第7話 魔法の代償/終

 わたしは魔法を弾く壁だけじゃなく、衝撃波も出せるようになってしまった。

「きゃあっ!」

「なんだ!?」

 それぞれが後方へ5メートルは飛んでいく。仮面の集団もその余波に巻き込まれて、校庭の端まで散り散りになっていた。

「はぁ……はぁ……」

 どっと疲れが体にのしかかる。なんでこんなに疲れるのかわからないが、これで状況を変えられたのではないだろうか。

「こんな魔法見たことがない!ますます欲しい!」

 場違いに明るい声が木霊する。

 金刺繍の男が、仮面を壊されながらも嬉しそうに嗤っていた。

 3メートル以上離れたため、自動的にソフィーのそばへ移動する。

 わたしが吹き飛ばした衝撃で、地面に頭をぶつけた彼女は気を失っていた。

 金刺繍の男も少なくないダメージを受けていた。

 その男の、ギラギラとした肉食動物のような瞳が覗く壊れた仮面。

 幽霊でも恐怖を感じることがあるのだと思ってしまった。


 ぐったりとして動かないソフィーに、必死に叫ぶ。

「起きて!連れてかれちゃうよ!」

 ニアはわたしの衝撃波の影響ですぐには動けない。

 ソフィーを守れるのはわたしだけ。

「連れてなんて行かせない……!」

 体を引きずって近付いてくる金刺繍の男に手を向ける。

 衝撃波を放とうとした瞬間、体に異変が起こった。

「な、なにこれ!?」

 指先の輪郭がぼやけている。少しずつ侵食していくそれは、右腕を消してしまうほどに広がっていた。

 これではっきりとわかった。

 魔法を弾く壁や衝撃波は、幽霊の体を維持するための力を使っていたのだ。


 『この世界から消滅する』


 頭の中に浮かんだのは、紛れもない恐怖だった。

 幽霊だからいつ消えてもおかしくない、とはずっと思っていた。

 でも、こうして直面すると何も考えることができなかった。

 肉食動物のような視線を向けてくる男は、ソフィーを諦める様子がない。

 わたしは涙がこぼれそうになる目を無理やり開いて、聞こえるはずのない声を力の限り叫んだ。

「お前たちなんかにソフィーをやるもんか!」

 消えるのは怖い。

 死にたくない。

 突き出した左腕は情けなく震えていた。

 だからといって、諦める選択肢はわたしの中に存在しない。

 なんだってやると決めた。

 わたしの存在を賭けてソフィーの運命を変えられるなら、いくらでも賭ける。

 彼女に悪役は似合わない。

 決まりきった運命なんて、わたしがねじ曲げてやればいいんだ。


「はぁぁ……!」

 体中の力を左腕に集める。

 もう一度、衝撃波を放てばわたしは完全に消えてしまうかもしれない。

 知ったことかと、脳内の危険信号を無視する。

 そして、わたしは限界まで溜めた力を解放した。

「ぐはっ!!!!」

 金刺繍の男が校舎に向かって吹っ飛ばされる。

 鈍い衝撃音が響いたと思ったら、茶色のレンガに埋もれた男はぴくりとも動かなかった。

「どんな、もんだ……!」

 全力で坂を駆け上った時のような疲労感が一気に押し寄せる。

 ふわふわと宙に浮いていることもできす、地面に倒れこんだ。

「……やっぱり消えちゃうのか……」

 残っていた左腕も指先から消えかかっている。

 ごろりと体を傾けて大の字に寝転がった。

 顔の向きを変えると、目を閉じたまま動かないソフィーが見える。

 その姿に泣きそうになった。


 その時、がらりとレンガが崩れる音がした。

 目を見開いて顔を向けると、血を垂れ流し、見るからに満身創痍の男が立ち上がっていた。

「必ず……組織に……」

 虚ろな目で呟いた金刺繍の男は、そのまま地面に倒れ込んで動かなくなった。

 わたしはぴくりとも動かない男をじっと見ていた。

 見ている時間は数秒にも満たないのに、ずっとそうしていたかのような感覚があった。

「……動かない。や、やった……!」

 はあと深いため息を吐いて体を脱力させる。

 ストーリーから外れた存在であるわたしが、第1章のボスを倒してしまった。


◇◇◇◇◇


 ぼろぼろになりながらも動けるようになったニアがソフィーに駆け寄ってくる。

「ソフィー様!しっかりしてください!」

 抱きかかえて声をかける。

 しばらくすると、ソフィーの瞼がゆっくりと動いた。

「……ニア?」

「私を助けるためにご自分ごと吹き飛ばしてしまうなんて……こんなこと、もうやめてください」

 ポロポロと涙をこぼしながら言うニア。

 それをただ受け止めるソフィーの瞳には何も映っていなかった。


 ソフィーとニアにボランティアを言いつけた教師が様子を見に来てからが大変だった。

 怪我だらけになった彼女たち。

 その周りには誰かもわからない仮面の集団。

 駆けつけた教師たちが後始末に追われる中で、ソフィーは応急処置を受けていた。

「これで処置は終わりよ。あとで医務室に来てちょうだいね」

 医療担当の教師に言われて、ソフィーはおとなしく頷いていた。

 頭や腕には痛々しい包帯が巻かれている。この包帯は魔法が付与された特別製で、傷の治りが早くなるらしい。

「あの……ニアは?」

「茶髪の彼女ね。肋骨が数ヵ所、足の骨も折れていたわ。ここでは十分な治療ができないから病院へ搬送させてもらったの。すぐに良くなるわよ」

「そうですか……」

 俯いた彼女のそばでわたしは内心頭を抱えていた。

 まさか、こんな大怪我を負わせることになるなんて。

 この力の使い方を覚えていかなければならない。

 この先もソフィーのそばにいるなら、なおさらだった。


 校庭の隅に座り込んだソフィーはいつになくおとなしい。

 わたしはそわそわとしながらも、話しかけられずにいた。

「……ニアを助けたのは私じゃない」

「えっ?」

 ぽつりと呟かれた言葉を聞き返すと、彼女は今にも泣きそうな目でわたしを見上げていた。

「あんたなんでしょ?私とニアを助けてくれたのは」

「泣かないで!?ソフィーが泣くことじゃないんだから」

「その右腕はどうしたのよ!あの防御魔法を使ったからでしょう?」

 あわあわと慌てるわたしに、ソフィーは泣きながら怒っていた。

「なんであんたの腕が消えるのよ!私なんか助けなくてもよかったのに!」

「それは違う」

「っ!ど、どういうことよ……」

 わたしの真剣な声に、彼女も少し落ち着いてこっちを見てくれた。

「ソフィーとニアを助けたかったからやったんだよ。怪我させちゃったけど、無事でよかったと思ってるんだ」

「どうして……そこまでできるのよ」

 戸惑っているような声で言うソフィーに、わたしは笑顔を向けた。

「あなたを守りたかったから……まっ、心配することないって!これでも体は幽霊だからさ。いつか再生するんじゃない?」

 わざとらしく楽観的に言えば、ぐっと唇を噛んだソフィーがわたしに杖を向けた。


「あんたのその体、魔力でできているんでしょ」

「まあ……たぶん、そうなるのかな」

 魔法を弾く壁と衝撃波を使ってから右腕が消えた。

 ソフィーの言うように、この幽霊の体は魔力でできているのかもしれない。

「だったら……!」

 目を閉じたソフィーは静かに集中しているようだった。

 すると、ぽっと柔らかな青い光が杖の先に灯る。

 ふわふわと浮かんだ光は、わたしの体の中へと吸収されていった。

 胸の中がじんわりと暖かくなったかと思ったら、消えたはずの右腕が再生していた。

 おぼろげだった左腕も、すっかり元通りだ。

「腕が……!どうして……」

「私の魔力を分け与えたの。よかった……大丈夫そうね」

 ほっと笑ったソフィーは、わたしの目を正面から見た。

「助けてくれてありがとう。礼も言わずに取り乱すなんて、らしくなかったわ」

 凛と背筋を伸ばした彼女は、貴族に名を連ねるにふさわしい表情になっていた。

「それでこそ、ソフィーだよ」

 わたしが彼女を悪役だと知っても嫌いにならなかったのは、この心根の素直さがあったからだと思う。

 運命で悪役と決まっているとこの世界が言うのなら、わたしはそれを否定したい。

 生き返るためだけじゃなく、勝手に友達だと思っているソフィーの名誉も守りたいと思っていた。

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