第三部 阿曽素子

第1話 トラック君はささやいた―「やらないか?」

 あたしはクズだ。少なくとも女としては終わっていると思う。


 ……いや、別にあたしがドブスで根暗の引きこもりだというわけではない。

 むしろその逆だ。


 ちょっと自己紹介をさせてもらおう。


 あたしの名は阿曽あそもと、三十歳になったばかりの独身女性だ。

 身長百七十センチと、女性としては割と背が高く、足も長い方だ。

 体重は五十二キロだから、まぁ見た目もスリムだ。

 バストは巨乳というほどではないが、一応Cカップはある。


 自分で言うのも何だが、顔は整っている方だと思う。

 学生時代にずっと陸上競技をやっていた(走幅跳でインターハイに出たことがある)。そのころから髪はずっとショートで通している。


 陽気で外交的な性格なため友人が多く、会社(通信系のIT企業)では中間階離職として何人かの部下も持っている。

 周囲の女友達は、なぜあたしが彼氏もつくらず独身のままなのか、不思議そうにしている。


 こう説明すると、まるで自慢めいて聞こえるだろうが、あたしのクズたる所以ゆえんは、この先にある。


 まず、あたしは三十路みそじになるというのに、これまで一度として男と付き合ったことがない喪女だ。

 そもそも恋愛自体をしたことがないのだ。


 情けない話だが、処女は中学生の時に制汗剤の小瓶に捧げた。

 これだけは今も悔やんでいる。

 ――せめてバナナにしておけばよかった。


 では男に興味がない、流行のLGBTかと言われるとそうでもない。

 いや、むしろ男には大いに興味がある。飢えていると言ってもいい。


 ただし、それは恋愛対象としてではない。

 カップリングを妄想する対象として――だ。


 そうだ。

 あたしは度を超したBLマニア――いわゆる腐女子、むしろ貴腐人、いや腐死鳥フェニックスと言ってもよい。

 それはもう、小学生のころからどっぷりとその世界にはまり、中高と女子高だった時代には、ハードな小説を書きまくり、きわどいイラストを描いて同人誌活動に夢中になった。


 印刷所のおじさんから呼び出され、「この付箋を付けたところ、修正を入れないと印刷できないよ。うちも警察に捕まりたくないからね」と注意され、赤面しながら校正室でスミ塗りしたり、トーンを貼ったのは懐かしい思い出だ。


 社会人となってからは、さすがに猫をかぶって趣味を隠してきた。

 その反面、自由に使えるお金を手にしたあたしは、裏でいっそうBLにのめり込んだ。

 今では、コレクションした同人誌とDVDを保管するため、レンタル倉庫を借りているくらいだ。


 BL好きにもいろいろある。

 あたしは二次元もいけるが、それよりもナマモノがずっと好きだ。

 ナマモノって言うのは、三次元――要するに現実の男同士のカップリングを楽しむことだ。


 ジャニ系のアイドル同士の絡みのようなノーマルなものから、ショタがガテン系の親父に犯されるようなハードなものまで、何でも来いなのだ。

 普通の腐女子が敬遠するガチホモDVDですら、余裕で夜のおかずにできるくらい、あたしの脳内妄想変換装置は完璧に作動する。


 困ったことに、あたしは人並み以上に性欲が強いらしい。


 小学生高学年でオ〇ニーを覚えて以来、週に八日はぶっこいている。

 もちろん、オカズはショタ、美少年、美青年、あるいは渋い中年がくんずほぐれずのS〇XをするハードなBL作品である。


 好奇心に逆らえずに、ガラスの小瓶に処女を捧げた翌朝には、「お母さんごめんなさい」と泣いて枕を濡らした可愛い日もあったような気もする。

 あれは違和感だけが残って、さほど気持ちのよいものではなかった。


 それが女子高に進学したころには、こっそりネット通販で買ったバイブにジャニ系アイドルの名前を付けて可愛がるほどになった。

 もちろん後ろの穴に挿入して、犯される美少年の気分を味わうためだ。


 そう、あたしはもう女として完全に終わっている、ド変態だったのだ。


      *       *


「――で?

 あたしを殺しておいて、出てくるのはお茶だけなの?」


 あたしは目の前で縮こまっているお爺ちゃんに凄んだ。

 こいつは神様だと名乗っているが、眉唾物だ。

 神と言ったら全能者だろう。

 だったらせめて半裸の美青年姿で出てこんかい!


「いや、虎屋の羊羹もあるぞ。

 食べるか?」


「いただくわ――じゃない!

 いい男の二人や三人、はべらせるくらいの心遣いはないのか! って言っているのよ」


「……すみません」

 小声で謝る爺さんに、あたしは鼻息も荒く文句をつけた。


「大体、あたしは会社のオフィスで仕事中だったのよ。

 うちの部署があるフロアって、十二階なのよ。

 分かる? 十二階よ! 地上三十メートルはあるわ」


 あたしの声は怒りに震えてどんどん大きくなる。


「どうしてその窓をぶち破って、練馬大根を満載した軽トラックが突っ込んでくるのよ!

 あたしがトラックに撥ねられたのは、予定外の事故だった?

 ふざけるんじゃないわよ!

 絶対わざとでしょ?

 あんたも神様なら、どう落とし前をつけるつもり?」


 あの時、軽トラのハンドルにしがみついている若い運転手の呆然とした姿が、あたしが見た最後の光景だった。

 そりゃ運ちゃんだってびっくりしただろう。

 一体それまでどこを走っていたら、ビルの十二階に飛び込むというのだ。


 ちなみにその運ちゃんは、なかなかいい男だった。

 しかも彼は、胸にJAのマークが入った青いツナギを着て、ちょと裸の胸が見えていたのだ。


 いかにも農業青年らしい、短髪のがっちりした身体つきの兄ちゃんが、素肌にツナギを着て日に焼けた胸元をはだけている。

 一瞬でそれだけの情報を確認すると、あたしの頭脳はすぐさま妄想を開始する。

 軽トラが窓をぶち破って、あたしに激突するまでの、わずかコンマ零秒の世界だ。


 公園のベンチで空を見上げる美形の高校生男子。

 その上から覆いかぶさるように覗き込む、若き青年。

 農作業で鍛えた逞しい肉体を青いツナギで隠し、はだけた胸からはむんむんとした男の体臭が漂ってくる……。


 あたしが死の間際、最期に発した言葉は誰にも知られたくない。

 それはあまりに腐った一言だったからだ。


 ……うほっ!


      *       *


「じゃから、できるだけお主の希望は叶えて進ぜよう。

 新しい世界では、金だろうが男だろうが、望むものは何でも手に入るじゃろう」

 おどおどした爺さんはそう弁解した。


「何が〝じゃろう〟よ、あんたはアル・ジャロウか?

 山高帽でもかぶってスキャットでも歌うのか!

 ――いや待て。今〝男〟って言わなかった?」


 髭の爺様はこくこくとうなずいた。


「それはつまり、美少年でも美青年でもマッチョな絶倫中年でも、何でもありなの?」


 どうにか交渉の余地が見つかった安心感からか、神と名乗る爺様は愛想笑いを浮かべて両手を揉んだ。

「もちろんじゃとも!

 そうか、それがお主の望みというわけじゃな!

 心配せずともよい。お主には自動発動する魅了魔法チャームが備わることになる。

 これは指向性が強いきわめて都合のいいものでな、お主の好みの男がちゃんと引っかかるようになっておるのじゃ」


 あたしはぶんぶんと首を振った。

「いやいやいや。

 あたしは別に男としたい・・・わけじゃないんだ。

 いい男同士がイチャイチャするのが見たいの!

 もっと言えば、美少年が後ろの穴を犯されたり、渋い中年が竿をしゃぶりあったりするナマの場面が見たいだけなのよ!

 そしてできるなら、その濡れ場を間近で見ながら、誰にも気づかれずにその場でオ〇ニーをぶっこきたい!

 爺さん、それができるっていうなら、この不始末を許してやってもいいわよ」


「何と言うか……身も蓋もない要求じゃの。

 ……お主、自分で言っていて恥ずかしくはないのか?」


 あたしは大口を開けて笑い飛ばした。

「あたしは一度死んでるんでしょう?

 今さら気にしてどうするって言うのよ。

 あー、あんたみたいな枯れた爺さまには興味がないから、そう腰を引かなくてもいいわよ」


「おっ、おう……。

 よいとも、そのくらいの望みなら何とでもなるわい。

 ただ一つ、忠告しておくがな――そなたの欲望を邪魔する者が現れる可能性が高いぞ」


 あたしは爺様をじろりと睨む。

「誰よ、そのふざけた野郎は?」


「まっ、魔王じゃ。

 魔王というのは人間世界を侵略するだけでなく、妙に公序良俗とか倫理感に厳しい。

 恐らく、お主の理想とする男だらけのハーレムを、不健全だと断じて妨害してくると予想されるのじゃよ。

 まぁ、お主には神と同等の魔法力が与えられる。

 そう簡単には負けぬだろうが……、魔王に打ち勝つには、お主のそのたぐい稀なる欲望と妄想力が不可欠となる。

 どうじゃ、いけそうか?」


「ふっ……ふふふふ!」

 あたしはたっぷりとタメを作って顔を上げた。


「上等じゃ、ボケェ!

 腐女子舐めんじゃねえぞ、ゴラァっ!

 やったろうじゃねえか!」


 あたしは吼えた。


 どうせ理不尽なトラック君に奪われたこの命だ。

 異世界に生まれ変われるということは、親兄弟も親戚も昔の同級生も存在しないってことだ。

 恥も世間体も関係ないんだ。


 あたしは高らかに誓ったのだ。


「こうなったら、とことん自分の欲望に正直に生きてやる!」

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