◇◇◇◇◇


 父親からの手紙をもらってからのソフィーは、いつもの貴族然とした態度が嘘のように不機嫌さを隠さなかった。

 クラスメイトたちも何かあったのか、とひそひそ話している。

 誰もが遠巻きに見つめる中で、近付いてくる人影があった。

「どうかなさいましたか……?なんだか最近、苛立っているように見えますが」

「ニア……ごめんなさいね。私の中で少し消化しきれない問題が起こったものだから、つい」

 話しかけてきたのはニアだった。

 わたしが吹っ飛ばした衝撃で骨折という大怪我を負っていたが、さすがは魔法がある世界。

 ものの数日で完治し、授業に復帰していた。


「私にはよく分かりませんが……ちょうどよかった!放課後、気分転換も兼ねて街へ出掛けませんか?」

「気分転換?ニアが私と?」

 目を丸くしたソフィーに、ニアは嬉しそうに笑う。

「もう1人、私の友人も一緒に行くのですが……迷惑でしたか?」

 笑っていたのもつかの間、不安そうに手を握りしめるニアを見て、ソフィーは優しくその手を包み込んだ。

「誘ってくれてありがとう。ぜひ、行かせてもらうわ」

「本当ですか!?」

 頬を赤く染めて、目を輝かせるニア。

 わたしはそばに漂いながら、うんうんと頷いていた。

 ニアの言う通り、最近のソフィーには余裕がなかった。

 違うことを考える時間も必要だろう。

 一つ、心配なことと言ったら、ニアが連れてくる友人という存在だろう。

 何事もなければいいと思いながら、どこに行こうかと盛り上がる女子2人を眺めていた。

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