第10話 我執の果て

「最凶か……。嘘ではないようだな」


 俺は認めざるを得なかった。

 その男の全身から感じる圧倒的な魔力は、明らかに俺と桁が違っていた。


 俺は神にも匹敵する力を得たのではなかったのか?

 そして大乳輪の助けを得て、その神すら超えたのではなかったのか?

 ならばこいつは何だ? 何者なんだ?


「くそっ、負けんぞ!」

 俺は歯噛みをして魔王を睨みつけた。

 大乳輪の真の力を解放すれば、どんな敵だろうと打ち倒してみせる――俺は自らの心に鞭を入れた。


「まずはミーシャを返してもらおうか」

 魔王は独り言のように呟き、すっと片手を上げる。


 しかし、何も起こらない。


 フードで隠れて見えないが、魔王から怪訝な思いが伝わってくる。

「君……ミーシャに何をした?」


「気づいたか。大方この女だけをテレポートさせようとしたんだろう。

 それくらいは予想がつくさ。

 だが、この状態でそれをしてみろ。えぐい見世物となるぞ!」


 俺は小脇に抱えていたミーシャを魔王に向けるように突き出した。

 俺の両手は、彼女の薄い膨らみと巨大な乳輪をがっちりと鷲掴みにしている。

 動けず、声も出せない彼女は、目尻から涙をこぼし、〝いやいや〟をするように顔を振っている。


「何の真似だ? いいかげん変態行為は――!」

 魔王の言葉が途中で途切れた。

 彼は気づいたのだ。

 少女の胸に食い込んだ俺の指が、ずぶずぶとめり込んでいることを。


 今や十本の指は全てミーシャの胸に埋没し、手首のあたりまで沈み込んでいた。

 彼女の内部に侵入した俺の指は溶解し、薄い乳房の組織と混じり合い、完全に融合していたのだ。


 二人の肉体を連結している手首から、凄まじい魔力の奔流が押し寄せてくる。

 俺の欲望を満たす大乳輪由来の魔力だけではない、独善の魔王と呼ばれる天才が持つ、膨大な魔力も根こそぎ吸い上げていたのだ。


 それは、まるで射精の瞬間が永遠に持続するような、凄まじい恍惚感を俺に与え続けた。


「すばらしい……夢のようだ……!

 新しい世界が来る……ユートピアが……」


「そんな腕でどう戦うつもりなんだ?」

 最凶の魔王は驚くというより、半ば呆れた口調だった。


「仕方がない。順番が逆になるが、君から先に消滅させよう。

 この光の槍を受けるがいい」


 魔王がそう宣言すると、彼の手に突如光り輝く棒状のものが出現する。

 あまりに眩しいので細部は確認できないが、奴がそう言うのだ、おそらく鎗なのだろう。


 彼はその鎗を、ひょいと放った。

 本当に軽く、目の前に投げ捨てるような仕草だったが、その手を離れた光の鎗は目にもとまらぬ速さで飛んできた。


 しかしその鎗先は、俺の身体に届く直前で寸断され、光の粒子と化して消え去った。


「何だ、何が起きた!

 ロンギヌスの鎗だぞ?

 例え神であろうと防ぐことは……」


 初めて魔王の声に動揺の色が浮かんだ。

 俺は高笑いをあげる。


「ははは、いい気味だ!

 やっとお前を慌てさせたな。

 いいだろう、教えてやる。

 俺の頭上を見ろ、名付けて〝大乳輪斬〟だ!」


 高らかに叫ぶと同時に、俺の頭上一メートルほどに巨大な〝鍋蓋〟が視覚化した。

 直径十メートルを超す、わずかに湾曲した巨大な円形の物体が高速で回転しているのだ。

 その円の中心には、大きな丸い摘みがついており、文字どおり鍋蓋のように見えた。


「そっ、それは……まさかミーシャの乳か?」


 俺は満足げにうなずいた。

「さすがは魔王を名乗るだけはあるな、正解だ。

 これは俺のたぎった性的嗜好と、この女魔王の羞恥と劣等感が融合して生成された〝気〟の塊だ。

 どのような物理攻撃であろうと、膨大な魔法力であろうと、すべてを寸断するのだ!

 死ねっ、最凶の魔王!」


 俺の頭上で水平に回転していた大乳輪斬は、垂直回転に姿勢を変え、真っ直ぐ魔王に向かって突進した。

 その三分の一は地面に埋まり、大地を切り裂いて直線的な切断面を作っていく。


 だが、大乳輪斬に大人しく両断されるの待つほど、魔王は馬鹿ではなかった。

 製材所の巨大回転鋸のような攻撃が届く寸前で、彼の足元が盛り上がり、その身体を二十メートルほども一気に持ち上げる。


 岩石の塊りを切り裂いて反対側に抜けた大乳輪斬は、空中に浮かび上がると再び水平に回転を戻して魔王へと襲いかかる。

 魔王は盛り上がった小山の高さを次々に上げ、その攻撃をかわし続けた。

 大乳輪斬は、まるでダルマ落としのように、岩石の塊りを輪切りにしていった。


「大したものだな!

 この岩石には硬化の魔法をかけている。

 下手な鋼鉄よりも硬いのだが、それをバターのように切り裂くとは……。

 第八、いや第九水準レベルの魔法と評価してもいいくらいだ」


「ちょろちょろ逃げ回っているくせに、偉そうなことをほざくな!」

 俺は怒号を上げ、頭上にもう一つの大乳輪斬を発生させた。


 魔王は驚いたような声を上げる。

「ほう、この馬鹿げた魔法を二つも発生させられるのか?

 ミーシャの魔力を吸い上げているとはいえ、凄まじいものだな」


 俺は嘲笑った。

「馬鹿め!

 乳輪は二つ一組と決まっておろうが!

 ごたごた言わずに死にさらせ!」


 二枚の死を呼ぶ円盤が、魔王目がけて襲いかかる。

 一枚は魔王の現在位置を狙って、もう一枚はその上空、魔王が岩石をさらに積み上げた場合の予測位置を狙っている。

 もう魔王に逃げ道はないはずだった。


 いや、彼ならば瞬間移動テレポートでも何でも、意のままに逃れられたのだろう。

 しかし、魔王は逃げなかった。

 彼は襲いかかる大乳輪斬を片手で受け止めると、そのまま握り潰した。


 魔王は直径十メートルを超える円形鋸の、わずかな一片を握ったに過ぎない。

 ただそれだけで、彼は目に見えないような高速回転をぴたりと止めたのだ。


 そして、その手の中にある乳輪の端を砕いた。

 それだけのことに過ぎないのに、一瞬で大乳輪斬全体には亀裂が走り、粉々に砕け散ってしまった。


 魔王の頭上を素通りしたもう一つの大乳輪斬は、急カーブを描いて二次攻撃に移ったが、これもまた魔王に受け止められ、同じ運命をたどった。


      *       *


「そんな馬鹿な……。

 無敵の大乳輪が敗れただと?

 認めん、認めないぞ!」


 呆けたように呟く俺の耳元で、囁く声がした。


「君は最初から分かっていたのではないか?

 実力差がありすぎることを……。

 君の力が予想を超えるものだったことは認めよう。

 だが、世の中にはどうにもならないことがあるんだ」


 いつの間にか俺のすぐ側に現れた魔王は、俺の両手を掴むとゆっくりとミーシャの身体から抜き取った。

 その万力のような握力には、いかなる抵抗も無駄だった。

 大乳輪から腕を引き剥がされた瞬間、すでに気を失っていたミーシャはくたくたとその場に座り込んだ。


 魔力の根源を失った俺は、魔力切れで貧血を起こしたように意識が薄れかけた。

 それでも、わずかに残った魔力を掻き集めてどうにか耐える。


「よくやったとは褒めてやろう。

 だが、君はやり過ぎた。

 ミーシャは百歳を超すとは言え、魔王たり得る魔族の基準では少女に過ぎん。

 君はその心に大きなトラウマを植えつけた。

 もはや救済の道は閉ざされた。

 苦しめはしないが……その魂、砕かせてもらう!」


 次の瞬間、俺を襲ったのはでたらめな圧力だった。

 わずか一平方センチに数万トンに値する圧力がかかり、俺の身体はパチンコ玉よりも小さな球に圧縮された。

 そうなってなお、圧力は止むことがなかった。


 俺の魂の根源までを砕き、塵に変えるまで、この重力のくびきから逃れることはできないのだ。

 ――俺はそのことを理解した。


 だが理解してなお、俺の魂は抵抗を止めなかった。


 俺がここで砕け散ったら、マヤはどうなる?


 やっと奴隷の身分から救い出され、まっとうな女の幸せを手に入れるはずだった彼女の運命はどうなるのだ?


 俺は彼女に約束したはずだ。

 必ず帰ると!

 必ず君を幸せにすると!


 すでに仁丹ほどの球にまで圧縮されながら、俺の魂はあらがい続けた。

 それは魔王にも予想外のことのようだった。


「信じられん……。

 これは第十水準レベル究極魔法グラビトンだぞ?

 ただの人間に抵抗できるようなものではないはずだが……」


 俺は精一杯の強がりで叫んでいた。

 叫んだと言っても、もはや口も声帯も存在していない。

 それはただの思念に過ぎない。


「俺を消したいのなら、それもいいだろう!

 だが、大人しく消えてやるには条件がある。

 魔王!

 それを呑め!」


 魔王は呆れ果てたように答えた。

「その姿でよく偉そうな口がきけるな?

 いいだろう、その条件とやらを言ってみろ」


 その言葉は俺に安堵をもたらした。

 そして、一瞬の気の緩みで、俺は危うく砕け散るところだった。

 もう俺の身体――いや魂は、砂粒ほどの大きさになっていた。


「マヤという娘がいる。

 お前たち魔族に家族を殺され、奴隷として売られた娘だ。

 俺はその子を幸せにすると誓った。

 その誓いを果たさなければ、俺の魂魄は永遠にこの世界で彷徨さまようだろう!

 最凶の魔王よ、俺の誓いを代わりに果たせ!

 マヤに一粒の涙もこぼさせるな!

 誓えっ!」


 魔王はかすかな溜め息をついた。

「まったく……君たち人間の妄執は凄まじいものだな。

 神の奴はそれを知っていて利用したと見える。

 ……よかろう。

 その娘は、すべてを忘れて新しい人生を送れるようにしてやろう」


 彼は少し躊躇ためらうように、言葉を続けた。

「だが、よいのか?

 その娘が幸せな人生を送るということは、愛する男と結ばれ、子を成し、家庭を築くということだ。

 その男は……君ではないのだぞ?」


 魔王の言葉が俺の心に届いた。

 もし、俺の身体が存在していたなら、きっと俺は微笑んでいただろう。


「それでいい。

 誓えよ……魔王」


 そう呟いた瞬間、俺の魂は砕け散った。

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