第2話 不動如山

 ストレイカー大佐はその豊満な肢体をぴちぴちの制服に包み込み、朝の定例報告を淡々とこなしていた。


 神が次々に送り込んでくる転生勇者という名の変態のおかげで、人類侵攻計画には三%の遅延が生じていたが、全体としてそう大きな問題とはならなかった。


 部屋の主である最凶の魔王は、報告が終わると必要な指示を二、三与え、最後に気がかりだったことを尋ねた。


「ところで大佐、ミーシャの様子はどんな具合かな?」


 大佐は艶然たる笑みを浮かべて答える。

「はい、順調に回復しております。

 ただ、やはり恐れていたようにPTSD(心的外傷後ストレス障害)が見られるようです。

 医師によりますと、彼女はあの変態勇者に鷲掴みにされ、舐めまわされた自らの胸に強い嫌悪感を示しているそうです」


「むう……やはりそうか」


「そのためかと思いますが、彼女は外科的手術を望んでいます」


 魔王は驚いて顔を上げた。

「何? 脳外科手術でPTSDを治せるのか!

 それは初耳だな」


 大佐は首を振った。

「そうではありません。美容整形外科の方です。

 つまりその……乳首と乳輪を小さくしたい。ついでに豊胸もするんだと騒いでいるようです」


「むう……」

 魔王は椅子に身体を預けて考え込んだ。


「……親からもらった大事な身体だ。メスを入れるのは感心しないな。

 その辺は魔法でどうにかならんのか?

 そうだ! 幻術ならばどうとでもごまかせるだろう」


 大佐はちらりと視線を下に向ける。

 そこには、自慢のはち切れそうな胸の盛り上がりがあった。


 彼女は溜め息をついた。

おそれながら、問題の本質をお間違えになっていますわ。

 それでミーシャが納得するとは、とても思えません。

 とりあえず、彼女には専門のカウンセラーをつけて熟慮させているところです」


 魔王はうなずいた。

「よかろう、この件は君に任せる。

 どうも私はそういった方面が苦手でね。

 ご苦労だった。下がってよろしい」


 ストレイカー大佐は一礼をしたが、ふと思い出したように再び口を開いた。

「ああ、そう言えば一つご報告を失念しておりました」


 意外だな、という顔で魔王が尋ねる。

「君にしては珍しいこともあるものだな。

 どんな案件かな?」


 大佐は謝罪の意味をこめて再び頭を下げた。

「申し訳ありません。

 あまり重要なことではありませんので、つい。

 十日ほど前に新たな勇者反応がありました。

 パターンレッド――転生勇者です」


「それは……! 重要事項ではないのかね?」

 魔王が静かな声で尋ねる。


「確かに警戒すべき相手なので、魔物をつけて監視を継続しているのですが……。

 この勇者、最初に出現したポイントから直近の町に移動してから二十日が経ちますが、完全に鳴りを潜めています。

 まさに不動如山――動かざること山のごとし、です」


「二十日も町に滞在して、その勇者は何をしているのだ?」


 魔王の質問を受けた大佐は、ノースリーブの脇に挟んでいた書類挟みを手に取り、数枚のレポートをめくった。


 それが制服だから仕方ないのだが、彼女のナマ脇を目にするたびに、あの変態勇者のことが思い出され、複雑な気分になる。


「ええと……出現ポイントは南地区、レッチの町近くです。

 一応、この地域の担当は虚栄の魔王ですが、彼の本拠からは二百キロ以上離れていますね。

 勇者はその町に滞在して、十人近い集団のハーレムを形成しております。

 現在そのハーレムでの淫蕩生活を満喫しており、当分移動する気配はないとの報告です」


「またハーレムか……。

 人間はそれしか思いつかんのか?」

 魔王は溜め息をついた。


「辺地から移動しないというなら、確かにこちらへの影響はないだろう。

 それはそれとして、魅了魔法チャームの違法使用で集めた女性を自らの性の捌け口として弄んでいるのだ。

 いつもの君なら〝女性の敵〟だと、声高に早期討伐を主張するはずだが……何故今回は黙っているのかね?」


「いえ、今回の件に関しては、女性に被害は生じていません」


 大佐の返答を受け、魔王の口調に怪訝な色が混じった。

「どういう意味だね?」


「この勇者は女です。

 したがって、ハーレムの人間たちはすべて男性なのです。

 まだ十代の美少年からイケメンの若い美青年、渋くてダンディーな中年男まで、かなり幅の広い構成のようです」


「それを早く言いたまえ。

 確かに女性は被害に遭っていないが、男性が食い物にされているだけの違いではないか。

 男性が犯されることが問題ないと言うのかね?

 君はそのような差別主義者ではないと思っていたのだが」


 むっとした様子で責める上司に、大佐は冷静に釈明した。

「ですが、この女勇者はハーレムの男性に指一本触れていないのです」


 魔王はこめかみを揉みながら溜め息をついた。

「大佐、頼むからもっと分かりやすく説明してくれ!

 それならば、この女勇者はハーレムをつくって何をしているというのだ?

 ただ男どもにちやほやされ、それだけで満足しているとでも言うのかね」


 大佐は眉根を寄せ、少し表情を曇らせた。

つたない説明で申し訳ございません。

 端的に申せば、勇者が集めた男たちは夜な夜な、いえ、朝でも昼間でも見境なく男同士でさかっております。

 ――いわゆる男色行為です。

 勇者は不可視の魔法を使ってそれを間近で覗いており、ええと、その……」


 彼女は顔を真っ赤にして言葉を詰まらせたが、思い切ったように続けた。


「えー、つまりその……男同士のアレを覗きながら激しい自慰行為にふけっております」


 魔王は呆けたような声を出した。

「それは……………………………………変態だな?」


 大佐が重々しくうなずく。

「はい、変態です」


 数秒の間があって、魔王はどうにか気を取り直した。

「確かに、誰にも被害を及ぼしてはいないだろうが、公序良俗を著しく阻害しているのではないかね?」


「そうでしょうか?」

 大佐が意外にも反論してきた。


「公衆の面前でというならおっしゃるとおりですが、密室内、しかも双方合意の上で行っている行為です。

 それが男色であろうと、個人の性的嗜好は尊重されるべきと私は思います。

 それを鑑賞しながら自慰をするという勇者の行動も、魔法で不可視状態を保っていますから、公序良俗を乱しているとは言えません。

 そうしたくなるのも……まぁ、理解できるところがありますわ」


 魔王はなおも食い下がった。

「だが、男色ホモだよ?

 気色悪くないのかね?」


 彼女は憤然として断言した。

「お言葉ですが……魔物だろうが人間だろうが、ホモが嫌いな女子なんておりません!!」


「そっ、そうなのか?」

「そうです! あれは尊いものなんですっ!!」


 気圧された魔王は、これ以上の質問を止めるべきであった。

 しかし、ふとあることに気づいて大佐に尋ねてしまった。


「……君、ひょっとして監視の魔物から送られた映像を見ているのかね?」


 大佐は平然として答える。

「もちろんです。

 情報分析は私の職務ですから」


「楽しかったかね?」


 目をらんらんと輝かせ大佐は、胸の前で両手を組み天を仰いだ。


「それはもう!

 実に素敵な世界でしたわ……。

 やっぱりナマの迫力は、薄い本とは段違いです!

 私、堪能いたしました!」


『駄目だ。目が完全に逝っている』

 心の中でそう呟いた魔王は溜め息をつき、机に置かれた女勇者の報告書レポートにゴム印を押した。


 だん! という音とともに、書類の上で赤い大きな文字が踊る。


「要・討伐!」


 魔王はその書類を手にしながら、しばらく無言であった。


「魔王様、どうかなされましたか?」

 ストレイカー大佐が心配そうに尋ねると、彼はようやく顔を上げた。


「まてよ……。

 大佐、勇者が出現したのは南地区なのだな?」

「はい」


「その地区の担当魔王は、虚栄の魔王だと言ったな?

 虚栄の魔王と言えば、ドリアン・ブルー☆ゴージャス伯爵ではないか!」


「はい、そのとおりです。

 ご心配なさらずとも、すでに伯爵には勇者出現の情報を伝えております」


「いや、そういうことではない。

 ドリアンはその……男色家ではなかったかね?」


 最凶の魔王は、虚栄の魔王という二つ名を持つ伯爵の容姿を脳裏に思い浮かべた。


 彼は色白で目鼻立ちのくっきりとした長身の美青年だ。

 金髪の巻き毛を背中まで伸ばし、登場する時は常に背後にバラの花を魔法で現出させるような、派手好きな男だった。


「悪い予感がする……」


 フラグとしか言いようのない魔王の呟きは、当然のように現実のものとなるのだった。

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